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幸せな食卓の下に、少しずつ蓄積されていった邪悪なもの

肉厚なステーキを食卓で食べているこの瞬間でさえ、
僕はイライラして仕方がなかった。
父の不気味な無神経さを我慢しなければならなかったからだ。

【小説 / 読了時間:6~7分 / 2800字】

この食卓は絶望的な終着点なんだ。この世に生を受け、育ち、いま大学生活をしている僕にとってのね。もうどこにもいけないんだ。

一見すると、父・母・僕の三人の幸せな家族の食卓にも見えるかもしれない。いや、ほとんどの人にはそう見えるとまで言ってもいいだろう。

実際は、三人分の肉厚なステーキが並べられているこの食卓の下に、おぞましいものが潜んでいる。それは時間をかけて慎重に、少しずつ蓄積されてきたものだ。誰かの笑顔のかげで、損なわれ続けていたものがあったんだ。

部外者からは、単なる僕の妄念とまで言われることもある。でも外の人にはわかるわけがない。


この「蓄積されたもの」は口頭で伝えることも難しければ、写真にも写らない。直接体験しないと感じ取れない種類のものだ。

ひどく因果がこじれているから、いったい何がそんなに僕を腹立たせているのかとてもわかりにくいと思う。やっぱり。

あろうことか、最近うまくいってない僕が、ただやつあたりをしているようにさえ見えるかもしれない。でも君にだけはわかってもらいたいんだ。

僕はうまく説明することができないと思う。
まるで「バタフライエフェクトの最初のはばたきから、地球の裏側での結末まで」を語るかのように、出来事自体が複雑すぎるんだ。


この説明の困難さによって僕はずいぶんと辛酸をなめさせられてきた。
その結果、信頼すべき人間とそうでない人間をずいぶんと見分けられるようになってきたよ。

聞く耳を持っていない人間には何を言っても無駄だ。
最終的にこちらを侮辱してくるだけで、得るものはなかった。飛び交う怒号だけが虚しく残った。

"聞く耳を持っていない人間"、こういう風にひとまとめにされることに抵抗して「俺をそんな奴らといっしょにするな」とか、
「みんなが正しくてお前ひとりが間違っているんだよ。いい加減大人になれよ」という人もいたけど、
やはり心の中でひとまとめにしておこうと思った。せめてもの反撃だ。

いちいちさ、君たちにそこまで脳みそを使っているほど暇じゃない。それこそ大事なことが何もできなくなるぜ。

フィクションの英雄じゃないんだから、人間の力は有限だよ。自分の人生を本気で生きている人にはわかるはず。そうでない人にはわからないし、わからなくていい。近く滅び去り、受け継がれることもない無価値なものにかける情けを僕は持ち合わせていないんだ。


……本題に入ろう。きょう一日ですべてを語り切ることはできないから、かいつまんで少しだけにしておくよ。僕は足にひどいケガをしているから明日も外出できそうにないけど、君にはやることがあるもんね。

さて、僕はふだん温厚な性格でめったに怒りをあらわにすることはないんだけど、父はひとこと言い放つだけで僕を激昂させてくる。

件の肉厚のステーキを食べているときには、
「そのナイフとフォークの使い方、ひやひやするなあ。代わりに切ってあげようか?」という具合だ。
何歳だと思ってるんだよ。どんだけ見下してるんだよ。

彼はまだ僕についての認識を成長に応じて更新できてないだけで、それは他の父親にもある程度は共通することなのかもしれない。でも、問題はそれだけじゃない。

彼は「自分が父親としての役割を果たしていること」に自信が持てていない様子で、過去をやり直そうとしているように感じられる。

そのために、大学生の僕を小さい子どもへと戻して取り扱おうとしているような精神的な動力がある。これが気持ち悪くて仕方ない。


父は僕が実際に小さい子どもだった頃に、ただ周囲に対して当たり散らすだけで父親らしいことなんてほとんどしていなかったと思う。僕と父親の二人が、母のこどもだったかのようにすら思える。

それを母も感じ取っていて、「お父さんが一番こども」と笑うことが何度もあったけど、そのたびに父は苛立ちをあらわにしていた。図星だったのかな。

でも情状酌量の余地が皆無というわけではなくて、たぶん父親の両親にも原因はあると思うんだ。僕自身も今までにその二人(祖父と祖母)と会って話す機会が何度もあったんだけど、どうもそんな気がする。

だからといって、その咎を僕一人が背負わないといけないのか?
犠牲にならないといけないのか?
どんな理由で? どんな利益が僕にある?


……どんな事情があったにせよ、今頃気が向いたからといってこちらの都合を無視して「父親」をやり直そうだなんて、都合が良すぎやしないか。

足にひどいケガをしている僕に、これ以上もたれかからないでくれよ。一人分の体重さえ今は支えられないんだよ。

しかもそのことに本人は気がついていない。鈍感というか、頑なに目を逸らしているというか。

その行為の失礼さと不快さについて、僕がどんなに丁寧に説明し、それをやめてほしいと言っても、父は次の日になると忘れてしまう。

「そんなこと言ってたっけ? 知らないなあ」といった調子だ。それもまた腹立たしくて仕方ない。何なら「お前が神経質すぎるんだよ」って人のせいにしてくることすらある。

理解すると損なことは、理解しようとしない。僕が急にわけのわからないことを言いだしたということにして、自分の中で処理しておく。そのほうが都合がいいということなのか。


さらに、この食卓の前のテレビで流れているクイズ番組までもが絶望的なんだ。唐突だけどこれは意外と関係のない話じゃないから合わせて聞いてほしい。

テレビの中でナレーションされたり、色とりどりのテロップで示される「東大卒のイケメン」だとか「慶応美女」だとか、こういう下らない煽り文句は本当に不愉快だ。消えてほしいと思う。

いや、出題されるクイズ自体はどうでもいい。問題はその後だ。

まるでクイズに正解することでその人の頭の良さが測れるかのような発言が、司会者と出演者の間で飛び交う。これが不愉快で仕方ない。

関係ないだろ。そんな知識なんてグーグルで検索すればわかることだろ。今の時代において、重要なことは他にたくさんあるだろうに。あまりにも前時代的で、そして画一的で暴力的で、僕にとってテレビは「停滞」の象徴だ。


さらにそのクイズ番組に、父が意気揚々と挑戦しては一喜一憂していることが耐え難く不快なんだ。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってことなのかな。関連することまでもが、延焼するかのように腹立たしく感じられるところって、確かに少しはある。でもそれだけじゃなく、僕は本当にテレビが嫌いだ。


……その場を立ち去ればいいんじゃないかって?

できることならそうしたいんだけど、僕は足にひどいケガをしているので逃げ場がどこにもないんだ。

たぶんこの先も、ずっとどこにもいけないんだと思う。もうどこにも進めない。そんな気がして仕方ない。


この食卓が、僕の絶望的な終着点だよ。ステーキの味なんてぜんぜん覚えてない。


(終)


あとがき

なぜ、また小説を書いたのか。


このあたりのことについては、たぶん次回あたりのnoteでより詳しく書きたいと思っています。じゃあまたね。

頂いたサポートは無駄遣いします。 修学旅行先で買って、以後ほこりをかぶっている木刀くらいのものに使いたい。でもその木刀を3年くらい経ってから夜の公園で素振りしてみたい。そしたらまた詩が生まれそうだ。 ツイッター → https://twitter.com/sdw_konoha