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ACT.1『長崎へ行こう』

オープニング

 今回の青春18きっぷは、「大分を経由して九州を西側へ向かう。そしてゴール地点は長崎」と決定した旅路に仕上がった。
 自分にとってこの「長崎」の行き先が候補に浮かんだのは先に開業していた西九州新幹線もその一つになっていた…が、もう一つは
「青春18で西へ向かうにあたって九州は良いな」
と予々の考えがあり、その中で迷って「長崎」の文字が浮かび始めてきた。
 そして「長崎」が本格化し決定となったのが、3月の中旬に迫り始めた頃。
「もうコレは使わなきゃマズいな」
と思った時だった。行先を決めなくてはならない。
「取り敢えず軽い気持ちで決めてみようか」
ということで、(この時決まっていた)センバツ高校野球のトーナメント表を発見した。
 我が地元の京都は龍大平安。そして対戦する高校は…
 長崎日大だった。
 長崎行きが決定した瞬間である。取り敢えずボンヤリ浮かべていた九州行きの行程が崩れなくて良かったなと一安心したが、こんな偶然もあるものかと感心してしまった。
 どうでも良い話になるが、長崎日大の高校は諫早市にあるとの事。今回の旅でも通過することになった。
 さて。長崎と決めたからには移動手段を決定させよう。
 早朝に京都から下関へ向けて関門トンネルを…というのもあるが、コレは非常にリスクが高い。九州にまず入らなくてはならないのだが、コレはフェリーを利用する事にした。

大阪に行こう

 関西〜九州フェリーは主に大阪から出港している。大阪を南の方に向かって泉大津から乗船する手段も考えたが、幾分京都から近い身の上だ。
 阪急に乗って大阪市内に入り、そこから地下鉄中央線に乗車。そして終端のコスモスクエアに向かい、新交通システムであるニュートラムで大阪南港に向かって南港地区からフェリーに乗船する事にした。
 写真はまず、中央線の写真。本来なら淡路→堺筋本町での乗り換えがイチバン早いのだろうけれど、阪急特急で40分間も爆睡した自分にはこの道が精一杯だった。当然、梅田乗り換えである。

 本町〜コスモスクエアにて乗車したのは近鉄7000系。車内に響き渡るGTO-VVVFインバーターの音が何かと緊張を刺激してくる。
 車内には「近鉄電車」とあって志摩スペイン村の広告が堂々鎮座。実はこの少し前に三重にいる祖母を訪ねて近鉄で向かっただけに、このスペイン村広告を九州行き直前で見ると不思議な感覚になってしまうものだった。
 つい最近行ったんだけどな…
 周央サンゴというバーチャルYouTouberらしい。志摩スペイン村が好きすぎて、その魅力を雄弁にネットで語って配信したところ公式に発見されて大使に任命されてしまい、しれっと園内キャラのような扱いを受けてしまうまでに成長した「令和の座敷童子」のような存在だ。
 志摩スペイン村はこの影響で多くの入場客を獲得し、信じられない盛況ぶりを見せたと東海地区のニュースや全国のネットまとめが報じていたのを思い出した。しっくりくる表現、で云えば「リアル・甘ブリ」なのかもしれない。(気になった方は甘ブリを検索してみて)
 とそんなところではなかった。

九州上陸失敗?

 コスモスクエアに到着は良いものの、結局仕事の都合で17時出港の門司行きには乗船できなかった。続く19時出港も残席が少なく、到着は遅い。
 しかし、大阪には早く九州に上陸できるフェリーが存在してるのを忘れていた。
 別府行きだ。
 この別府行きに乗船すれば、別府には6時55分には上陸が可能になる。九州を長く鉄道移動出来るわけだ。
 まずはダメ元で移動してみようか。
 この日は、新造船が就航し新造船でのツアーと修学旅行客の同乗とあり少し賑やかな雰囲気になっていた大阪南港のターミナル。取り敢えずダメ元で、チケット売りの係員に聞いてみる。
「今日って一番安い席空いてます?」
「ちょっと待ってくださいね。えぇっと…」
機械に確認しに行ってくれたが、最初の答えは良くないものだった。しかし、
「キャンセル待ちなら対応できる」
との事で周辺待機。
  何分後かして、係員が
「キャンセルが出たみたいなので1名様…でしたっけ。座席お取り出来ますよ。」
との返事が。波風は取り敢えず収まった状態となった。

