Turn.17『朝の嗜み』
前回連載分では、『コロナ禍パンデミックの過ごし方』
として早朝に大阪へ戻ってくる貨物列車の撮影をしていた話をしましたが、今回の話も若干やそれに近くなるような話題です。
撮影時期は令和2年。
丁度コロナ禍の1番最初に差し掛かっていた時期の撮影だったように思うのですが…
もうパンデミックが何だと騒いでいた時代はとうに終了し、時期の経過は若干頭から抜け落ちているのが現状と言いましょうか。
さて、記録に関してです。
この時期の自分の生活は完全な『昼夜逆転』を辿っており、その理由としては
『深夜・早朝の貨物列車を撮影しに東海道本線へ』
というのが主な理由でした。
その中で、調子踏切という有名な踏切が長岡京市にあります。
その調子踏切のあたりから自転車で漕ぎ出して数分程度の場所(10分くらいかかるものか)…で長岡京市と京都市の境界を移動し、見える場所があります。
それがこの京阪の踏切。
ここもかなり有名な場所で、この写真の1回しか撮影経験はありませんが訪問機会があります。
早朝の大阪方面に向かう貨物列車を撮影した後には阪急や京阪を撮影してから自宅に帰って熟睡、そしてその後には再び深夜に自転車で繰り出して延々のループ…のような生活をしていました。
この写真では、2つの自分にとって新鮮な要素があります。
それが1つ。
・京阪3000系が本来の仕事に就業している
という事。写真左側の紺色の電車です。
もう既にプレミアムカーを挿入して特急の仕事を中心に活躍する18年選手な3000系ですが、この時は『全一般車特急』として活躍し、車内はクロスシートの1+2座席配置な当たり車両でした。
この1〜2年後にプレミアムカーが挿入されます、が。それはもう少し先の話。
京阪で中之島線が開業して3000系が誕生し、同時に京阪には『快速急行』の新種別が誕生しました。その際、快速急行に充当する為の専用車両として開発されたのが3000系…でしたが、自分が京阪の撮影を開始した時期にはもう快速急行の職務を降り、快速急行自体も風前の灯状態になっていました。朝夕に少しだけあるくらい。
そんな自分にとって、写真左の車両。
3000系が快速急行に就業している姿を見たのはこれが最初でした。
やはり快速急行の表示幕が紫になっているのを見てしまうと
「あぁ、快速急行はこの電車の為に設定されたんだな」
と関心してしまう次第なのでした。
そして遅くなりましてもう1つ。
それが
・大手私鉄の特殊種別が映っている事
です。
それが右側の大きく主張する電車、6000系電車の充当されている種別である『通勤快急』です。
通勤快急…は京阪にしか存在しない種別で、しかも観測できるのは朝限定。
快速急行と名乗る大手私鉄各社の種別は幾つかあっても、通勤・通学の需要を想定して新たに設定した快速急行があるのは珍しいものです。
大手私鉄にはJRと違って、沿線の需要などに併せた特殊な種別などの設定。
臨機応変に乗客需要に対応した停車駅設定…ができるなどの工夫があります。
朝限定、そしてパンデミックの最中で時間がかなり空いているからこそ…沿線上で撮影できたこの快速急行同士の離合ですが、こんな写真を撮影できていても心の中では
「あぁ、もっと色々あのコロナ禍でやっておけば…」
と後悔に伏せる部分はかなりあります。
1,000字以上で収まるのだろうか…