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【ショートショート】一寸先にはお前がいてほしかった私ではなく私がいてほしかった私がいてほしい

目覚めたら、固いベッドの上にいた。
天井は無数の黒い穴が開いてるタイプで、眺めていたら段々気分が悪くなって、私は視線をそらした。
気持ち悪いな。
って思うってことは、私は生きているんだろうな。
地獄にも天国にも行けなかったんだな。
結局お前、大したことねえじゃん、意気地なし。
悔しさからなのか、絶望からなのか、なぜだか分からないが自然と涙が出た。目尻からこぼれて、髪の間を通って、耳の穴の中に入っていく。
気持ち悪いな。
私の願いは叶わなかった。いつだってそうだ。後何度やっても同じ。もう全てが面倒くさい。
そう思う度に、胸の内側で針がチク、チク、と肉を刺すような痛みがあり、私は突然嘔吐した。鼻の奥からにつんざくような痛みがあり、咳き込み、私は自分の苦しさを誰かに肩代わりしてほしくて、いや違う、息を吸いたくて、ナースコールのボタンを左手で弄り探した。

小さい頃から、私は「選ばれる側」だった。
読書感想文も、自由研究も、ピアノ発表会も、何だって私が代表に選ばれた。学級委員も、生徒会長も、いつだって私が推薦された。逆に、いつも候補にすら上がらない子達は、一体何を考えて生きているんだろう、と不思議に思っていた。基本問題すら解けないとか、宿題すら十分にやってこないとか、一体どんな生活を送っていたらそうなってしまうんだろう。今でも分からない。彼女達は今、Instagramの写真の中で、子供や夫と笑顔で写真に映っている。
「鬱病の症状が見られます」
私は椅子を勝ち取ってきたのだ。もちろん、人生は小学生の頃のように上手くはいかない。失恋だって経験したし、一番を取れなくて、欲しいものを他の人に奪われて悔し泣きしたことだってある。それでも最終的に私はいつだって「勝つ」側だった。有名大学の合格を勝ち取って、大企業の総合職の椅子を勝ち取って、もうすぐ結婚する予定の誰もが羨むような優良物件の恋人がいる。私はいつだって、勝つために何でもやったし、選ばれるために何でも努力した。そうるのが正しい人生だと教えられてきたからだ。
「誰にも言えず、心の中でためこんでいたことがあったの?」
私は絶対に失敗しないし、私がやれば何でも上手くいくし、人生が思い通りに動かないわけがない。それは私が人より要領が良くて、美しくて、賢くて、性格も良いからだと思う。私は強運で、人に恵まれて、これからもお金に困らないし、後悔もしないし、諦めることもないし、どう転んだって幸せにしかなれないんだと思う。
「佐々木さん」
私が勝ち取ってきたこの椅子は、誰にも渡さない。
突っ走ってきたこのレールは、降りない、絶対に。
「一旦、休みましょう」

会社には行きたくなかった。
だから薬を飲んだのだ。一瓶まるごと、全部だ。朝起きてすぐに、
ああ、今日も朝がやってきてしまった、
と思った。どうやったら今日会社に行かなくて済むかを考えた時に、その時私が私のためにしてあげられた精一杯が、あれだったのだ。今思えば、具合が悪いので休みます、とでも言っておけばよかったのだけれども。有給を取るなりズル休みをするなりすれば良かった。でも、そんな簡単なことすら思いつけないほど、私はパニックになっていたんだと思う。あの日だけじゃない。多分、もっと前から、ずっとだ。
「無理しなくて良いんだよ」
恋人の声が頭の上から降ってくる。私は生ぬるい体温を感じながら、目を閉じた。
「そのまんまの藤ちゃんでいいんだから。そのまんまの藤ちゃんで、十分すごいんだから。もう頑張りすぎなくていいんだよ」
そのまんまの私って何?いかにもInstagramの無責任なメンタルケア系の発信をそっくりそのまま引用したようなこと言って。そのまんまの私なんて知らないくせに。だって、そんなもの、当の私だって、知らないんだから。
「いつも笑ってる藤子が大好きだよ。でも、無理して笑わなくていいんだからね。弱いところがあったって、いいんだからね」
以前よりこの腕の中は大して居心地が良くないな。そう思いながら私は、また連絡する、と言い残して彼の部屋を後にした。

今まで夜道は、誰かと歩くものだった。明日の商談について考えながら歩くものだった。次は誰が昇進するか考えながら歩くものだった。
なぜだか、今日は無意味に夜道を散歩したい気分だった。恋人の住むタワマンは他のマンションとは格が違うんですよ、と言いたげに高級感のある灯りをまとい、そびえ立っていた。私はそれに背を向けて歩き出した。ゆっくり、ゆっくり、東京の夜を歩いていく。
こんなことは初めてだった。いつだって早足で、無数の考え事をしながら、道行く人を追い越すように歩いていた。今は、道行く人が自分のペースでゆっくり歩く私を邪魔そうに追い越していく。一度折れてしまったもの花は、今も咲いているのに、もう売り物にはならないんだよと言われているような気がした。
ブランドバッグを持って、甲高い声ではしゃぐ女たち。
大量の買い物袋を地面に置いてスマホをいじる海外旅行客。
急ぎ足で駅へ向かうサラリーマン。
駅前にダンボールを敷いて横たわる、帰る家の無い人。
その横で荷物を散乱させたまま大の字で気絶する大学生らしき男。
ふいに、はっと息を飲んだ。初めて、私は人が生きているのを見た気がしたのだ。もしかしたら私は今までずっと、地べたに足がついていなかったのかもしれない。今まで見ていた光景とは違う、人が私と同じ「生き物」として、存在していた。私の下にでも、上にでもなく、同じ地べたの上に。
色んな人が生きてる。
では私は、どう生きるのか?

「もしもし、佐々木、大丈夫か?」
翌朝、私は電話口の向こうで上司の声を聞いていた。どうしても伝えなきゃいけないことがあるからだ。今の私にとって、生きる、ということは何なのか、自分に聞かせたかったからだ。
「会社に、戻りたいです」
私ははっきりと言った。腹の底に怒りにも似た熱い気持ちが湧き上がっているのを感じていた。
電話の向こうで、上司が少し困ったような様子であるのが伝わってくる。
「もう少し、休んでも良いんだよ?せっかくこんなに休みが取れるんだから、いい機会だと思って、時間を有意義に使ってみたら?」
「いえ、もう十分です」
私は絶対にこのレールを降りたくなかった。絶対にこの椅子は誰にも譲るもんか。
自分の心の声を聞くのが大事、とか
人と比べるのは良くないよ、とか
完璧主義は自分を苦しめるよ、とか
皆に合わせなくていいんだよ、とか
全部嫌というほど聞いた。
「自分をもっと大切にしなさい」
もううんざりなんだよ。
私は折れた首を、もう一度くっつけるために、また大輪の花を咲かせて、枯れることなど無いって顔をするために、この命を使い果たしたいのだ。
頭の中で、ハエがたかるみたいに、呪いがつきまとう。
私はそれを払おうと躍起になって、全力でその場から走り去ろうとする。
このまま、どこまで走っていったら逃げ切れるんだろうか。
どこまで頑張ったら、全て報われる日が来るんだろうか。
心穏やかに、安心して暮らせる日が来るだろうか。
見えない、目の前にはどこまでも雨が降っているみたいに無数のノイズが走っている。
いつか途方に暮れる、ということが私に出来るものか。
果たして今の私には分からない。今の私には、こんな風にしか、生きることが出来ない。

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