 無事に乗船が決定したので、食品を買い込み。後に船内売店の品揃えも良い事を知ってしまうが、何となくココで揃えたかった。
 コレは当時のWBCにて代表入りした日系選手、ラーズ・ヌートバーによって拡まったカージナルスのペッパーミル・パフォーマンスに因んでペッパーの入ったポテトを買ったというもの。ミル自体は相当な売れ行きだというが、ペッパーを口にして日本をこの時応援していた人はあまりいないのではなかったろうか。

 さて、船内バイキングではなく港で食してしまいます。猫形ロボット(22世紀にいそうなやつではない)がドリアを運んできてくれました。ほんでこの子、撫でたら
「ありがとニャア」
とリアクションを取れるんですけどビックリしました。
 お食事とウエイターさんの関係って、メイドドレスの女性や高貴な服装を着用した人が
「お待たせいたしました」
と何かを運んでくれるイメージで止まっているのですがそういった類のサービスはもう時代遅れ…というか時代を保存しているかのようなメイドカフェや喫茶などに向かわないと残存していないのでしょうかね。
 因みにこのガストさんでは殆ど非接触状態での飲食となり、店員さんと会話があったのは最終会計の時だけでした。
 猫形ロボットが店内通路を通過する時、親子連れのお客さんが
「猫ちゃんありがと〜!」
と言っていたのが何か印象的でしたね。店には何台か配置されているようで、時々すれ違ってもいたような。

必ず帰るぜ、関西

 まぁそんな感じにて「キャンセル待ち」からのシンデレラ乗車(ちゃんと予約はしろ)で九州行きを無事に掴み取る事に。
 切符発行と同時に部屋のカードキーが出てくる仕組みであり、かなり神経質に扱っていないと失くしそうで怖いのがもう。
 いよいよ大阪の街に別れを告げて。この時は18時か19時とかなんですけど、やはり流石に外は暗い。良い夕暮れというか、旅人の街を去る日にはちょうど良い景色。
「なんか飛行機みたいだよねぇ」
と乗船前に話す若い女子2人が居たり、
 ユニバーサルの手土産を提げて帰る人が居たりと様々な人が船内の様相。いつだって長距離の乗り物にはこうした味わいというか、旅立ちに思い出にとそれぞれの味が詰まった雰囲気が必要なもんだ。
 自分の部屋であるツーリストの部屋へ向かう。相部屋とはいえ、プライベートの仕切りが保たれたカプセルホテルのような空間だ。なんとも居心地が良い。この部屋なら…自分の時間にたっぷりと溶かされて睡眠を忘れてしまいそうになる。何とも罪な設計にされているものだと感じた。

出港

 船内にて出港の銅鑼を鳴らします…との事だった。見に行ってみよう。
 大きな音が響いている。近くにいる幼児については耳を押さえてもいた。何か高貴なゲストや船長が登場しての挨拶があるのかと思ったがそうでもなく、結局このドラが鳴らされた15分後に船は大阪を旅立った。
 長距離フェリーといえばで憧れているのが、「紙テープ」。昔の客船や船での別れではよく見たものだったなと思い出した。
 吉田拓郎/落陽…では歌詞の中に
「おまけにテープを拾ってね 女の子みたいにさ」
と苫小牧から仙台に向けて旅立つ歌の主人公との別れを惜しむ爺さんの描写が現れている。
 昭和の時代に憧れた自分にとって、紙テープとフェリーというのは永遠の憧れのようなモノになっているのかもしれない。

 船は順調に大阪を出港した。これから別府港までは12時間という長い航路だ。
 今なら関西と大分などすぐに飛行機や新幹線に特急を加えた移動で完結してしまうかもしれないが、自分にとってはこの移動が最も快適でかつ非常に効率的な移動手段だ。早く大金を積んで移動する事にも憧れなくはないが、自分の状況や「らしさ」に思いを馳せると、このゆっくりとした航路はよく似合っていると思う。
 写真はデッキで出港を見ていた修学旅行生たちに撮影してもらった。学ラン少年の長旅が今始まった。

