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ACT.5『さらば、西九州』

つづき

 いよいよ、長崎に別れを告げる時が来た。
 名残惜しいがこれで今回は…となる。次は新幹線に乗りたいと確かな芯の目標を抱く事が出来、何か的を定める事が出来たのは大いなる成果だったように感じている。
 高架ホームに響く、西九州新幹線の案内にはとにかく最後まで違和感だった。
 西九州新幹線は実質上、武雄温泉までの区間が新幹線として営業されている。武雄温泉から先の切符の販売や乗車は運賃制度上可能になっているものの、列車案内としては「かもめ 博多」などと少し統一された方式になっている為、いかにもそのまま新幹線が武雄温泉からレールを振り替えて侵入していきそうな案内を流している。
 こんなので大丈夫なのだろうか、と憂う気持ちになったがきっと半年が経過して何か攻略のヒントは掴まれたに違いない。
 冒頭の画像、D&S観光特急「ふたつ星4047」も早速見送りの自治体や沿線民の姿が現れ、その存在を示しているという。
 西九州の変革は少しずつ進行し、人々に新たな印象を与えているようだった。

海を眺めて列車は征く

 今回は博多方面へ戻る際に、大村湾沿いに並行して走行する「大村線」を経由して帰る事にした。
 初っ端の諫早方面を経由する長崎本線の道は一応通ったし…と何か割り切った気持ちになり、そのまま佐世保行きの「区間快速 シーサイドライナー」に乗車して佐世保方面へと向かった。
 区間快速…の名前に相応しく、長崎を出て浦上に停車した後には加速力をグングンと引き上げて長崎の街並みを惜別の余韻なく突っ走り、あっという間に諫早方面に到着していた。
 写真は大村湾に差し掛かった千綿駅付近の写真…だがどうも寝ぼけていて覚えていない。
 この区間では快速運転の俊敏さを堪能するつもりがいつの間にか寝落ちうたた寝しているという有様で、何か楽しめなかった現状を大きく後悔していると言っても良い。
 西九州新幹線の開業に伴って開業した謎駅、「大村車両基地」なども気になっていたが、「爆睡」の名の下お預けになってしまった。訪問できていたら、綺麗な新幹線の姿を観測できていたのだろうか。今はそんなことを思いながら記事を書いている。

 それにしてもこんな開けた場所をグングンと走るのだから気持ちが良い。時々覗いてくる晴れ間と綺麗な大村湾に胸を打たれつつ、暖色系照明で彩られたYC1系の車内が少し暖かく華やかに香った。
 グングンと加速する体感的な気持ち良さはきっと車両…の恩恵もあるのだろう。気動車の旅情的な雰囲気も捨て難いが、やはり新型の電車に乗車して技術や土地に適応するとは何たるかを学ぶかも実に良い経験だ。

 しばらくして、洋風…な建築物が目に留まる。長崎が誇るテーマパーク、ハウステンボスが近付いた証拠だ。
 この建造物はハウステンボスではなく、近隣の別施設の建物のようだが一体何だったかを忘れた。(あまりにも不覚が多すぎる区間だったのを猛省したい)
 この周辺、そして先ほどの海を眺めた千綿駅については過去に「青春18きっぷ」のポスターにも採用されて話題を呼んだ。
 若者の希望と憧れ、そして高鳴る胸を揺さぶった希望の光に手を振って、列車はハウステンボスに到着した。

オランダか、そうじゃないのか

 ハウステンボス駅に到着すると、真っ先にこんな情景が目に飛び込む。
 植わったチューリップもそうだが、実に国際色の豊かな風景だ。
 先日の宇佐市もそうだが、九州という大地は少し日本と海外を反復横跳びしている感覚がある。この駅は何か、それこそ新幹線・長崎とは異なる欧風感を感じて惹かれ下車を試みた。
 駅からこんな写真が撮影出来る環境、とあり線路には「立ち止まっての撮影はご遠慮ください」の表記もあった。列車が発車した後に動線が出来たので撮影した光景だが、非常にコレだけでも色々な意味で洒落ている。

