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ACT.33『九州グランドスラム 終 上昇、旅立ち、決別』

半壊の朝

 そんな時間か…と思いながら、天神のネットカフェを出た。しかし地道にこんなポイントなど貯めて、自分はどうするんだろうと常々言い聞かせてしまう。まさか福岡県でも貯めてしまうとは。
 そのまま寝ぼけつつ。西鉄電車の始発時刻が記された駅を過ぎ去り、半壊の体を天神から目的地に動かしていく。今日の目的地は、遂に九州の境界。下関なのだ。小倉まで行きたかった自分の絶えた道を、ここで復旧整備させていく。
 しかしながらどうも寝られなかった。し、どうやって過ごせば良いか分からず朝が来てしまった。結果的に、
「え、シャワーが有料になったんですか?」
だったり、少し不便なドリンクバーに目を覚まさせられあまり寝る事は出来ず。コレだけで店が割られそうだ。
 こうして、天神の地下通路に戻ってきた。天神の地下通路に戻ってきたのはいつぶりになるのだろう。西鉄電車に乗る前…だったが、始発時間の天神の地下通路はこんなにも幻想的だったのか。何か感動すら覚えてしまった。

 博多と天神には、庵野秀明氏のテイストで新たなる博多周辺の誕生を祝したメッセージが高らかに打たれている。
 その中にも、ホークスとのタブルアニバーサリーと広告が混ざったモノもあり何か複雑な香りを感じて朝を迎える。
「記念に撮影しておくか」
とこんな気分で撮影。写真に映りし選手も、柳田と栗原と今宮以外はほとんど知らない。(申し訳ない)
 このホークス・アニバーサリーでは復刻演出が素晴らしいモノだった。滞在期間中には工藤公康×城島健司の往年バッテリーに松中信彦vs井川慶の復活大戦と年代を知る人間には熱い血潮を感じさせるイベントが開催されていたのだという。
 しかし、オリファンな自分としてはこのユニフォームでサヨナラを決められたり、何度か本塁打を喰らったりと複雑なイメージのユニフォームだ。ダイエー時代も含め、福岡の野球はシッカリと黒を決めている。これからもホークスが永遠のライバルであり、そして盛り上がるチームであってほしい。
 最後のオマケになるが、ホークスアニバーサリーサイトの松中さんや城島さんのインタビューに関しては、非常にファンならずとも『昔の野球』を知る人、知りたい人にとっては気迫迫る内容だった。皆さんも調べて読んでいただきたい。

光彩

 戻る地下鉄は、延伸開業した七隈線ではなく空港線に乗車して博多に戻った。写真は撮影していないものの、始発近い時点だったのにも関わらず多くの乗客が地下鉄に乗車しており、福岡の地下鉄存在価値の高さを証明させられた。コレが筑肥線のまま、気動車輸送だったらきっとパンクしてしまったのだろうと考えると、地下鉄転換に踏み切った当時の思想は素晴らしい大英断だった。七隈線の翌日だと、車両の渋さや広さなど、様々な要素を車両から感じて博多までの移動となる。やはり、この少し年季が入った感じが福岡に於ける地下鉄の存在なのだ。
 そして、改良工事がなされた博多駅に戻ってきた。遂に夜が明けたのだ。これでようやく、下関方面に向かって移動できる。安心感も一入、改札に入って行ったのだった。

 正直言われても、博多駅の何がどう変化したのか自分には全く理解できずにこの駅での朝を過ごす事になった。何を工事していたのだろう。どう変化したのだろう。
 しかし、観察するにしても疲れや朝の冴えない脳で見ても何もないので、そのまま列車に乗車していく事にした。
 流石に、朝時間帯の博多駅は静かだった。が、特急列車は早くから稼働している。九州らしい光景を、最後の最後まで目に焼き付けて自分は本州への足を進めたのだった。

 停車中の787系の表示を撮影したものだ。
 LEDにするとその文字の詰めかたというのか、情報量というのか。キャラクターの濃さがよく分かる。
 しかし思うのは、英語にすれば表示の多様性が広がるのだから日⇄英と表示の切り返しをする事は出来なかったのだろうかと思ってしまう。
 鉄道に興味ない、ただの旅人というか電車に乗る、だけの乗客がここまで小さくデフォルメされた文字を眺めようと思うのか、自分としては絶対ないように思ってしまうのだが…

