見出し画像

あのスティークを切り開き 第1章「針」

<あらすじ>
高校を中退したばかりの少年・レオは、編み物の名手。祖母がオープンするニットカフェでアルバイトをしにやってきた。
ニットカフェの隣の店には、身長190cm、全身タトゥーの入った男「たっちゃんさん」が居た。

気のいいたっちゃんさんは、レオが「ある理由」で編むことのできない、カラフルなニット「フェアアイル」を一緒に編もう、と申し出る。
レオもまた、絵の才能を発揮し、彫り師のたっちゃんさんと共に、タトゥーの図案を描いていく。

レオとたっちゃんさんは、フェアアイルを編み上げた暁には、発祥の地「フェア島」へ旅に出るという約束をする。それは、二人の過去の悲しみや後悔に決着をつけるための旅だった。

二人の「針」を持つ男が、バディとなりそれぞれの未来を切り開くまでの物語。


2年ぶりにばあちゃんに会いに行ったら、「たっちゃんさん」が居た。

代々続く石屋に生まれ、医者の家系に嫁いだばあちゃんは、お嬢様歴70年になる。
暇を持て余し、2年前から、街中に持っていた土地でドライフラワーのアレンジメントの店を経営している。異様にインスタ遣いの上手いばあちゃんの宣伝活動が功を奏し、なかなかの人気店になった。
今月から、そこに小さなカフェを併設するので、店が落ち着くまで俺が手伝いとして派遣されることになった。
「どうせ高校も辞めて、暇でしょう?」って。

Google map上のピンと、俺の現在地を示す青いマークが重なる。
インスタでいつも見ていたから、すっかり来たことある気になっていたけれど、よくよく考えたら俺はここに来るのは初めてだった。
薄いグレーの漆喰の外壁に、窓枠や扉の木がよく映える。内装工事ついでに、外装も少し変えたらしい。

木の引き戸のガラス越しに、アンティークっぽい、長さ3mはありそうな大きなテーブルが見え…たと思ったら、いきなり視界が遮られた。
そして、ガラッと勢いよく引き戸が開いた。
そこには、濃紺のニットの海が広がっていた。

いや、そのニットにはちゃんと人間の身体が詰まっていて、その上に、俺の目線から20cmくらい上のところに、若い男の顔が付いていた。
つまりは、190cmはあろうかという、長身の男が立っていた。
「あ、君レオくんだ。いらっしゃい。俺、タツミ。たっちゃんって呼んでよ!」

誰。
色んな疑問はあるけれど、何で名前知られてるんだとか、何でばあちゃん差し置いてここに居るんだとか、突然あだ名提案すんなよとか、色々あるけれど、全ては「誰」に起因する。

「すいません間違いました失礼します」
ひと息にそう言ったにのにまるで聞いていない大男は、
「おばーちゃーん、レオくん来たよー」
と奥に向かって呼び掛けた。

現れたのは紛れもなく、俺のばあちゃんだった。
「あーレオ、待ってたわよぉ。おっきくなったね、もうお兄ちゃんね」
「久しぶり。まぁ、俺だいぶ前からお兄ちゃんだけど」
普通に会話してる俺とばあちゃんをニコニコ見守る大男。
「おばーちゃんが言ってた通りだね、レオくん可愛い」
「でしょー。小さい頃とかね、お人形さんみたいだったの!」

違いない。俺はお人形さんみたいだった、そして今も可愛い。
とび色の目、髪は栗色でやや癖のある猫っ毛で、肌が白く、幅の広い二重。
こういういかにもな白人とのハーフ、日本人大好きだよね、と初対面の人に会う度思う。でも、その可愛さの源泉たるスコットランド生まれの父を、ばあちゃんは忌み嫌っているけれど。