 船内の環境というのは、「新造船」というのもあってかなんとなく高級で優美…でもあり、居心地は少々狭い感覚にもなってしまった。
 船に入った瞬間から生のジャズ演奏があったり、高級な船内を演出すべく様々なイベントが開催されていた。乗った瞬間からの
「自分の場違いさ」
は多少なりとあったが、多くの人が思い思いに過ごしているのを見てしまうと、自分も知らず知らずに力が絆されてゆく。結局、新造船の内部をじっくりと見物していた。それにしても
「海の上に浮かぶホテル」
という単語が存在すれば正にこのフェリーの為に存在しているのだろうかというくらいには豪華なフェリーであった。
 基本の「き」を楽しみたい…自分は倹約家でありたい…として安い部屋を毎回拘るわけではないが、今回も安定的にツーリストの部屋。
 このフェリーにもファーストクラスの部屋や上級なサービスが提供されているというが、一体どのようなサービスになっているのだろうか。それは非常に気になってしまった。恐らく、自分と一生の縁はないだろう。

 今回の宿泊室。今までの中では圧倒的に良かったツーリストだったと思う。
 コンセントやハンガーはもちろん、プライベートでのテレビが見られるという環境は自分にとって非常に強力なものだった。
 船内でここまで尽くしてもらって良いのだろうか…と何か深い気持ちにもなってしまうが、これが新造船の技術というか進歩というか、進化なのだろうか。


おまけ程度に

 今回は船内というか客室にプライベートで視聴できるテレビ環境があったので、この時日本が盛り上がっているWBCを見ることが出来た。(それでも電波がよくない時はある)
 この時の対戦相手はイタリア。日本は1次ラウンドを突破して次のターンである準々決勝に入り、イタリアとアメリカ・マイアミ行きの切符を掴むために東京で戦った。
 偶々電波を合わせると打席には村上。九州に向かう時に熊本出身で九州学院からのプロ入り選手が出てくるのも何かの縁か…と思いながら、暫くはイタリアとの試合を眺めていた。
 このイタリア戦では苦戦を強いられることになってしまったものの、日本は岡本和真・吉田正尚がアーチをかけて打撃のポテンシャルの高さを証明。
 しかし岡本和真のホームランは船内浴場での入浴中に。吉田正尚については下船後にその結果を知る事になり、オリックスファンとしては非常に悔しく涙を呑む思いとなったものだった。

 明石海峡大橋の付近を通過。西日本の青春18きっぷ旅では旅立ち・出迎えのシンボルマーク的な存在になるスポットだ。
 何度かフェリーで明石海峡の付近を通過した経験はあるものの、航行時間の都合などで見る事はあまりなかった。18〜19時台出港の恩恵というものだろうか。煌々とした綺麗な夜景の明石海峡大橋を潜って、そのまま九州は大分の別府へ向かう事が出来た。
 この後は船内での緊急行程変更や売店の物色などをし、そしてWBCイタリア戦の結果を少し眺めてからの入眠となった。
 おまけ…欄にて少し触れていたが、やはり吉田正尚のアーチを見る事が出来なかったのは悔しさに尽きる。オリックスからレッドソックス初の野手として日本人の移籍。そしてここから世界が注目する彼の日本最後の打席が大きなホームランだと知った時は、何かと最近の野球を知った者ながら悔やんだというか。
 こんな場所で書いてしまうと少し違うのはわかっているが、どうしてあの選手はあの場面であんな活躍ができてしまうのだろうか。自分には何かが宿っているのだろうかと信じがたい気持ちにしかならない。
 書いている時には全てが判明しているので書き明かす事にするが、吉田正尚はWBCにて大会最高のタイ13打点を記録して、アメリカでの本格的な活躍を迎える事になった。オリックス時代でも頼りになった吉田正尚の事だ。打撃と外野の低迷に苦しむボストンの野球を救ってくれるに違いないだろう。

 翌朝。大分は別府の港に到着した。ここからきっと多くの人たちは温泉巡りに水族館うみたまごに…と各自の観光に出向くのだろうか。しかし、自分としては
「やっと九州か」
という気持ち。そして、
「半年ぶりに九州に帰ってきた」
という気持ちがない混ぜになっていた。ここからようやく、九州の旅がはじまるのだ。
 しかし、行程を変更して大分にしてしまった今回の旅路。そもそも今回のゴールというか今日1日のゴールにしている浦上には到着できるのだろうかという危うい緊張が伝った。取り敢えず、ほぼ反対なのは間違いないしどうやって辿るかなんて地図上でしか確認していない。
 まずは、船内で取り敢えずとして繋いでいた船内電波というか船内Wi-Fiを切る。このWi-Fiについてはただただ使わなかったというか。あまり大きな世話にならなかった。そもそもが海上だからという結果にもなりそうだが、結局このWi-Fiで得られる特典で自分は何も徳をしなかったし遊ばなかったし、言ってみれば
「何かあれば」
の命綱だった。
 フェリーというのは夜行バスと違ってよく寝られるというか、変わった気分で朝がやってくる気がする。横になっているのがそもそも違うのだろうか。
 本当なら12時間のうちの10時間くらいは寝ていたかったが、自分のように内面的に甘い人間はそうもいかず船内をうろうろしたりしているうちに。あとはWBCなんかで時間が溶け、結局6時間程度しか寝ていなかった気がする。しかしこれだけ横になっていたら、あとは長距離移動でどうにかしてしまえばいいのではないだろうか・・・