 深夜の大工事は一体何だったのだろう。
 考えても答えは出ない。眺めていても答えは返らない。駅は静かになっていた。いつもの時間の喧騒は全くなかった。しかし、この状況から一変してこの駅には福岡県中の…いや、九州中から人々が押し寄せ大混雑する一大の起点の駅となる。駅の起動する瞬間の撮影を出来たのは、何か新鮮なようで少し冒険の感覚もあった。

上昇の電車

 811系による、空の電車が入ってきた。流石にこの状態では誰も乗車していなかった。
 もう記憶が完全に希薄な状態に突入しているが(作品を引っ張りすぎ)、この電車は当駅の仕立てで空の電車だった記憶が少しあるような。
 帰りの電車は欲を唱えればクロスシートの電車で帰りたかったが、こうして乗車できるだけでも本当に感謝感謝というものだ。
 乗車して、車掌が列車案内を告げこれで恐らくラストスパートかと思う、神聖な教会のような博多駅の発車メロディを聴覚に寝ぼけて取り入れると、電車は動き出した。さようなら、博多の街よ。そして、九州の中心街よ!俺は本州に帰るのです。

 九州というのは、非常に元気な都市だと思ってしまう。
 朝から特急電車が何食わぬ顔で走行し、目的地まで疾走しているのだから。流石は特急の台地とこの場合は関心すべきなのかもしれないのだろうが。
 寝付けない…というか、中々休息に入れない自分に冴える光景を見せてくるJR九州。おのれぇ。まぁこうなったら撮影してみるかぁ。
 結果はこうして散々な結果ではありましたけど。こうして成果として残るだけ、良いって感じなんですかね。この衝撃だらけ、インパクトの濃い鉄道のようで鉄道ではないデザインのような電車ともしばらくは訣別なのでしょう。自分はそう決意し、大分へと走るメタリックな特急を見送った。

 機械に対して感情がある、という訳ではないが、この場合は偶然にも何か『別れ』や『再会を希う』要素が込もっているような気がしている。
「また来てくれよ、この大地に」
というメッセージなら、自分は非常に嬉しい。
言われなくとも、自分はまた絶対にこの場所を目指しているだろう。
 しかしながらこの待避駅を忘れてしまった。一体何処だったのだろう。
 それにしても、朝からロボットフェイスの特急電車は元気すぎて寝不足な自分は目が冴えて脳が爆発しそうになる。脳が爆発は過大すぎるかもしれないが。

最後まで、最後まで

 小倉に到着した。泣いても笑っても、九州の電車とはこの場所が本当のお別れの場所になってしまう。
 この場所で最後に撮影したのは783系特急電車だった。もっと最後に撮影していた記憶は残っているのだろうが、何故か落とし込んでいたのは783系電車であり、この写真が小倉駅を発つ最後の写真として検出されている。朝早くから門司方面に向かう運用、あっただろうか?
 しかし、783系も廃車が進行している電車なので(基準が不明なのだが)こうして撮影できたのは非常に嬉しい限りだ。また、この遠征で撮影した記録が何かで役立てばそれはそれで自分は幸いだと思う。

 そのまま小倉駅のコンコースまで向かって、朝の食事を買いに行く。
 しかし、こんな早朝(仕込みの時間だった)から営業している店舗は当然少なく、朝飯に駅弁を希望してお婆さんに尋ねても
「まだ入ってないねぇ」
とのひと言で、パンと牛乳を買ってその店を去った。こうして、次に乗車するはいよいよ。下関に向かう電車だ。この電車に乗車してしまうと、JR九州の区間の最後を突破してJR西日本に突入する。長い長いトンネルの先を遂に見る事になってしまうのだ。