「店、お洒落。中も外も」
言いながら椅子に座る。これも、脚や背もたれの装飾が凝っていて、アンティークっぽい。インスタでよく見ていた以前の店構えやインテリアは、決してダサくはなかったけど、もっと簡素なものだった。
見上げた天井には、吊り下げ式の照明がいくつも。そしてもっとずっとたくさんの、逆さまに吊り下げられたドライフラワー。花と葉の形をした茶色の群れ、たぶん。ところどころにミモザの黄色。これは俺にもわかる。

「今はこういうのがウケるんだよって、たっちゃんが教えてくれたの」
忘れるはずの無いデカさなのに、一瞬その存在を忘れていた。
「……ばあちゃん、この方」
「たっちゃんって呼んでよ」
「あのね、お隣のお店のひと。タツミくんて言ってね、よくお茶に付き合ってくれてるの」
「おばーちゃん、たっちゃんだから!」
「たっちゃんって呼んであげて」

じわじわと目の解像度が上がってきた。
ハーフアップにした暗い色の長髪。
やや細身だけど、肩と胸周りにはちゃんと筋肉が乗っている。
その身長に見合う骨格を感じさせる、しっかりした鼻筋と顎。
目が大きすぎて黒目のサイズが追い付きませんでした、って感じのうっすら三白眼。
そして何より、捲ったセーターの袖から伸びる、右腕、いや右手の甲までを埋め尽くすタトゥー。

総合して俺は思った。怖い。

「…え、このお兄さん、お隣さんなの?」
「たっちゃんって呼んでよー」
「そうね、営業時間もだいたい一緒だし、私がカギ閉める時もたっちゃんはいるし、ほんとお隣さんねぇ」
もう一度、彼を上から下まで見た。首のストロークが長くて疲れる…と思ったところで、俺の目が釘付けになった。

「お兄さん、そのニット」
「たっちゃんって」
「たっちゃんさん、そのニット。古着、ですよね?」
「あ、そうだよぉ。高円寺にいい店あってさぁ」
「これっ…」
たっちゃんさんの腕をつかんで、においを嗅ぐ。
「えっ、ちょ、おばーちゃん、レオくんこういう挨拶するタイプの子なの?」
「……やっぱそうだ」

少し立った襟元、腋部分のひし角のマチ、裾のスリット、たっちゃんさんの細身が際立つぴったりしたシルエット、そしてこの羊の脂の匂い。
「これ、ビンテージのガンジーニット…」

「え、何。俺これ可愛いし楽そうだから買っただけなんだけど。ガンジーって、あの眼鏡坊主の」
「違います」
えーじゃーもうわかんないよーというたっちゃんさんの声を無視して話を続ける。
「イギリス海峡のガーンジー島で、漁師のために編まれた仕事着です。たっちゃんさん、ちょっとかがんで下さい」
えー、と戸惑いながら素直に従うたっちゃんさん。
「ほら、首元も含め、前後のデザインが一緒でしょ?
暗い夜でも、前後気にせず着られるようにこうなってるんです。
あと腋のマチ。たっちゃんさん、これ腕動かすの楽だなって思いませんか?」
「あ、そうそう!細いつくりの割に、腕周り突っ張らなくていいんだよねぇ」
「まさに、作業用なので、腋下にマチを作ることで余裕をもたせてるんです。あと、動きやすいように裾にもスリットが入ってる」

気が付けば、たっちゃんさんを中腰にさせ、ニットの裾を引っ張っていた。
中に着たヒートテックが見えている。
「たっちゃんさん、これにヒートテック、暑くないですか」
「…うん、そうなんだよね。なんか習慣で着ちゃうけど、正直暑い」
「ですよね。羊の脂が残った糸を使ってて、結構なハイゲージ…編み目が細かくて、しかも袖口はぎゅっと締まって、全体的なシルエットもタイトだから、かなりあったかいと思います」

一気にしゃべって、俺は我に返った。そして気づいた。あのよく分からないけど怖いたっちゃんさんを操り、詰問したというとんでもない蛮行に。やばい。殴られる。どっか連れていかれる。

