見出し画像

ドラマ「顔だけ先生」を観た

※作品のネタバレが有ります


 


きっかけ

「これ見に行くの?」

 心休まらぬ正月から数日経った頃、母からそんなLINEが来た。
 その一文とともに送られた画像は、とある雑誌の記事を写したものだった。

 ”舞台『呪術廻戦』 三浦涼介さんインタビュー”

 写真や記事の内容から、先月発売されたananのインタビュー記事だと分かった。
 もちろん三浦さんの記事が掲載されたことは知っていたが、SNSを見ていて小さめのコーナーの記事であろうと思われたことから、数百円でも節約したい私は購入を見送ったのであった。
 発売から数日後にはWEB上にもインタビューが公開されたのでそれで満足していたところ、母が偶然にもその雑誌を購入していたのであった。

「気になる占いが載ってたから買ったんだー。捨てようと思ったんだけど、これあんたが好きな俳優さんでしょ?」
 「さすがお母さん!!!気づいてくれてありがとう…そのページ切り抜いてとっておいて!」と、お願いしておいた。(ちなみに私は今回のじゅじゅステは諸事情あって行かない。)

 母が撮った写真の”過去の主演作”の項目を見ていて、気になるタイトルを見つけた。

『顔だけ先生』

 三浦さんが近年レギュラー出演したドラマ作品で私が見ようと思っていたのは『マイルノビッチ』であったが、それ以外にもあったのか…とまだまだ新参者の私は早速ググってみた。

「早坂優一
 音楽教師。ゲイであることをカミングアウトするきっかけを作ってくれた亀高先生(貫地谷しほり)とは親友。」

 …むむ。
 音楽教師の設定で貫地谷さんと親友??ぴったりだし見たい、これは見ないといけないやつでは。
 そこで、こんな記事も見つけた。

 ほんまに眼福やわ〜(^^)
 …って、んん!?貫地谷さん演じる亀高先生とはお家で飲んでるシーンもあるの??しかもお揃いの部屋着など、二人で決めながら撮影したと?うーん、めちゃめちゃかわいい。
 フジテレビ系列ってことは、『マイルノビッチ』と同じくHuluで見れるのでは?と思ったらその通りであった。
 というわけで、1月のこの三連休で全話鑑賞することにした。

 アカウントを作って検索をかけてみて、オーズも黒執事のミュージカルもごくせんも、渡辺秀さんと共演した映画「PIECE」も観れると分かって驚いたのは、また別の話である。


感想

 『顔だけ先生』を観てのざっくりした感想としては…

良いなと思ったところ
 ・先生も生徒にも「生きづらさ」がちゃんとあった
 ・”すっごい嫌なやつ”や”人の死”に頼らずに展開していた
 ・遠藤先生にもちゃんと失敗や恐れがあった(神尾楓珠さんの影がある笑顔が良かった)
 ・親と子の関係の描写
 ・ぱやぱやしない現実感

気になったところ
 ・八嶋智人さん演じる教頭が物語のための駒に見えなくもない
 ・ご都合主義感?
 ・学生時代の嫌な思い出が突き刺さりまくって「やめろぉぉぉお!」となった(笑)

 …という感じで、賛否で言えば”賛”である。
 そもそも、邦画や邦ドラマ(こんな言い方はあるのか?笑)をほとんど見ない私にとっては、学園ものということもありちょっとドキドキしていた。
 しかし、「同調圧力ってなんですか?」「努力は必ず報われる、んですか?」「死にたいと思っちゃダメですか?」というサブタイトルを見て、「あ、大丈夫そうだわ。」と思った。
 そして、その確信は当たっていた。


良かったところ

・先生も生徒にも「生きづらさ」がちゃんとあった

 私もいつかは”大人”になる、と思っていた。
 20歳(私の時代の成人年齢)になれば、そうなるものだ、と子供の頃は漠然と思っていたが、蓋を開けてみれば心や考え方は中学生で止まったまま年齢だけ重ねていた。
 というか、”大人になる”ってどういうことだと思っていたのだろう。
 落ち着きがあって、なんでも知っていて、自分のことを助けてくれる人?

