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あゝ、浪速の豪砲よ

 書くまでもないだろう。
 先日の朝、衝撃的なニュースが飛び込んできた。
 オリックスで19年間の選手生活を過ごしたT-岡田選手の引退報道である。
 聞いた瞬間、覚悟はしていたにしても
「あぁ、遂に来てしまった…」
と心の一部が欠損する大きな感情の波があった。
 自分が幼少期にはじめて知った選手であり、暗黒期真っ只中であったオリックスの背中を追いかけていた祖父母の横で見たテレビ画面の中。T-岡田の背中は実に頼もしく見えたものである。
 何か記す事は…
 と思ったが、やはり暗黒期真っ只中の時期では
『T-岡田が打てば必ず勝つんだ』
と幼少期は何も知らないなりに考えて祖父の横に座ってCSの野球中継を祖父と一緒に見つめ、浪速の豪砲の活躍を見守っていた。
 本当に何も知らないのが実に惜しいのだが、キャラクターも濃かったあの頃のオリックスを見れていたのは今思うと実に幸せな事ではなかったのだろうかと言い聞かせたくなってしまう。
 今のフレッシュで若々しくなったオリックスも捨て難いのだが、あの暗黒期を早く抜けようと一生懸命に踠くオリックスも、また違う面白さがあったように思うのだ。
 自分にとっては、もう1つ大きな思い出がある。
 はじめてオリックスを知った時、率いていた監督はT-岡田の覚醒へ向けた火付け役となった岡田彰布監督だったのだ。
 本当に何の偶然かと思うのだが、自分は…
 それまで幼少期も本当に記憶のない頃によく神戸に連れて行ってもらった時期があったようだが、物心ついてはじめての観戦で指揮を執っていたのは岡田監督だったのである。
 その時の対戦相手は、西武。
 監督は確か渡辺久信監督だった…
 と記憶しているが、片方は正式な監督として。もう片方は代行監督として再びベンチに入っている実績は非常に大きいものがあるだろう。
 う〜む。どうにも文字に纏まらないのが悔しいところだ…
 T-岡田の功績として大きいのは、やはり
『王貞治以来の22歳での本塁打王到達』
だろうか。
 これは『T-岡田』という選手を語るに於いて欠かせない話題であるだろう。
 どのチームであれ、
『王貞治以来の記録を塗り替える』
というのは大偉業になってくると思うのだが、それだけの活躍を残したのは非常に大きい。
 そして。
『オリックス・バファローズとなって初のドラフト1位で獲得した選手』
であるのも歴史として大きい。
 球界再編を平成16年に迎えて翌年、平成17年のドラフトで1位使命したのが現在のT-岡田だったのである。
 今回の写真は、自分が最後にその姿を見た舞洲での2軍戦の様子だ。
 今年は覚悟の年として戦ったものの、打率は.123であり本塁打も1本だけ。
 引き際を決めての決断であった。
 まず、思ったのは天国に旅立った祖父である。
 どのような大スターがオリックスに登場しようと、祖父が元気にテレビに向かっていた時期の希望はT-岡田であった。
 主砲としてチームを支え、オリックスの顔であり続けた。
 引退宣言の新聞を購入したので、近々霊前…遺骨に向かってその話を伝えて来ようと思う。
 天国から拍手をきっと贈ってくれるだろう。
 あまりにも衝撃が大きく、文字がまとまらないのをお許し頂きたく…
 一先ず、お疲れさまでした。
 もう、プロ野球選手たちの引退報道が出る季節なんだなっていうね。

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