でも、たっちゃんさんは目をキラキラさせていた。
「えーすごい、レオくんめちゃくちゃ詳しいねー。俺何にも考えずにさぁ、いいじゃーんって買って、あったかーい楽ちーんって着てたのに」
「レオはね、編み物大好きなのよ」
そう、俺はここに、編み物に没頭するためにやって来た。

ばあちゃんのカフェは、ただのカフェじゃない。
編み物も趣味のばあちゃんが、自分の編み物仲間を集めるためだけに作った「ニットカフェ」だ。ここでばあちゃんお手製の焼き菓子でお茶しながら、おしゃべりを楽しみつつみんなで編み物をしよう…そういう場にする。
俺もばあちゃんや母親の影響で、セーターでもカーディガンでも靴下でも、大体のものは編める。ケーブルやハニーコームの立体的な模様編みをぎっしり詰め込んだアランニット、例のガンジーニットも編める。
初心者〜中級者さんくらいなら、編み方を教えたり、失敗した時のカバーもできる。
そういう訳で、ばあちゃんに助っ人として呼び出された。

でもたぶん、俺に白羽の矢が立った理由は、そういう編み物の技術とか、俺がとてもおばちゃんウケがいい―ある年齢以上の女性がよく俺を見て、「ハギオモト!」と謎の呪文を唱える事とは別のところにある、と思う。
そもそもこのニットカフェは、過保護なばあちゃんが、俺に居場所を与えるために百万近くかけて作った場所なんじゃないかって、可愛らしくない邪推をしている。

「たっちゃんコーヒーね、レオは紅茶の方がいいかしら」
「え、あ、うん」

少年少年した見た目でコーヒーが苦手なの、本当はすごく嫌だ。
正面でいいのにわざわざ隣に座る大男ことたっちゃんさんが、「コーヒー駄目なんだーかわいー」とか言い出したらすげームカつくなと思ってテーブルの角を凝視していた。でも、違った。

「レオくん来たから、おばーちゃんも安心だね。男手無くて色々苦労してたから。
荷物運んだりとか、台風来そうな時とか。
俺もなるべく力仕事手伝ってたけど、いつも手空いてるわけじゃないからさ」

色白で可愛くて編み物好きな俺を、初対面で「男手」と見なした人は初めてかもしれない。
大体俺は周りから、中性的で浮世離れしてて、無垢で〜みたいに思われる。
うるせぇな、と思う。俺がハギオモトだろうが髪が栗色だろうが、足は臭いし、片膝立ててスマホ見ながらカップ麺食べながら果てしなくしょうもないお笑い番組見るし、鼾はうるさく寝ながら涎を垂らす。

そういう、自己と、他者からの印象とのギャップに慣れきっていると、「男手」扱いされるという些細な出来事に嬉しくなってしまった。
「あーまぁ、ばあちゃん一人だと色々心配ですからね」
あら、レオに心配されちゃった、と笑いながらばあちゃんが、ティーポットと二客のティーカップ、コーヒー、そして大ぶりのシナモンロール2つを持ってきた。
ふわふわの生地にたっぷりかかったシャリシャリの白いアイシング。俺の大好物だ。
可愛いと言いたきゃ言え、俺は甘党だ。
「やったー俺これ大好き!おばーちゃんありがと」
俺より先にたっちゃんさんが声を上げる。俺のリアクション待てよ、ここ俺のばあちゃんの店だぞ。

「お菓子焼いて飲み物も提供して…って、ばあちゃん結構忙しくない?」
「そうよぉ、だからレオに来てもらったの。
注文取ったり、簡単な飲み物作ったりはお願いね。コーヒーはおばあちゃんがやるから、お紅茶とか、ジュースとか」
「あーそれくらいなら全然」
「てかさぁ、みんなレオくんと喋りたがると思うよ。おばちゃんおばーちゃんにモテるでしょ君。よ、看板息子」
「空いてる時間俺も編んでていいの」
「あ、無視されたー」
「ご自由にどうぞ。みんなと仲良くね。困ってる人いないか気にかけてあげて」
あんまり没頭しちゃダメそうだ。複雑な模様編みとかはここではやらないようにしよう。

