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ドラマ「マイルノビッチ」を観た

 ※作品のネタバレを含みます



きっかけ


 こんにちは。
 前回、ドラマ「顔だけ先生」を観た感想を投稿したけれども、そもそも私は何ヶ月も前から「マイルノビッチ」を見たくてHuluに入る気満々だった。

 何故そこまで「マイルノビッチ」を見たかったのか。
 私がファンとして応援している、俳優の三浦涼介さんが”木下ふわり”役として出演しているからである。

 ”木下ふわりは主人公の木下まいるの叔父、ファッションブランドの経営者。両親が仕事で海外に居るまいるの保護者として同居している。
 見た目は完全に女性であるが、れっきとした男性である。恋に悩むまいるにアドバイスをする。”

 こんな紹介文を見てしまったら、それはもう、見るしか無いのである!!!!!!!

美しすぎる…。

 というわけで、Huluオリジナルドラマ「マイルノビッチ」を全話視聴した。
 原作を読んでないので、どの程度再現されているのか、アレンジされているのかは分からず。調べてもよく分からなかったので、あくまでドラマだけを観た感想。ご了承下さい。


 

原作再現といえば

 
 この前、映画「カラオケ行こ!」を鑑賞した。

 私は原作漫画のファンなので、楽しみと少しの不安を抱えながら観に行ったが、再現とアレンジの具合がすっっっごく良かった。素晴らしかった。
 こういうのはただ映像化するだけでは意義が無いと思うので、そこをどう表現するのかというのも見どころであると考えるが、大前提として重要なのは「制作陣が原作をリスペクトしていること」だと思う。

 絵を描く人間として言わせてもらうと、最低限の尊重はあって当たり前なのだが、邦画においてそれがあることの方が珍しいのでは?と思ってしまう。

 映画「カラオケ行こ!」は、足される部分と削られる部分のバランスが良く、映像作品にする上で合理的な判断と演出であるのは分かったし、それでいて原作の印象を損なわなかったのが凄い。
 ひとえに、出演者含む制作サイドの原作へのリスペクトと愛情があったからだということは、パンフレットを読んでまた納得した。

 去年、映画館に観に行った「岸辺露伴ルーブルへ行く」もまぁまぁ良かったな。
 あのシリーズも実写でしか出来ない見せ方を割り切って工夫しているから、良いなと思う。


 何年か前、「東京ゴッドファーザーズ」の舞台を観に行ったことがある。
 私はこの作品の原作であるアニメーション映画が大好きなので、舞台化するに当たってどうアレンジされるかがとても楽しみだった。
 しかし、冒頭のセリフにいくつかコロナ禍を示唆するものが追加されただけで、ほぼ映画のままだった。
 とっても素晴しい舞台だったしそれはそれで満足したけど、ほんの少し寂しかったのも事実だ。


 原作をアレンジすると怒る客も居る…というか、そういう人の方が多いのだろうか?
 同じ物語でも、小説、漫画、ドラマ、映画、アニメ…媒体が変われば演出が変わって然るべきだし、それぞれにしか無い表現があるから、私はそれが見たい。
 せっかくならそこでしか見れない展開を見たいし、それが無いなら意味がないかなとさえ思ってしまう。
 とはいえ前述の通り、制作陣の原作へのリスペクトが無い改変であれば胸くそ悪くなってしまうのではあるが。

 「マイルノビッチ」は、そのへんどうだったのだろうか。
 ふわりちゃんのキャラクター造形が少し違うことくらいしか知らないが、とりあえずドラマを観た感想を書いていこうと思う。


感想 -良かったところ-


 このドラマを全体的に見て良かったなと思うのは、主人公がちゃんと努力して失敗して奮闘したところかなと思う。
 細かいツッコミ所はまぁ置いといて、やはり主人公が能動的に動いてちゃんと頑張ってそれに見合った結果を得ていくのは、最低限の面白さだと思う。(最初からチートみたいな異世界転生ものとは違って
 まいるがムカつく、という意見も見かけたが、それは好みだしな(それを言ったらそれまでだけど)。考え方が一貫してる完璧な人間なんて居ないし、芯が通っていることも重要だけどそれでいて矛盾するものだし、要は見せ方だと思う。