 ハウステンボスの駅舎はこのようになっている。何かこう、海外の鉄道としての風情を演出しているようなパークの延長のような感覚になり、少々居心地が鈍い。
 今更色合いについて思い出す…面があるが、この煉瓦造りの駅舎と緑の装飾は「きかんしゃトーマス」初期(模型期)の「ファーカー駅」を思い出す配色だ。
 駅の規模こそ全く違うが、異空間に訪れたというか海沿いを眺めて列車で国境を渡った感覚になる。
 この日は土休日とあって多くの乗客が降りていた。皆同道をハウステンボス目指し歩いてゆく。記念下車には勿体無いような駅だった。

 ハウステンボス、というのは「モナコ王国」と敷地の広さが同じ欧風テーマパークリゾートなのだという。
 調べて判明したが、「オランダ」を軸にした「街」をテーマパークに建造したのだという。そして花と光が織りなす光景…とあり、更にはパーク内には歌劇ショーが楽しめるシアターにアスレチック施設、そしてハウステンボス内で1泊できるホテルまで用意されているというのだから驚きだ。
 本当にオランダ・モナコに渡航した気分になれてしまうかもしれないとさえ調べた後には錯覚してしまった。
 最後に。この撮影アングル北海道発旅番組「水曜どうでしょう」でのアングル(多少)を意識したものだ。
 大泉洋が「行きたい」と懇願したが事情により(時間がなかったから?)行けなかったオチが付いていたような記憶があり、サイコロの旅でこの駅に来ていた記憶がある。


 駅には丁度、783系「ハウステンボス」が停車していた。
 日帰りの乗客が次々と切符を入鋏しており、特急「ハウステンボス」に乗り込んでゆく。きっと車内は楽しかった笑みを乗せて溢れかえっているのだろう。
 特急「ハウステンボス」といえば485系由来のカラフルな赤ベースのパッチワーク塗装が未だに頭から離れないが、ハウステンボスの「アトラクション」に併せるとこの塗装、このビジュアルの方がしっくりと似合うのだろうか。
 自分の思い描いていた伝統塗装に出会えなかった事は残念な話だが、今はこうしてJR九州復権の鍵を託された783系の姿を拝めているだけで幸せな気分になれる。
 欧風に仕立てられたホームと調和するリゾート特急の姿と、思い出を詰めて乗り込む乗客を見ながら自分はこれから思っていた。

イメージとはそんなものでは?

 ハウステンボスから早岐に抜けるか、そのまま大村を引き返して諫早から帰るか迷った。
 時刻表を確認すると行き違いが近くの駅であったので、待ち時間を何処かの駅で過ごすことに決めた。
 と、そんな訳で下車したのは「小串郷」駅。本当に小さい駅で、駅員や改札をしている人すらいない駅だった。
 列車が到着してからは自分で運転士に下車を申告して降車し、そのまま諫早へと消える列車を見送っていた。
「青春18ってこんな感じの駅ばっかり行くの?」
というか、
「乗り鉄さんってこんな駅に行くの好きそうだよね」
とジワジワ質問されるような声が浮かび上がり何か歯痒い気持ちになる。
 結局この駅でも全然落ち着けなかった。

 駅にはこのような由来が存在しているようだった。
 自分の近くには「艦隊これくしょん(艦これ)」によって日本海軍に魅せられた人間が何人かおり、そんな人々は派生して日本の軍隊にも興味を持つのを見ていった。
 そんな彼らを思い出すと、これらもまた大きな意味や感動を成しているのだと感じた。
 そういえば百田尚樹氏の小説、「永遠の0」では西九州地区…ではなかったかもしれないが、九州から飛び立った戦闘機の話が存在していたような記憶がある。
 戦闘機と九州…で云えば「知覧特攻隊」は切っても切れない話になるが、こんなふと下車した駅で昭和の激戦について思いを巡らすとは考えもみなかった。

 小串郷駅のホームはこのようになっている。
 結局ソワソワしただけの待ち時間だったが、列車待ちを派手な駅で過ごすよりは個人的に賢明な判断だったように感じている。
 YC1系が結局来てしまったが、この駅とちゃっかり同化している辺り、この電車も「日本」が故郷の「日本」の電車なのだろうか。
 いつまでもこの駅とこの情景が消えないでほしいと願った。
 再び乗車して、早岐方面に向かう。改めて佐賀方面に戻ることにしよう。