「そういえばさぁ、レオくん、このニット売ってた古着屋紹介しよっか。古着屋っていうか、ほぼニット屋だったし、楽しいんじゃない?」
たっちゃんさんから初めて有益な情報がもたらされた。
「あ、お願いします。高円寺でしたっけ」
「そー高円寺のさぁ、うん、なんつったっけなぁ。あー。あ、あーやばい、ど忘れした。店の場所…も何となく覚えてるけどそこまでの道が分かんない。店構えだけは覚えてんの!俺の脳内を念写して見せたいくらい」
前言撤回。

「もうさ、一緒に行こ。連れてってあげる。俺今日定休日で暇だし、今からでもいーよ?」
「え、いや、いいです自分で調べるし…」
「無理じゃない?高円寺めっちゃ古着屋あるよ」
だからこそ店名だけでも覚えておいて欲しかったんだよっ、と言いたいのをグッと堪えた。そして、一人で服屋に行ったところで俺は歯がゆい思いをするだろうってことも思い出した。

「レオ行ってきたら?荷物うちに置いたら、やることもないじゃない。ついでに二人で晩御飯食べてきてもいいわよ。日持ちするものしか作ってないし、明日に回せるわ」
ばあちゃんとたっちゃんさんは本当に仲がいい。
華麗な連係プレーで俺を追い詰めてくる。

「…あー、じゃ、お願いします」
「お任せあれー」
「…店覚えてないじゃないすか」
「あっ、おばーちゃんレオくん反抗期ぃ?反抗期ってやつ?これ」
反抗期だと思ってるんなら騒ぐの逆効果って分からないかな。この人と晩御飯まで一緒かと思うと、既に胃もたれがしてきた。
出がけにばあちゃんがこっそりと「お小遣い、持っていきなさい」と3万円持たせてくれた。甘い。実に甘い。ばあちゃんも、俺も。

たっちゃんさんと並んで歩くと、自分が中腰で歩いているかのように錯覚する。
電車の乗降口や中吊り広告を、のれんのようによけてさっさと歩く様は、長身歴十数年の貫録を感じた。
「レオくんなんでニットっていうか、編み物好きなの?」
「ばあちゃんと、あと母親の影響ですね。母親はニットデザイナーなんで」
「へー、サラブレッドじゃん。レオくんもそっち目指してんの?」
無視した。高校中退したばっかの奴に、進路なんか聞かないでくれ。
たっちゃんさんは特に気にする素振りもなく、週刊誌の中吊り広告の文言を見て
「レオくんはさぁ、『汚職事件』が『お食事券』じゃないっていつ気付いた?」
と聞いてきた。

高円寺に来るのは久しぶりだった。慣れないし結構道が入り組んでるから、本当に店を知らないと狙った服にはたどり着けない。たっちゃんさん、本当に大丈夫なんだろうな?
「あー。…あー、記憶蘇ってきた。神よ、古着屋の場所を教え給え…」
駅前で、目を瞑り、仁王立ちで呪文を唱える、タトゥーだらけの大男。
すぐにでも置いて帰りたい。
「おっけ、思い出した!こっち!レオくん、俺を信じて」
「あ、はぁ、信じる要素今のとこ無いですけど」
「くぅー、辛辣ー。いいよ俺そういうの嫌いじゃない」
「店どっちですか」
こっち!と元気に歩き出したこの人、何歳なんだろう。小学生のような朗らかさで全身を躍動させて進んでいく。燃費悪そ。
身長190cmの小学生ことたっちゃんさんは、迷いなく歩き、神の啓示の通り目当ての古着屋に辿り着いた。
店内に足を踏み入れると、店員さんが「いらっしゃいませ、あ、この前の」と言っていた。たっちゃんさんが特徴的すぎるルックスをしていることを差し引いても、前回来たのはそうそう前ではないんだろう。「どうもどうも」じゃないんだよ。
静かな店内に日が射し込み、照らされるニットはさらに暖かそうに見える。たっちゃんさんの言った通り、本当に店中ニット、しかもヨーロッパのビンテージものもいくつもありそうなラインナップで、そわそわと目が泳ぐ。
「うわ、どうしよ、どこから見よう」
「わーレオくんがテンション上がってるー。貴重ー。連れてきてよかったー。目がキラキラしてて可愛いー」
たっちゃんさんにかまってる暇はないので、ひとまず端から見ていく。
入口すぐの棚は、平坦な編地の上に、3Dみたいに盛り上がった模様編みが詰め込まれた、アランニットのコーナーだった。70年代の、ダイヤ模様とハニーコーム模様で構成された、教科書のようなアランニットが目についた。意外とこういうシンプルな物は、普通の服屋で探しても売っていない。
その少し奥には、大きな襟付きの、白かベージュっぽいアランカーディガン。この大きな襟にボタンとループを足して、襟を立ててハイネックのようにして着たら可愛いだろうな、と思った。鮮やかなナイロン地のショルダーパッチを片側に縫い付けても良さそう。

