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「学校」の当たり前って?

「自分が通っていた学校を思い出してみてください。どんな光景が浮かびますか?」

と問われた時に、どのような学校の光景が思い浮かび上がってくるでしょうか。

■思い浮かぶ学校時代


思い返せば、小学校は集団登校で一列に並んで歩いていないと、学校に行って怒られる。友だちと話しながら歩いていれば注意される。
教室の中で机はきれいに並べられて、授業時間中は机に静かに座って先生の話を聞くことが当たり前。

中学校に入れば、学生証の中にはたくさんの校則が書かれていて、
校則に書かれていないことでも、守らなければいけないルールはたくさん。

ちょっとしたルールの違いでも先生は、間違いとして正そうとし、
ルールを守ることは当たり前。
「当たり前」と考えられていることがたくさんありました。

「当たり前」ってなんでしょうか。

■当たり前とは

「当たり前」は、誰が作ったのかはわからないです。
しかし、誰かが作った当たり前は、時代の流れの中でも受け継がれて、変える勇気も、当たり前から飛び出す勇気もでてこなかったりしませんか。
そして何よりも、当たり前と思ってしまっていることにも中々気づけなかったりするからこそ、根深い問題かもしれません。

私たちには日常から、様々な問い、疑問を持って、自分の当たり前以外の周りの人や世界を知ろうとすることがいつだって必要になります。

そして、この問題は学校教育でも言えることではないでしょうか。


■多様性を尊重するためには

私たちは一人ひとり異なる人格、個性があるからこそ同一の学びのスタイルが適しているかはわかりません。

興味関心が惹かれるものも人それぞれです。

Understanding is not enough to be interested.
Interest is rooted in personality.

PSYCHOGEOMETRY (The montessori series book16)
p.24

「興味は個性に根ざしている」としたら、個性を失わせてしまうほどの
ルールや制限、学校教育は本当に必要でしょうか。

▶オランダのモンテッソーリスクールの様子

動画から、オランダのモンテッソーリスクールの様子がご覧いただけます。
この動画をみて、第一声にどんなことを思ったでしょうか。

もしかしたら、こんなことは日本では難しい
自分が受けてきた学校教育と違いが大きすぎて、想像がつかない。

そんなふうに思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、様々なことを学んでいる子どもの表情や姿はどうでしょうか。

新しいことの発見に、自然と笑みがこぼれています。
子どもたちは、教えられて学ぶのではなく、自ら手を動かし、試行錯誤を重ねて発見していくことで学びを深めていきます。

■日本の教育の中で

日本の学校教育の当たり前の中で、
オランダや他の世界の国々のような教育が必ずしもそのまま適応できることもないですし、
日本の教育の中にも、他の国にはない魅力的な活動もたくさんあります。

大切なのは、「当たり前」に対して一歩コンフォートゾーンから飛び出し、
自由に選べる選択肢を一つずつ増やしていくことかもしれません。


そのために、現状の学校教育に問いを投げかけ続け、
草の根で変えていくことを私たちは日々模索し続けていきたいです。



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