飛んでしまいました

 早岐での乗換は非常に短い時間での間であった。そして、ここで再びのキハ40に再会。また偽ソニを引いたが、実際の在籍率はどうなっているのか個人的に気になる。
 結局ここでは個人的に開き直って、次の旅路を敢行。そのまま延長戦を決め込む事にして早岐から先の列車内では次の行程を考えていた。
 家族にバレないように行っていたが、知らずにバレてしまい
「未練しかないんかアンタは」
と呆れられたのも何かの思い出だ。
 行く行くに記していくので継続して読んでいただけると非常に嬉しい。
 そのまま武雄温泉にて下車した。
 新幹線も大村を通っているが、コチラはグルっと長い時間かけてようやく到着したような気持ちになる。佐賀と長崎については新幹線完成までこのような気持ち…だったのかはさておき、新幹線の完成は大きなルート変化をもたらしたに違いない。
 そのまま武雄温泉にて下車したので、このあたりについて見ていこう。

 やはり注目はこの「西九州新幹線」ホームだろう。
 長崎の少し目線上がり気味の感覚も非常に良かったが、コチラの佐賀側、武雄温泉の新在直通さながらの雰囲気もたまらない。
 在来線と新幹線が並んでいる姿は、一気に近代化した勢いを感じさせてくれる。
 目線が同じ位置に新幹線と在来線を見る事があまりない地域の人…からすると、この風景には本当に大いなる感動を覚えた。

 手前の線路はこのように「リレー特急」を受け入れる為の線路になっているのが特徴だ。
 西九州新幹線は現状、佐賀県を通して博多に…というのが理想なのだが、現時点でその見通しは立っていない。その為、このようにして博多・門司方面からのリレー特急を介してバトンを繋ぎ長崎までのアクセスを保っている。
 九州新幹線が博多まで全通するまでにもリレー特急方式は採用されており、新八代での787系と800系新幹線が並行して並ぶ写真を見た時は「列島の進化」を幼いながらに感じたものだった。
 現状、今の武雄温泉でもそれと同じような方式が採用されている。885系は博多までの繋ぎ役。そしてN700Sは長崎までの本丸、西九州新幹線として諫早まで走る主役。
 列車案内上では「かもめ」と通して長崎駅では武雄温泉から先も「佐賀、江北、新鳥栖…」と在来線停車駅を読み上げて1つの列車のように案内していたが、それはこの駅で
 「乗り換え」をして無理矢理1つの列車に完成させていた現状があったのだ。
「なんや、博多まで1本で行けへんのかい!!」
とツッコミを買いそうなお話であるが、非常に努力と涙ぐましい最善を尽くした良いお話であるようにも思ってしまう。

 逆側から。
 新旧かもめ、新在かもめを写したくてこのようなアングルで撮影したが、なんとなくこのホームに885系が入線してしまうとリレー特急ながらも新幹線のように見えてしまうからなんとなく不思議な感覚になってしまう。
 白色系の高速で走行する乗り物、という共通点は同じくなのだが結局、同じ位置に並んでしまったが…でこう錯覚するのは非常に面白いと思う。
 まさか、885系でこんな錯覚体験をするようになろうとは感じても考えてもみなかったところだ。

 武雄温泉の駅では観光案内所付近の土産物屋さんで甘味…にこんなお菓子を買った。
 近くにはフリースペースとしてコンセントの挿せるテーブルがあったが、無銭で使うのも個人的には偲びない気持ちにさせられたので使用料に…として一息ついた。まぁ、次の列車までは時間もあるので。
 観光案内所の女性案内人と少し話を交わした。
「新幹線が出来て変わりましたか?」
「変わりましたね。人の流れも変わったし、アクセスとかも。どちらからですか?」
「京都です。実は西九州の新幹線開業寸前にこの駅の近くに来ていて…」
「京都ですか!?まさかぁ…」
もう1人の女性が名乗りを上げる。
「私、京都に行った事あるんですよ。青春18きっぷでね。」
「あぁ、ボクもなんです。」
非常に話し上手なお方だった。新幹線が佐賀県側に対してどのように恩恵を…というのも気になったが、個人的に気になっていた点を質問した。
「やはり新幹線が開業して、というとコレは熊本にて聞きましたが新幹線と区間が重複して特急が減便されてしまうんですよね。」
「そうなんです。よくご存知で。」
「いやいや。前回に九州を旅した時、偶々ですが熊本の方がそう仰っていたんです。それで、値段も倍になって少し博多と熊本の距離が金銭的に離れちゃったって…」
「あぁ、そうですね…こちらも新幹線が出来て特急が減って、少し長崎まで行くのは高くなりましたし、なんなら「特急」の走る場所は極端に変わって不便になる人と便利になる人は大きく別れました。」
「やはり…。新幹線の代償とは似たようなものですかね。」
「でもその代わりとして、ふたつ星っていうのが時間に余裕が出来て新しい仲間に加わりましたから、そういった観光需要に時間を割く事が出来るようになりましたね。」
「なるほど。長崎から今、博多へ向かっているのですが長崎にて「ふたつ星」を見送りました。良い列車ですよね。」
 新幹線の光と影、についてじっくりと話した。「新幹線だ!!万歳!!」と素直に笑える代償に、県民の何割かはハズレ籤を引いたかのような交通生活をしている事が会話で判明する。
 旅の路線も、こうして面白い知識で上書きされて行くのがまた良い。