「良いのあったー?」
と聞かれたので、くだんのカーディガンを羽織って、ここにボタンを付けてショルダーパッチ付けて…と説明したら
「えっすげーいいじゃん。しかもカスタマイズするんだ、そういうのアリなんだ。似合いそう、絶対買いなよ」
めちゃくちゃ褒められて、たっちゃんさんとの買い物悪くないかもと思った。
「ねぇこれもレオ似合いそうだよ」
勝手に呼び捨てにすんなーと思いながらたっちゃんさんを振り返ると、その手には、多色編みで、細かい模様がランダムなストライプのように積み重なった、見事なフェアアイルニットベストがあった。
受け取ると、フェアアイルの持ち味の、何度触っても驚嘆する見た目以上の軽さ。緻密な編み目。模様の全貌は分からないけれど、これが間違いない品だということは分かる。タグを見ると、フェアアイルの老舗ブランドJAMIESON'S。まあ、そうだろうなとは思った。ますます欲しくなった。

「ねぇ、たっちゃんさん、これ」
「はいはい」
「ここ、何色?」
ベストの襟ぐり辺り、全体のベースとなる部分を指さしてそう聞いた。
「え、何色っていうんだろ、スミクロかな?ちょっと褪せた黒みたいな」
「じゃあ、ここは?」
「これは…だいぶ暗めだけど赤というか、ワインレッドみたいな」
少しの沈黙の後、たっちゃんさんが言った。
「レオ、色、苦手?」
「うん、黄色系と青系は分かるけど、他はあんまり区別付かない。全体が、多分みんなが言うところの茶色かグレー」
「生まれてから、ずっと?」
「うん、生まれつき」
だから俺には、技術はあったとしても、多色使いが最大の魅力のフェアアイルは編めない。一段一段はシンプルに2色を組み合わせるだけなのに、段ごとに色遣いを変え、気づけば複雑な模様を編み出す。その制作工程は、想像するだけで爽快で。でも。

「レオ。ここ、上の方は青なの分かる?その中に、赤系の茶色でこの線が描かれてる。その下の段、地のスミクロっぽく見えるんだけど、すっごい暗い赤を使ってて、それがその下の赤色ベースの模様との橋渡しになってて、洒落てるんだよ」

急に、たっちゃんさんが流ちょうに解説し始めた。しかも、単に色名言われるだけよりずっと分かりやすく。

「全体は、赤系の模様と青系の模様の繰り返しなんだけど、赤と青の中間の紫がこことか、こことかに入ってて、対照的な色だけどうまく馴染んでる。ちなみに、こっちのベストは、ベースが薄めのグレーで、黄色とか、その同系色の明るい緑が入ってて可愛いけど、俺はこのスミクロの方が締まってて、レオに似合うと思うよ」
懇切丁寧に解説してくれているのを聴きながら、たっちゃんさんこんな長い文章喋れるんだぁ…と失礼極まりないことを考えていた。

