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初めて真面目に短歌を作ってみた感想

これは小回りが効く便利な表現ツールだ。


今までの自分の文芸は「大砲」だった。
重く・強烈に・わかりやすくを心掛けていた。

しかし大砲は一発が重い分、発射の準備にも工程を経る必要がある。
一つ投稿するにもかなりの集中と体力を使っていた。


その点、短歌は小回りが効く便利なツールだと思った。
心の溝に積もった感覚を、気楽にすくい上げて表現することが出来る。

しかも短歌を何首か集めて一つの世界観を構築したり、時の流れを展開できるところも面白く、経済的だなと感じます。


これ自分に合ってるかもなー。引き続き短歌に取り組んでみたくなった。

今までの「大砲」に装填されることのなかった、風に揺れる柳のような情感がまだまだ心に眠っている。

静かに語られるそのときを待っている。森の奥深くの井戸の底で。少し作ってみたらそのことに気がついた。


今回の試みは「サラダ記念日」を手に取ったことがきっかけだったんだけど、その「サラダ記念日」を手に取ったきっかけは、図書館で詩集を借りたついでだった。

この前のノート(刺さった歌詞を深く味わう)でも書いたこと。僕はいくつかの詩を投稿しているけど、歴史的に評価の定まっている詩というものをあまり知らなかった。だからそろそろ知りたくなった。

書架の一列から、中原中也、萩原朔太郎、室生犀星、茨木のり子、石垣りん、宮沢賢治あたりをごそっと抜き出した。


そのときに偶然、目について借りてきたのがこの一冊の歌集。
まるで思わぬ展開を運んできた変化球のナックル。


作った実際の11首短歌11首 交差点みな顔の無い人の群れ僕はさまよう「陽炎の街」

頂いたサポートは無駄遣いします。 修学旅行先で買って、以後ほこりをかぶっている木刀くらいのものに使いたい。でもその木刀を3年くらい経ってから夜の公園で素振りしてみたい。そしたらまた詩が生まれそうだ。 ツイッター → https://twitter.com/sdw_konoha