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「守破離」って奥が深い。 

私の座右の銘は「学びて思わざれば即ちくら し」(『論語』)です。

広い知識を身につけても、自分でそれについてよく考えなければ、本当に理解することはできない。
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これには続きがあって、「思ひて学ばざれば則ちあやう し」とあります。

ひとりで考えるばかりで、広い知識を身につけようとしなければ、独断に陥る危険がある。
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これらは、身に覚えがありすぎるので自分への戒めという意味でも、心に刻んでいます。


そして、最近守破離 しゅはりをよく目にするようになりました。

ビジネス書でも登場しているので、メジャーなのかと思いきや意外と知らない方が多い。

そこで、ちょっと調べてみると、面白かったのでまとめてみます。

剣道茶道などで、修業における段階を示したもの。「」は、師や流派の教え、型、を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
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初出は諸説あり定まらないですが、茶道の偉人千利休も意識していたという話もあります。

武道の「心技体」は、3つを両立するというイメージですが、「守破離」は時系列のイメージです。

型破りというけれど、それは「型」をしみこませたうえでの「破」だと考えると、何事も基本がしっかりしていないとぐらぐらしてしまうという意味にもなると思う。

「守」で素直に受け入れて、最初からオリジナルを作ろうとしない。
「破」で別の分野にも広げていってみる。つなげてみる。
「離」で自己流、言語化をし発展させる。

地道にこの流れに沿って出来たら、遠回りが近道になるかもしれない。

そして、長期スパン(人生)での守破離、短期スパンでの守破離(プロジェクトごとなど)を組み合わせて一直線ではなくサイクルを繰り返していけると、効果が出るかもしれない。

日本的な思想は最後の審判のように終わりがあるのではなく、輪廻ーサイクルのイメージが強いと思う。

「守破離」も意味だけ見れば最終目標的な印象になるが、小さな守破離の積み重ねだと考えると、輪になる。

「守」「破」は1個だけではない。
何個か積み重なって初めて「離」が見えてくるのかもしれない。

だから、アンテナを張ってひとつひとつ素直に受け入れて真似をしてみる。アウトプットしてみる。

「学びて思わざれば即ち罔し」が基盤で、それを実現するためのサイクルが「守破離」。
この2つが私の座右の銘なのかなと考えています。

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