 JR九州最後の乗車電車、となったのは415系電車だ。国鉄の開発した先進的な電車、『交直両用電車』の中の一途で開発された電車で、401系・421系から成るグループで今もなお唯一活躍している電車である。
 かつては、常磐線からの転属電車も込みにして活躍していたが現在ではその数も徐々に減らしつつある存在…ではあるものの、下関方面での直通運用ではこうして活躍できる電車が415系しか存在していない為、大規模な置き換え廃車には至っていない感覚を覚える。
 後継の交直両用電車の開発をJR九州が実施すれば、この415系の置き換えに関しても確実に進行はするであろう…が、その見込みはない。老朽化が激しい一部の車両に対して実施、なのだろうか。

帰還す。

 関門トンネルは、昭和戦時下に開通した日本土木史に於ける最高の傑作建築である。そして、その建築技術を世界に高らかに示した。
 と同時に、小倉を発車した電車が門司を出発し、小森江方面に向かう線路を分岐した後に関門トンネルを潜り、このような光景になるのを皆さんはご存知だろうか。
 そう。『デッドセクション』を通過したのである。コレは電気の周波数が交流2万Vから直流1500Vに切り替わった瞬間であり、こうした電圧の変化に『交直両用電車』は対応しているのである。
 『デッドセクション』の『デッド』は『電気が通電していない区間』を示す。そして、この電気が通電していない区間を通過すると電車の室内灯は一時的に暗くなり、非常灯として一部の車内灯だけが光るのだ。コレが一瞬だけ光る光景は一部の電車だけでのみ見られる光景となり、現在ではセクションの通過時に電気が途切れないようにするシステムを搭載した電車や、こうした補助灯のギミックを省略した電車が多く増えた。
 現在はこの、関門トンネル通過時にしか交流⇄直流に切り替わる瞬間と室内の非常灯が光る瞬間には立ち会えないのである。
 本州の扉が、自分を出迎えてくれた。

 デッドセクション区間を通過し、下関が接近すると列車の室内灯が明るくなる。自分としてはこの一瞬消えた瞬間に、九州の思い出を反芻してしまうほどに大きなイベントであり、寝ぼけた身体の神経を捧げてでも体験したいイベントなのだ。
「まもなく〜、下関、下関、終点です。」
車内放送が入り、いよいよ本当の本州上陸がやってくる。JR西日本に託された区間に向かって、電車は進んでいた。
 関門トンネルには人道トンネルや車の橋などもあるそうだ。しかし、自分としてはこの鉄道で移動する上下のこの場所が最も日本の境界を移動している感覚になれる特別な場所になれる区間だと思う。

雨に見舞われる

 下関に到着した時点で、かなりの雨に見舞われた。小倉の時点でも降雨を心配なくては…な状況であったが、天気が本格的に崩壊したのはこの下関に入ってからであったろうか。
 九州最後の列車として乗車した415系からは、関門の海が見えている。平安と鎌倉の時代の境界には源平の壇ノ浦の合戦を経験し、時代が近代化し新政府になり、日本が台湾を手に入れた際には鉄道の父、後藤新平が関門トンネルの建設を夢に見た。この国の歴史に大きな足跡を残した海である。
 そして、韓国の釜山港とのフェリーも再び航行が始まった。国際航路の起点でもあり、海を通した外交の起点でもあるのだ。
 そんな山口の海と九州の電車を1枚に収めた写真を見ていると、自分が長い長い旅から戻って京都のある本州の玄関に辿り着いたことを感じさせてくれる。再び、この駅から電車に乗車して本州を広島方面・新山口方面に向かって進行して行かなければ帰れないのだが…

 九州最後の電車として乗車した415系に関しては、少し特殊な415系であった。
 今回も、旅の最中で大分県の方に疎開された415系に遭遇したが415系といえば通常は白色の急行電車の車体をした電車の姿で想像され、また多くはその形態で増備がなされてきた。
 しかし、415系には変わった姿で増備された車両が存在しているのである。それが、この銀色の電車だ。一見すると、211系のように見えるが本州の直流区間。九州の交流区間も走行できる歴とした415系である。傍目から見たら薄い色の中央本線211系に見えそうだが。
 この銀色の415系は、昭和61年に増備された。番台区分はそれまでの415系との区別として1500番台・1600番台と分割され、一気に差別化を図られたのである。台車・機器類に関しては従来の415系と同様の設計を維持したが、車体のみを変更したスタイルとなったのがこの415系1500・1600番台の特徴として列挙される。運用・仕様に関しては通常の白い415系と同じ扱いを受けていた。
 この415系はJR東日本・JR九州にて増備され、国鉄の時代から分割民営化まで幅広く血が続いている。(JR東日本に関しては石岡付近の気象庁地磁気観測所の関係で常磐線を交流電化にせざるを得なかった)
 現在は415系も白いタイプの急行顔は運用数を激減させ、遂にステンレスの1500・1600番台が上回る状況となった。