 シンデレラストーリーと言えるかもしれないが、ラストでまいるが言っていたように、ガラスの靴でしっかり歩いたのはシンデレラ自身である。


 私が「マイルノビッチ」の序盤を見ていて気になったのが、”美女と野獣問題”にどんな回答を出してくれるのか?、ということだ。
 ※”美女と野獣問題”とは、私が個人的に抱えている問題なので世間一般に提起されているものではありません。

 これがどういう”問題”なのかというと、ディズニーの劇場アニメを最後まで観た方なら思い出せると思うが、「結局野獣がイケメンじゃねーか!!」ということである。
 どんなに見た目がイカつくて恐ろしくても、心と心が通じ合えれば分かり合える、愛し合える…見た目よりも心だ!!
 という話なのだと思うが、野獣が結局イケメンな時点で「あっ??あ、ああ…美男美女の話ね。あーはいはい。」となってしまって、個人的にあのラストはモヤモヤする。ブスで陰キャの僻みか。すいません。
 これは伊集院光さんがラジオ”深夜の馬鹿力”で仰っていて、すごく共感した。

 しかし、このドラマにおいてこの問題はいつのまにかするっと出なくなっていた。
 というのも、まいるが好きな人のタイプ?みたいなのを箇条書きした時に、「見た目じゃなく自分を好きになってくれる人」と書いた時点で答えが出ていたと思う。

 ルッキズム主義については様々な議論があるが、なんだかんだ”人は見た目が九割”は事実だと思う。視覚からの情報が大きな割合を占めるのは客観的事実として、それはそういうものなのだろう。
 (化粧については、単純に顔色が悪かったり見栄えが良くないので、最低限は必要だと思う。髪とか髭とかも最低限整えておかないと単純に不潔なので、相手を不快な気持ちにさせてしまうからケアする必要が有るってだけで。美人とかブスとかじゃなく。)
 キリンの首が長いのは事実であって、その通りに絵を描いたって差別にはならないように、変えられない現実だと思う。脳がそういう作りになっているからどうしようも無い。

 ”中身の一番外側が外見”
 とは、よく言ったものだと思う。
 病気とか家庭環境とか、いろいろあるし一概には言えないが。
 けれども、ぽっちゃりな彼女もマッチョな彼も少し不潔なあの人も、私には無い部分を必ず持っている。

 見た目が優れないからって、虐めて良い理由には絶っっっ対にならない

 まいるのすごい所は、メイクをして綺麗に保つことを続けられることだと思う。彼女の几帳面なところが、結果として一番外側に出た形だ。


 あと、高校生の彼や彼女らの心理描写が丁寧だったところが好印象。モノローグ多くてちょっとテンポ悪かったけど。
 世界的にみたらすごく小さな問題でも、当人たちの世界の中ではすごく大きな問題で、それに向かって試行錯誤する話はどんなものでも面白い。主人公たちが子どもなら特に。


まいるの生い立ち


 そう、観ていて気になったのが「何故、まいるがこういう仕上がりになったのか」ということだ。

 「自己肯定感が低い

 と数名に指摘されていたが、私としてはそうなるに至った経緯がすごく気になる。
 まいるはどちらかというと、成功体験…というかそもそも挑戦した経験が少ないためにやる前から諦めがちで、「自分なんか」と思考する子になったんじゃないかと思う。

 最終回とかで親が出てくるのか?と思っていたがそんなことは無かったし、例によって原作漫画を読んでいないので分からないが。すいません。
 けれどもどうしても、両親の設定を捏造してでも想像せざるを得ない…本人の性格ももちろん大きいけど。
 多分、海外でバリバリ働いているのであろうまいるの両親は、「あんたはどうせ○○なんだからこれで十分よ」みたいに言う人だったのでは…?
 「こういう風になるにきまってるでしょ」「○○にしておきなさい」的な。
 で、まいるはまいるで親のことは尊敬してるから、「本当だ、お母さんの言う通りだ」と、ある種の思考停止に陥ってしまってたとか…??(勝手な想像すぎる!!)