「じゃあ、こっちにしようかな」
「試着、いいの?ていうか俺が観たいよ、着てるとこ」
「ご試着どうぞ、試着室こちらです」
インナーのTシャツの上から重ね着してみる。
「いいじゃんいいじゃん。普通のシャツでもいけそう」
「…これに、フラップ付きのキャップとか合わせようかな。俺、こういうトラディショナルなやつ着る時、ハズさないと『よそ行き坊ちゃん』になるから」
「はは、自己分析的確!レオ面白いな」

ちょっと笑った後、たっちゃんさんが言った。
「このベスト、俺買ってあげようか」
「えっ、いいですよそんな、理由ないし」
「いいじゃん、連れてきたのも見つけたのも俺だよ?買わせてよ。そしてもっと俺に優しく接して?」
俺を金払わないと笑わない奴みたいに言わないで。
「いやでも、ホントに、ばあちゃんに小遣いも貰ってるし…」
「それはとっときなよ。ちょっとお兄さんぽいことさせてよー、俺兄弟いないしそう言うのやってみたいのよ」
これ以上いやでも…を繰り返すと、何か変な感じになりそうだから、潔くお言葉に甘えることにした。アランカーディガンは自分で買った。

青少年の健全な育成に対して意識が高いたっちゃんさんの
「さっさと食べてさっさと帰って、おばーちゃんを安心させましょうね!」
という提言に従い、17時半だけど近くのカレー屋で晩御飯を食べることにした。
「ベスト、ありがとうございました」
「えー急にかしこまるね。全然、いいよ。俺大富豪だから」
「あと、デザインの説明も。すげぇ分かりやすかった」
お役に立ててよかったでーす、と言ってたっちゃんさんはお冷をがぶ飲みした。
「ここ俺、出します」
「え、やめてー。俺いくつだと思ってんの?ティーンにおごってもらうほど非常識じゃないよ」
本当にいくつなのか教えてほしい。見た目は年齢不詳、中身は無邪気で、取っ掛かりが何もない。
「25ぐらいですか」
「惜しい」

いくつに見える?の会話に2ラリー以上かけんなよ。めんどくさいので黙ってたら、
「えっさみしい、聞いてよ。27だよ、レオのひとまわり上だよね、たぶん」
「そうですね」
「…あっ、やばいこれ俺が喋んないと友達になれないやつ?俺、達人の達に海で達海。苗字は佐藤。超ふつう。レオは名前、カタカナ?漢字?」
「漢字です。王へんに命令の令の玲に、中央の王で玲央」
「苗字は?」
「市原です。市原悦子の市原」
「市原悦子さんレオの世代でも分かるんだぁ、大女優ー」

沈黙。俺は慣れてるけど、たっちゃんさんたぶんこういうの苦手だろうなと思いつつ、沈黙。でも、意外とたっちゃんさんは平気そうで、テーブルの隅にある、球体の占いマシーンをいじったりしていた。

「あっねえさっきのベストさ、あれどういうやつなの。俺のこのセーターみたいに、解説してよ」
「あー…あれは、フェアアイルって言って、スコットランドのシェットランド諸島の中の、小さい島で編まれてるニットですね。ああいう、カラフルな細かい模様が特徴なんですけど、それ以外にも、使っている毛糸がちょっと変わってて。シェットランドの羊の毛って、柔らかくてしっかり絡みやすいから、ああやって何色も使って細かい編み目で編んで、最後に洗いをかけると、フェルトみたいになって模様が馴染むんです」

「確かに、編み目一体化してたかも。ちょっと見せて」
袋からさっき買った、いや買ってもらったベストを取り出す。
「ほんとだぁ、フェルトみたいだわ」
「古着だから尚更、フェルト化進んでますね。あと、もう一つ大きい特徴があって」

