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桜の散りゆく意味 #1

立派な榎の木を前にして
生い茂った力強い緑葉の揺れる様を眺めていた
それはただ目に映りこんだだけで
見てはいなかったように思う

なぜなら
このストーリーを打ち込んでいる今、
榎の画がぼやけたレンズを通して見た時のように
薄雲って残痕となり頭の中に転がっているからだ

「昔、この中山道は水はけが悪かったから、そこの板橋のところから見える桜は、散った花びらが水に浮かんだまま流れなくてね。まるで桃色の絨毯のようでそれはそれは綺麗だったよ」

同じ榎を見上げながら
もう二度と見られない光景を思い浮かべて
隣の男性は満足そうに微笑む

その笑みに同調し
わたしも微笑み返した

「さぞかし美しい桜の風景だったのでしょうね」

わたしの頭に浮かぶ桜は
大木から散り落ちて
首だけとなった花々が
永遠と流れ続ける
デジタルの桜

「あぁ、随分と長く話しかけちゃってごめんね、これからやることあるでしょう。」

秋田から上京してきた思い出を話し切った男性は
わたしの様子を気遣うフリをした

「えぇ、大丈夫。今この榎からパワーもらっているところだから」

男性は苦笑いすると顔の前に手を立ててかざし
反対方向へとゆっくり歩き去っていった

爽やかな皐月の風吹く
晴れた日曜の昼下がり

小さな白い紙袋を握りしめると
また静かに
榎との対話が始まった

***


「こんにちは、一人だけど空いてます?」

狭い入り口の引き戸を開けると
店内は騒々しいほどに
お客さんでいっぱいだった

普通、老舗のお蕎麦やさんというと
静かに蕎麦を啜る音だけが聞こえるような
ちょっぴり神聖な空気が流れるものだと思っていた

地元のお客さんが多いのか
それぞれのテーブルでは会話が弾んでいる様子だ

元気な女性店員と大女将さんが接客をして
大将と女将さんが厨房で作業をしている

有名人の色紙を眺めながらも
席の空き待ちのわずかな時間で
人々の様子を観察することができた

注文のミスなのか
頼んでいたものがまだ来ないと
痺れを切らして女性店員を呼びつける男性客


「申し訳ございませんねー」

ぺこぺこと頭を下げ、あたふたと蕎麦を運びながら

「本当、申し訳ございませんねー」

席を立ったお客さんの間を抜けると
急いでテーブルの上をふきんで拭き
隣の席を遮るためのアクリル板を思いっきり倒す

「いやぁ、申し訳ございませんねー」

再度ぺこぺこと今度は違うお客さんに頭を下げながら
こぼれた水を一生懸命に拭き上げる

気張っていた糸が解け切れて
悪いと思いながらつい、笑い出してしまった

よく見ると向こうのテーブルの女性も
店員を眺めては、口元を押さえていた

「狭い席ですが、こちらでよろしいでしょうかー」

またペコペコと頭を下げながら、
わたしを店の片隅の小さなテーブル席に案内した

「全然、構いませんよ」

申し訳なくなるほどの気遣いに
しばらく触れてこなかった人としての心のやり取りを
思い出せたような感覚だった

店内は混雑していたが
注文した蕎麦は割と早く卓に届けてくれた

ピンク色のせいろ

本日最終日という桜蕎麦を
その目的で食べに訪れたわけではなかった

不思議な縁ってあるもので
ふんわり香る桜の風味は
当然にわたしの心を浄化してくれていた

「お姉さんもお一つだね?」

桜蕎麦を啜っていると
忘れていないわよ、と大女将が目配せして
小さな白い紙袋を手渡してくれた

うんうん、と慌てて頷き
鞄に用意していた封筒から新札の千円を取り出し、
大女将の手に納める

その様子を見ていた他のお客さんも

「こちらも二つお願いします」

「私たちも一つずつください」

各々大女将に千円を納め
白い紙袋を受け取った

混雑している時間だったから
お会計時にそれをお願いしようと思っていた

下ろし立ての綺麗な春色スーツの上に
べージュのトレンチコートを羽織って
ばっちりメイクをした女性が

一人で蕎麦を食べに来ていたら
大女将にはバレバレのようね

”女”としての気遣いのおかげさまで
蕎麦湯までゆっくりと美味しく味わうことができた


ここに来た目的は
隣の神社からお預かりしている「絵馬」の購入

気遣いの心咲く優しい桜の味に出逢えたのが
必然だったように思えたから

「ご馳走さまでした、本当に桜蕎麦美味しかったの」

白い紙袋を片手に持ち、
880円を小銭でピッタリ出そうと小銭入れを探りながら
店員さんに感謝の気持ちを伝えた

「女将さんも喜びます」

ほっと笑顔で小銭を渡すと
奥から若い女将さんが出てきてくれた

「ありがとうございます」

素敵な笑顔のお返しで
あふれ出しそうだった涙を何とか抑える

「あの桜蕎麦、本日までの限定だったようですね、また来年も食べに来たいです」

女将さんの目がパッと見開くと
急ぎ辺りを見渡して小袋に入った飴を
わたしの手のひらにさっと乗せてくれた

「ぜひ、来年もお越しくださいね」

手の上の飴を驚き見つめた

何だろう
これ、子どもがもらってよろこぶ飴だよね

マスクの下は思いっきり笑顔になる


すっごく嬉しい


会釈をして引き戸を開けると
少し下がり始めた太陽の光が
店いっぱいにさーっと差し込んでは
すっと消えていった


恋し続けるために顔晴ることの一つがnote。誰しも恋が出来なくなることなんてないのだから。恋しようとしなくなることがわたしにとっての最大の恐怖。いつも 支えていただき、ありがとうございます♪