 JR西日本の駅名標と並ぶ415系の姿。
 帯色自体がこうして見るとそもそもJR西日本らしい風格を持たせてしまっているので、風景がJR西日本の電車のように感じてしまうのは心無しか気の所為というかなんだろうか。
 室内灯が一瞬だけ、415系で運用される小倉方面行きの電車はこうして消灯される光景を見る事が出来る。
 この瞬間は、関門トンネルを突破して門司に向かう為の交直の電圧切替試験であり、小倉に向かう為には大事な点検作業なのである。

 一瞬、この交直電圧切替試験の際には
「バチん!!バタン!!!バシュン!!!」
と力強い音を立てて電気が跳ねるような音がする。コレが中々迫力なので、下関や小倉で交直切替の試験に立ち会う時間がある時にはぜひ見てほしいと思う。
 自分もこの瞬間に関しては415系だけでしか見られないと思い撮影したが、電気の切り替え時に聞こえる爆音のサウンドは圧巻というより言葉を失う迫力があった。
 言葉でこうして説明するには理科的で難易度が高い話かもしれないが、日本には2つの電圧を鉄道は使用していると感じる事が出来る瞬間でもあり勉強にもなるのではないだろうか。

 JR西日本、山陰本線の列車と並ぶ415系小倉行き。
 山陰本線はここから一旦幡生へと向かい、小串方面へ続いている。そして、気動車だけではなくこのまま列車を乗り継ぎ続けていけば、山陰本線は日本最長の本線としてこの下関から日本海沿いを周回して京都まで続いている。余部橋梁に、京都は嵯峨二条の観光名所…とこうしてまた関西が近い場所に居るのは何かまた深い気持ちになる。
 一回だけ、この場所にいて友人から
「そのまま下関におるんなら山陰本線で帰ってきたらええやんか、一本の線路で帰ってこれるやろ」
と笑いの電話を頂いた事がある。
 改めて、この場所と京都まで同じ鉄道路線の名称が続いているのに驚きを感じる次第である。

橋渡しの瞬間へ

 雨降る中、本州方面への電車が入線してきた。今回はこの電車に乗車して、本州の広島方面を目指していく。
 九州・門司と本州・下関を結ぶ関門トンネルは世界初の海底トンネルとして建設され、戦時下でありながらも日本の土木技術の高さを世界に高く証明した建築と言って良いだろう。
 この関門トンネルには、大きな特徴がある。それは、『上下線が別々になっている』という事だ。
 何故上下線を別々に建設したのか、という理由に関してだが、コレには
・難工事だった事
・建設費が嵩んだ事
・脱線事故対策の勘案
が反映された結果となっている。
 その為、関門トンネルは上下線で総延長が異なる結果となっており、上り線が3,604メートル。下り線が3,614メートルだ。だが、海底深部に関しては同じ深さの1,140メートルを保っており、ここは非常に興味深い。
 とそんな関門トンネルだが、上下で分かれた鉄道建築の世界とは異なり、乗客の橋渡しはこうして目に見える範囲で行われる。
 黄色い電車と九州の銀の電車が並ぶ姿は、何か大きな一歩を見せてくれているように感じたのであった。

さいごに

 まずは、本当に長期に渡ってこの記事を読んでくださった皆様に感謝の意を。それしか現在は言える事がなく、選ぶ言葉が見つからない。長期的にサボったり、文字数を気にしたり。様々な障壁を乗り越えて、現在の7月下旬までかかる結果となった。
 と、ここから少しだけ話がある。
 山口でのJRでは、こうした壮大な電車…しかも117系の車体と115系の遺伝子を継承した電車だというにも関わらず車掌を乗車させるのを止めたという。
 もう少し、映像特典を見る気持ちでお願いしたい。

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