 子供にとっての身近な”大人”は、親と先生である。
 そんな自分の理想に応えてくれないから、子供は「お母さん/先生は何もわかってくれない!」と怒るのであろうか。

 亀高先生がむしゃくしゃした時に「わーっ!」と叫んだり頭を掻きむしったりする姿は、すっかり”教師側”になってしまった私には共感できたし、生々しくて良いなと思った。(”推し”と顔が似ている人を採用する俗っぽいところも…笑)
 ”教師側”になってしまった…そう、年齢も社会的地位も。朝起きて職場に行って帰ってご飯食べて寝るのを繰り返すだけの日々を、私も生きている。
 どうやら、そういう意味では私も”大人”になっては居るらしい。
 理不尽なことに耐えて嫌なことでも仕事なら割り切って、それでも時々爆発してしまう大人に。

 この時、自分なら生徒にどう声をかけるか?と考えながら見ていると、薄っぺらな綺麗事ばかり並べる”大人”に、私もなっていた。
 自分の家族と教室(あるいはバイト先)しか知り得ないながらも必死に抗うティーンが、「そういうことが聞きたいわけじゃない!」と憤慨してしまうのももっともだ。

 そんな彼女や彼らの前に現れたのが、遠藤先生(神尾楓珠さん)だった。

 「こういう先生に、大人に、こういう風に言ってもらいたかった」
 そう感銘を受けた生徒を描いたエピソードとして象徴的なのは、やはり第一話で頭を丸刈りにした彼女だろう。
 その彼女に対しても最終的に「皆そんなに君のこと見てないから大丈夫だよ」という遠藤先生の距離感が、ちょうど良い。

 そう、遠藤先生が好かれるのは「授業中好きなことをしてて良いから」かもしれないが、干渉し過ぎて来ない彼の接し方を生徒たちが無意識的にも分かっているからだと思う。


第一話の序盤でいきなりこんなシーン出てきてビックリした。



・”すっごい嫌なやつ”や”人の死”に頼らずに展開していた
・遠藤先生にもちゃんと失敗やが恐怖あった(神尾楓珠さんの影がある笑顔が良かった)
 
 退学して工場で働くことになった男子学生の母が亡くなった展開には、「おっ」と思ったけど、無理はなかったしそういう子も世界中に居るよなと思ったので、そこまで気にはならなかった。
 あと、この作品には「視聴者の同情を誘う回想シーン」みたいなのが無くて良かったかなと思う。
 生徒も教師も短所がちゃんとあったし、それに至る原因も仕打ちも描かれていたと思うし、「可哀想な自分」をひけらかそうとしたところで遠藤先生がスパっと指摘してくれたから、そういう印象なのかもしれない。

 そんな遠藤先生が最終回で流した涙は、すごく人間らしかった。
 完璧な人間は居ない、そして人間は一人では生きていけない。
 友人であれ恋人であれ、そんなときにタイ料理屋に誘ってくれる人が彼にも居る。そういう人が生きていく上では大切なのだ。

 ”友達をつくります”
 去年観に行ったとある映画で、印象に残ったセリフだ。


・親と子の関係の描写

 未解決も解決済みも含めて様々な事件をよく調べる私にとって、”そうなるに至った環境”というのは、切っても切れない要因であると思う。

 どうしてそうなってしまったのか?
 生まれ持ったもののあるとは言え、被害者・加害者含めて育った環境や親の性質と教育(あるいは貧困)はその人格に多大なる影響を及ぼすことは明白で、親が証人として出廷した裁判の記録や、傍聴した人の記録を読んでいるととても興味深い。
 この作品には”残念な親”もちゃんと出てくるけど、ただ悪いやつではない。彼らなりの愛情があっての行動で、でもそれが本当に子供のためかは別だし、対応する先生も聖人君子では無いのである。
 親になったからって、誰しもが”大人”に成れるわけではないんだな、と最近よく考える。
 
 親、子供、教師…大人と子供たちが奮闘する中、どこかからやってきた遠藤先生が場を踏み荒らした結果、なんとかなってしまうのであった。


・ぱやぱやしない現実感

 三浦涼介さん演じる早坂先生のお誕生日、亀高先生が「お母さんとは仲良くしたほうが良いよ」と電話を繋いできたのは「おいおいコイツ正気かよ?」と思った(笑)
 親といえど他人だし。その証拠(?)に、しっかり早坂先生が「あの後母とまた電話で話したけど、喧嘩した。」と言ってて安心した。
 というのも、これで「仲直りした」とか言ったら「なんだこのぱやぱやした脚本は!!んなわけあるかい!!!」と感じていただろうから(笑)