 だから、まいるは「私なんか」と考える癖がついてしまって、見方によってはそれが「サボっている」ことになってしまったと考える。
 やればとことん続けられる力がある子なのに。


サボり人生だからだよ!!

 綾乃ちゃんが放ったこの言葉は、芯を食っていると思う。
 自分を変えたい、自分の状況を変えたいのなら”選択する”しかない。あるいは努力が必要だ。(時には”逃げる”ことがその選択肢だったって良い。それは悪いことでは無いから。)

 いつか誰かが…いつか白馬に乗った王子様が…なんて、そんな都合の良い話はあるわけが無い。自分の置かれた状況を変えたいなら、何よりまず自分が変わるしかない。
(まぁ…様々な環境や状況があるので簡単に言えることでは無いけど……世界は平等では無いし…運も才能の内と言うし。)
 そしてその努力に踏み出せるのは、本当に必要に迫られた時だけだ。


 ところで。ふわりちゃんは、まいるにどう接して来たのだろう。
 三浦さん演じるふわりちゃんが好きすぎて、これもまた考えざるを得ない…。

 「まいるは可愛いからもっと綺麗にしたら良いのに」

 みたいなことは絶対思ったし言ってたと思う。けど、逆にまいるに対して優しいふわりちゃんは「興味ないなぁ。私はこれで良いの。」とか言われたら、「あら、そう?」と引き下がっていたかもしれない。
 ふわりちゃん、忙しそうだしちょっと天然ぽいし…
 「まいるにはまだ早いかしら?ま、高校を卒業してからね♪」みたいな。
 あと、ふわりちゃんが規格外の美しさ過ぎて、まいるは「ふわりちゃんみたいになれるワケが無いし…」と思っていたかもしれない。

 たとえキノコでも、ふわりちゃんにとっては可愛い可愛い姪っ子には変わりないし。…つくづく、まいるにふわりちゃんが居て良かったと思う。まいるが素直さを忘れないで居られたのは、彼女のお陰かも。

 だから、まいるに好きな人が出来て化粧に興味を持ち始めたときは、すっごく嬉しかっただろうなと思う。

 あと、意外と二人の心の距離が縮まったのはあのファッションショーの回なのかもしれない。それまで、本音でぶつかりあって家族としての愛情を確かめ合う機会が無かったのでは。


 ていうか…ふわりちゃんと前原さんのその後が気になり過ぎるんだが…スピンオフが観たい!!!
 

我慢できずに本編を見る前に描いちゃったファンアート


男女の友情は成立するのか問題


 いや、成立するに決まってるでしょ。

 …と言えるのはあくまで私の価値観で、この問いの答えははっきり言って「人による」としか言えない。
 結局、人それぞれの性に対する価値観だし、百人いれば百通りの性癖があるわけで、全会一致の答えを出す方が無理がある。
 私は「異性同士の友情も存在するから同性同士の恋愛も成立する」と考えているし、体の性別より前に心があると思っているから。

 まいるが未来ちゃんのことを好きで尊敬しているのは、心からの気持ちだ。相手を尊重する気持ちがないと、他人同士が一緒に暮らすことは出来ないだろう。
 しかし、まいるにとって未来ちゃんは”キスしたい相手”では無かった。その好きは、子供の頃から培った”家族としての愛情”だった。そこが彼とは乖離してしまっていた。

(ていうか、7話を見ていたらオシャンティーなBARでふわりちゃんが物憂げな瞳で「私とキスしたいって思いますか…?」と言ってきて、すごく焦った〜〜!!心臓に汗かいたよ(^◇^;)
あのシーンだけ百回見返しちゃった、、、)


 最初、観ていて「まいるに合うのは彼女の素の部分を”面白くて可愛い”と言ってくれる人だよ!」と考えていたら、成くんが現れた。
 あの頃のまいるは、恋に恋していたな。
 気を使い合わないと一緒に居られない関係は、やはり続かないよな。恋をするにはトキメキあえる二人だったけど、愛には発展しなかった。