実は

 武雄温泉では、「ふたつ星4047」との再会を果たした。
 「ふたつ星」…の速度は非常に遅く、特急とは名ばかりな営業で運用されている為、自分の乗車した大村線を追いかけているとは云え相当な時間がかかっていた。
 きっとこの区間を同じようにして速達列車で走行してみたらもう少し早くなっているかもしれない。
 そんな事を考えながら…というか、無事に「ふたつ星」
の到着を見届けると、少し気分が安堵したような気持ちにさせられた。いつかまた乗車してみたいと思う。

 「ふたつ星」はテカテカと輝く金の装飾が、夕焼けに混じると良い味を引き出せていると思う。
 個人的に感性に刺さった1枚を上げておく事にしよう。西陽を顔に当て、一仕事を戦い抜いたような安息感を出しているこの表情。
 何気なく垣間見た顔…ではあったが、実に良いものを見れたと思った。
 今回は長崎・武雄温泉と序盤終盤だけでの記録しか出来なかったが、ココを助走にして次は有名撮影地や大村の海岸線などで出会ってみたいと思った。

さらば、西九州

 いよいよ本当に西九州を離れてしまう2文字を見てしまった。
 この駅からは「鳥栖」行きに乗車し、鹿児島・熊本方面からの電車と合流して博多方面を本格的に目指してゆく事になる。
 行きは「江北」での短時間な乗り換えを挟んでいたが、今回は鳥栖まで乗り換えなしとの事で非常に長距離の無課金患者には有難い。
 久々に革張りの上等な座席に腰掛けて、距離が遠くなってゆく大村湾への思いを募らせていった。さらば、西九州の大地よ。次回はこんな苦労をせずとも楽に突き抜けていけるようにお金を用意したい。

 非常に「長い」と言ってしまえばそれまでの思い出なのかもしれないが、旅情を感じるには良い列車だったと思った。
 途中の行き違い待ちでは西陽が良い度合いに傾きを見せ、鉄路を惜別のテープのように綺麗に飾ってくれたのである。
 写真としては幼子の頃にはあまり好かないだろう記録を駅名が示すように大町駅で仕留めたが、こんな記録も今となっては長距離が恋しく寂しい時に見返すと格別、そして万感の気持ちに駆られるのである。

 そのまま列車はエンジンの音を奏でて発車して行ってしまった。
「自分もあっちが良かったかなぁ…」
なんて思いが少し過るのだが、今の普通電車の革張り座席も非常に良い仕上がりだ。それに何回か乗車したし、まだ数える勢いとはいえ全国での乗車チャンスもある。
 佐賀方面と書かれたホームの乗車位置が切ない現実を教えていた。
 そのまま、佐賀、江北と過ぎて鳥栖に到着した。ここから先は再び北九州を門司方面に向かい、博多まで向かう事が決まっている。

次に向けて

 待ち合わせ…の時に撮影したリレー特急の姿である。「かもめ」が紫になってしまった現実も今やとうに突きつけられ慣れてしまったが、それでも新幹線にメインルートを半分転換され、「新幹線リレー」の使命を与えられ走る姿にはなお違和感しか感じなかった。
 さて、ここからは前項にも記したように北九州を残り少ない滞在時間で乗車して行く。自分も細かくは乗り降りの経験がない区間とあり、この時点で決め込んだ時はかなりの楽しみだったのを記事を作成して思い出した。
 先の道中にもご期待くださると非常に嬉しい。

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