 早坂先生の繊細で面倒見が良いところ、どうしたの?と声をかけてくれるけど、言いたくないことはあえて聞かずにそばに居てくれそうな優しさが、三浦さんの表現力だなぁと思う。

 不登校のあの女の子も次の日から学校に来たとかでは無かったし、大久保くん(弾き語りしてた子)と彼に片想いしてた男の子もくっつくわけではなく、ところどころ現実的で良かった。
 「俺、女の子が好きだから。…でも、10年後は分からないよな。」
 う〜ん、いいねぇ。


女児の心を忘れない二人の飲み会。可愛かった。


気になったところ


・八嶋智人さん演じる教頭が物語のための駒に見えなくもない

 主人公の前には乗り越えるべき障壁が有り、それと対峙するのが物語の要である。そのための都合の良いセリフを言わされている人物に見えなくもなかった、ということである。
 教頭の言動は「あれはダメだったのにこれは良いの?」という部分も少しあったけど、こういう大人って沢山居るよなぁ。
 これで生徒にも先生にも理解がある人だったらそっちの方がつまらないしね!
 何より八嶋さんがどう出てくるかが毎回楽しみではあったし、これくらいコミカルに演じてもらわないとキツかっただろうから、良いバランスなんだろうな。



・ご都合主義感?

 中村先生(和田聰宏さん=私にとっては桃井タロウのお父さん🍑ドン!Don!ドンブラザーズ!!)と蟹江くんのお父さんが同級生だったり、奇ル子ちゃんが不登校のあの子で、死んじまえと言われた相手が山路さん(眼鏡っ子)のお父さんだったり、「世間って狭いなぁ…」と思ってしまったけど、
 別にそこが最重要事項では無かったし、あの尺でまとめるにはそうするしか無いし、言うても気になったのはそのぐらいだから大したことではないか。
 


・学生時代の嫌な思い出が突き刺さりまくって「やめろぉぉぉお!」となった

 私も教室の中ではマイノリティ側だったので、散々嫌な思いもしたしその中で「生きづらい」感情を知ったから、トラウマが蘇ってやばかった(笑)
 
 あとこの作品、登場人物のモノローグが無かったのが良かったな。


雑感

 ”生きる意味”なんていう、立派なものってあるのだろうか。今のところは「無いだろうな」と考えている。(10年後は分からないけどね?)

 ”生きる意味なんてあるわけないじゃん 作るしかないじゃん”
 私の好きなUVERworldの「境界」という曲の歌詞である。

 今隣にいる大切な家族や友人が元気で居てくれて、自分は仕事に文句言いながら休日には好きなこと出来ていれば良いかな。

 ”芋にたい”

 望んで生まれたわけでも無いけど死にたくも無いし、世界は地獄のようではあるけど(ネガティブすぎる文章)、それでも家に帰ったら”芋にたい”な、それを誰かと分け合ったら楽しいな、と思うと楽しくなれる。そんなもんで、生きてて十分。

 ”生きることは開き直りだよ”
 最近久しぶりに読み返した、はらだ先生の「ワンルームエンジェル」にそのようなセリフがあった。

 ”気にしすぎないことがライフハック”
 Togetterを見ていたらそんなまとめがあった。

 それも一つの答えだと思う。極端なのは良くないけどね、何事もほどほどに。いわゆる”中庸”である。大事。

 元気が無い時、自信が無くなってしまった時に、いつも私は「ファミリー!」という少女漫画のとあるセリフを思い出す。

”あんたそんなに自分のことが分かってるなら、もう大丈夫よ。”
”そういう時って、タイミングが悪いだけなのよね。”

 これに、”芋にたい”を足しても良いかもしれない。

 ”死にたいじゃなくて、芋にたい、なんじゃないですか?”


 というわけで「顔だけ先生」、結構面白かった。観てよかった。
(三浦さんのスーツ姿もラフな姿もたくさん見れて良かったし、校内イケメン選手権の話は『いや早坂先生が優勝だが?』と思った。)


 舞台『呪術廻戦 ―京都姉妹校交流会・起首雷同―』上演中!
 三浦涼介さんは五条悟役で出演されてます!
 配信もあります!!(宣伝)


 これを描きながら、三浦さんがジョーカー役として出演した「ミュージカル 黒執事」を見た。明日からは「マイルノビッチ」を見るぞ。そしたらまた何か書く。
 では、また。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?