 で、天祐先輩は個人的な好みの関係性で言うと”異性同士の親友”に落ち着いても良かったかなと思う。
 でも、一緒に居て自然体でいられる居心地の良い相手ってすごく大事だし、その相手が”キスしたい”と思える相手なら、恋愛関係においてもうまくいくだろうな。
 自分が助けてもらったと思っていた相手がその実、相手にとっても自分が救世主だったのって胸熱だ。



感想 -「ん?」と思ったところ-


 私は恋愛ものをほとんど見ないので知識が無く分からないのだが、「タイミング悪く居合わせてその現場を見ちゃう」みたいなのってよくあることなのか…!?
 これって現実でどのくらいあることなのだろう?遊ぶところが限られた田舎とかなら有り得るかもだけど…。御都合主義というか…。

 御都合主義といえば!!

 最終回でトラックが突っ込むのはちょっとムムムな脚本なのだが(笑)
 じわじわ上がった好感度が、7話の次回予告でこのシーンを見た瞬間に地の底に落ちかけた…。
 人の死を都合良く物語の展開に使うのは悪手じゃよ…。
 天祐先輩、足くじいただけだったけど。だったら尚更…。ていうか気を失うほどって大丈夫か?!軽い脳しんとう?MRIちゃんと撮ってるよね??(親目線?)

 ちなみに「いやいやこの子は元から可愛いやんけ問題」については、まいる役の桜井日奈子さんの変顔?が良い味出していたかなと 笑
 まいるの友達が少ないのは、こういう挙動にあるのでは…という妙な説得力。あとガリガリに痩せてる子じゃないのが良かった!可愛いよ!
 ↓この動画で「三浦さんがあまりに美しくて…」と目ん玉ひん剥いているのを見て、面白い人だなと思った。



 少女漫画って本当に嫌な女が出てくることあるけど、それが無かったのも良かった。
 綾乃ちゃんについては、グラウンドの水飲み場で彼女の方から話しかけてきた時点で安心してた。好きの反対は無関心だ、と私も思うから。(マツコデラックスが言ってた)


 というわけで、ドラマ「マイルノビッチ」、結構楽しんで見ました。面白かった。
 もう、ふわりちゃんのことしか考えられない…。
 
 

その他、最近観た三浦涼介さん出演作品


・ミュージカル黒執事
 この辺は漫画読んでたのに完全に忘れてた。
 ミステリアスさと妖艶さ、ちらりと見える激情。今年2月の舞台「SaGaステ」のバルテルミーと近い役柄かも。
 シエルと出会ってからの揺らぎとラストの儚さ…流石の表現力だと思う。

 石丸さち子さんがオイディプス王のインタビューで「この世界で起きるどうしようもないことに喜んだり悲しんだりしている現実の人間の雛型に自分の身体を使ってなれる人、それを現実より少し美しく表現できる人が俳優になれると大学時代に教わった」と、話されていたのを思い出していた。


・仮面ライダーオーズ&ダブルfeatスカル MOVIE対戦CORE
 アンクあんまり出てこなかったな。でも久しぶりに映司くんが見られてほっこり。やっぱり復コアは許すまじだわ。(その話はまた今度…)
 バースとタジャドルの初登場はこれだったのか!

・オーズ電王オールライダー レッツゴー仮面ライダー
 こんな記念すべき作品にオーズがメインとして出ているのが嬉しい。
 それなのに復コアはさぁ…(また笑)
 電王懐かしいなぁ、電王まではリアタイしてた。アンクとモモタロスが喧嘩したり憑依されたり、見応え抜群!
 久しぶりに当時のアンクを見たけど、まばゆさがすっごい。すごくきらびやかだ…。


 次はMEGA MAXと平ジェネ。あと映画「PIECE〜記憶の欠片〜」。ごくせんもHuluで見れるから見とくか…ていうか、ごくせんも当時見てたと思うんだけど…私はその時すでに三浦さんを見てたのかなぁ〜〜、、、(知らんがな〜)


 あと最近、好きな声優さんのトークショーでドラマ「一番好きな花」?「サイレント」?がすごく良いって聞いて気になってる。
  

 そんな感じで、また。

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