下界というか、異世界というか

 無事に別府に到着した。大阪を「本土」と言うなら、コチラは海を隔てた「九州」。
 そして電波を船内Wi-Fiから切り替えた瞬間に大勢の(たいせいではない)通知が入ってきた。何か自分がワープしていたというか、それこそ異世界に来たような感覚になってしまった。
 携帯が10時間以上も不安定な環境に居ると、現代人間とはこうもなってしまうのかと先ずは何か悔しいように思い、自分たちは電子機器の恩恵と生活している事を思う。こんな変に不便な体験をする事が出来るのも、フェリー航行ならではだ。是非とも体験してみてほしい。
 九州という名の異世界に降り立ってからまず待ち受けるのは、街中に出るというレースだ。
 どうやら別府港の人によると、
「駅までは歩いて1時間かかるからバスのが良いさ」
と言う。
 自分も乗車する事にしたが、何せ本数の少ない路線バスでありかつ「動く海のホテル」から乗客がジップ詰めで移動しているのでバスは立ち客も出る様子だった。
 このバスの椅子取りゲームに負けては後々塩っぱい何かを食う事になりそうだ。そう思ったが、何とか座れた。自分の横にはまた更に大きな荷物を抱えた人が座っている。
 バスの大分ナンバーや、見慣れない建物。そしてチェーン店の「別府〇〇店」などの看板。自分にとってははじめて目にする市外局番などを見ていると、バスはJRの別府駅に到着した。
 多くのスーツケースを提げた客たちが降りてゆく。これから温泉街に向かうのだろうか。それとも、特急列車で大分の中心部に向かうのだろうか。フェリーから降りた人たちが、それぞれの目的地に消えていった。
 自分も運賃を払って別府駅に降り立つ。はじめて見かけたが、非常に大きな高架の構えが良い駅だ。逆に言うと、「地方の高架ターミナル」という風情はこんな感じなのかもしれない。
 高架になっても少しずつ昭和のというか平成初期の温泉街感で出ており、非常に観察してみると面白い駅だと考えさせられた。

旅の始まりに

 いよいよ、九州の旅が始まろうとしている。
 大分出発という少し予想外な展開から始まってしまったが、日豊本線もこんなチャンスがないと乗らないか…などと、自分を多少割り切ったり奮い立たせたりと様々なキッカケで立ち上がらせた。
 しかしこの別府付近からまた九州を回っていくのも悪くないような気がする。久大本線に乗って仕舞えばそのまま久留米・熊本方面に向かえるし、豊後森の機関区にだって立ち寄れるかもしれない。
 豊肥本線に近い場所…なんかもこんなポイントを選ばないと乗らない気がしてきた。
 最後に、降りてから見かけたソフトバンクの今宮健太選手を。(九州ではホークスって呼ぶべき?)
 WBCでは源田の守備が!!と骨折しててでも立ち向かった源田選手への評価が高まったが、やはり今宮健太…というこの人も忘れてはならないだろう。オリックスも何度もその好守備に阻まれてきた。
 しかしながら、バス乗車中に通知の処理などをしていたもののやはり。前日というか船内で迎えてしまったWBCイタリア戦での吉田正尚アーチの連絡というのは、自分の心を大いに複雑にさせた。
 未練というかそうでもないが、母から受け取ったLINEの
『吉田正尚ホームラン打ったね』
の文字は何となく心に色んな意味で残りそうだ。コレはもう短期決戦大会の運でしかないのだが…
 取り敢えず、進路を大分の市内へ向かせて動く事にしよう。青春18きっぷへの入鋏で、幕を開けた。

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