V字の襟元と袖ぐりを指さす。
「ここ、最初は閉じて編むんです。大きな袋みたいに」
「えっ、じゃあどうやって穴開けるの?」
「切ります」
「えっ」
「一度編んだものを、ハサミで切るんです。もちろん、そのために『スティーク』っていう切りしろ部分がありますけど」
「切って、解けたりしないの?!」
「編地がよく絡んでるから、切っても解けないんです。袋みたいに繋げて編むから、脇にとじはぎ…えっと、縫い目みたいなものがなくて、保温性も高いし」
「っはー!よくできてるねぇ」

本当に、よくできていると思う。その地の気候や羊の毛質がうまく生かされている。こんなに目の細かい、柄も細かいニットを編み上げた後、大胆にハサミを入れるなんて発想をした人は、余程肝が据わっていたんだろう。

「レオはこれ、編んだことあるの?」
「俺は…編めない」

黙り込もうかと思ったけど、さすがに失礼だから、ちゃんと答える。

「普通の人でも、これだけの色数使うと、こんがらがると思います。俺なら、なおさら。モノトーンで編むなんて妥協もしたくない」

そこまで話したところで、料理が運ばれてきた。
カレーが付いたりしないように、さっとベストを片付ける。
たっちゃんさんは「おいしーね、めっちゃお腹すいてたからほんとおいしー」と言いながら、俺は無言で食べる。
半分くらい食べたころ、たっちゃんさんがメニューを見ながら、ラッシー飲む?と聞くのに続けてこう聞いてきた。
「レオ、さっきの編みたいんでしょ。なんだっけ、名前忘れた」
「フェアアイル」
「そう、それ。編みたいでしょ」
「や、だから」
「一緒に編もうか」

「え?」
「手は貸せないよ、目だけ。毛糸選ぶとか、次この色だよとか、ここまで間違えずに編めてるよとか。何が必要か、俺編み物したことないし分かんないから、そこはレオが指示してよ」

うそ。考えたこともなかった。
誰かと一緒に編む?目を借りる?にしたって、編み目の段数は三桁に達するだろうし、そのいちいちに「この色だよ」なんて教えてもらうのは現実的じゃない。
でも少なくとも、色選びに関しては、とても信頼のおける人だということは分かっている。

「編みたい。編みたいけど、どういう方法にすればいいかが…」
「まぁ、そこはゆっくり考えようよ。声かけてくれたら俺はいつでも乗るよ、なんかすごく楽しそうだし」

全く、変な人だ。愛想悪い俺のために、こんな見るからに面倒くさそうなことを、楽しんでやろうとしている。この親切で変な人のことを俺はよく知らない、と気づいた。

「あの、たっちゃんさんは、何してる人なんですか」
「あ、俺の店見てなかったか。うちタトゥースタジオなの。彫師さんだよ。刺青彫る人」
編針と違って、ずいぶんと鋭利だけど、俺と同じく、針を持つ男だった。




第1章「針」
https://note.com/scrapandbuildai/n/n9f79b10dce8d
第2章「中野ブロードウェイ」
https://note.com/scrapandbuildai/n/n656a7baae358
第3章「付け襟」
https://note.com/scrapandbuildai/n/n0caf87e0d234
第4章「目」
https://note.com/scrapandbuildai/n/n65d2d34e144c
第5章「母、襲来。」
https://note.com/scrapandbuildai/n/n51ad680fcd23
第6章「キッズセーター」
https://note.com/scrapandbuildai/n/ne06fe62db7a9
第7章「Never」
https://note.com/scrapandbuildai/n/na60bc5388cdd
第8章「鳥」
https://note.com/scrapandbuildai/n/n533984bffd5d
第9章「ハサミ」
https://note.com/scrapandbuildai/n/n9775a74d3f28
第10章「フェアアイル」 
https://note.com/scrapandbuildai/n/n5e1ea23137e6
第11章「インパラ」 
https://note.com/scrapandbuildai/n/n4ec0d5c175be
第12章「さくら」(終)
https://note.com/scrapandbuildai/n/n4a606ea75553




この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?