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あのスティークを切り開き 第3章「付け襟」

 俺の部屋に、毛糸をぐるぐる巻きにして作った、綺麗な球体の毛糸玉と、疲れ切ったたっちゃんさんが転がっている。

 毛糸は、商品として売っている段階では、球体じゃない。決められたグラム数で俵型にゆるく巻き、紙のラベルで束ねられている。俺達があの日買った毛糸は全部で15玉、色数は八色。その内訳は、色によって3玉だったり4玉だったりする。ひと玉編み終わって、もうひと玉に継ぐとき、間違って別の色の玉を継ぐことのないよう、3玉なら3玉まとめて、一つの大きな球体にする。色ごとにA~Hの旗を付けた割りばしに、毛糸をぐるぐると巻き付けて球を作る。

「バディって言ったよね」
とたっちゃんさんを呼び付け、8つの毛糸玉づくりを手伝わせた。

「これ、漫画でよく猫ちゃんが転がしてるやつだぁ」
たっちゃんさんは最初の内は喜んでいたけれど、後半は鬱々とした目になり、出来上がると床に倒れ込んだ。昼間の仕事の疲れもあったんだろう。今はこうやって毛糸玉にする人は多くないと思う。手間がかかるし、特段のメリットはない。ただ俺は、万全を期すためにこのやり方にした。

「ありがと、1人だとしんどすぎるから助かった」
「2人でも十分しんどかったけど。まぁこないだの恩もあるしね」
 その恩は、デザイン料として返してもらったはずなのに、まだ俺は恩をカツアゲしてしまった。あー肩バキバキ、と言いながら、たっちゃんさんは風呂に入りに一階に下りて行った。もう、完全にばあちゃんちが別邸状態になっている。その姿を見送り、俺は早速、フェアアイルのベストの1段目――作り目をしていった。

 ばあちゃんのニットカフェは、基本的にばあちゃんが市民講座や手芸用品店の講習会で出会ったお仲間さんの貸し切り状態だ。ほとんどは、子育てを終えた、あるいは孫育てを始めたご婦人たち。
 手元が見やすいよう、大きな窓といくつものペンダントライトのある店内は、光に溢れている。外壁はグレーだけど、中は白壁で、明るい色味のフローリングでは、靴を脱いでもらう。毛糸を落としてしまっても汚さないように。

 俺はこの店で、腰までのエプロンと柔らかなルームシューズを身に着け、ウェイター兼編み物のアシスタント兼ご婦人の話しかけられ役としてバイトしている。一応、バイト代は出る。日給1万円だ。大半の時間を、座って編み物しつつ話を聞き流すことに費やしているのに、日給1万円。俺はもう、他の仕事は出来なくなるんじゃないだろうかと、時折不安になる。

 俺がどう思っているかはともかく、ご婦人たちは、俺のことが大好きだ。これは自惚れではない。毎日生菓子やちゃんと果物屋で買った旬のフルーツを与えられる。
「ここ分からなくなっちゃったんだけどぉ」
 と言われて、ここひと目飛んでますねとか言いながら修正してあげると、
「あらぁここレオくんに編んでもらっちゃったー。忘れないように印付けておこうかしら」
 とか言われる。俺を可愛がることを楽しんでいるのだ。俺のことを、毛糸玉とじゃれる猫みたいに思ってるんだろうか。別にいいけど。

 常連さんのひとりで、ばあちゃんより5つ6つ下のアケミさんは、そういうヘルプは頼んでこない。編み進めて中盤辺りでひと目足りないことに気が付いたら、
「やだ、5段前で目落としてたわ!とりあえず繕って、ひと目足しときましょ!」
 と、フレキシブルというかその場しのぎというか、な対応をする手のかからない人だ。編み物には性格が出る。俺は、1回も間違いたくないし、ここをミスったなと思いながら完成させた作品は見る気も起きないから、細心の注意を払う。だからこその、あの毛糸玉づくりだ。

 そんなアケミさんが、最近はかなり慎重に編んでいる。
「見てーレオくん、これいい色でしょ!」
 と、編みかけの、彩度の高い小さなセーターを見せてきた。俺が言い淀んでいると、ばあちゃんがカウンターの中から
「あらほんと、鮮やかでハッとするような赤ね」
 とアシストしてくれた。
「可愛い色ですね。お孫さん用ですか」
「そそ、上の娘のとこの、ヒナちゃんにあげたいの。あの子いっつも子供に渋い色ばっかり着せてるから、もっと子供らしい色の服あげなきゃと思って」
「そうですか、喜んでもらえるといいですね」

 そうですか、で終わらせなくなったのは成長だ。そう、成長。俺は今日で、16歳になった。普通の高校生だったら、もうすぐ2年生。

 先々週夕食を食べながら、ばあちゃんが
「レオの誕生日には、たっちゃんに来てもらってお誕生会をしたいわね」
 と言い出した。
 俺は、それだけはやめてくれと懇願した。16歳にもなって、祖母と知り合いのオニイサンに誕生会開いてもらうなんて、恥だ。あの2人のことだから、共謀して「レオお誕生日おめでとう」という横断幕をダイニングに飾りかねない。たっちゃんさんの長身はそういう飾りつけにはおあつらえ向きだろう。そんなことをされたら俺はもう生きていけない。

 結局、誕生日当日はばあちゃんと家で俺の好きな煮込みハンバーグを作ってもらい、たっちゃんさんには後日夕食をご馳走してもらうことになった。
 約束の数日前、たっちゃんさんから

「レオ、この店どう?!おいしいよ!」
「レオ羊さん好きだからいいかなと思って!」

という文章と共に、ジンギスカン屋のリンクが送られてきた。この人どうかしてる、と思った。羊毛とラム肉は違う。一旦寝かせて、3時間後返信した。

「ギャグで言ってる?」
「お笑い好きは誕生日にお笑い芸人焼いて食うのか」

 たっちゃんさんから返信があった。

「えーっ、羊繋がりで上手いこと考えたと思ったのに!でもふつうにおいしいよ?」

 まあ俺も、ラム肉は好きなので、結局その店に行くことになった。
 もうもうと煙の充満する店内で、七輪を挟んで向かい合う。

「悪いけど、俺ビール飲んじゃうからね。レオはオレンジジュースでも飲んでなさい。まだ子供なんだからね16歳でも!」
「ひと回り下に年齢マウント取るなよ」
ウーロン茶とビールで乾杯する。
俺は肉の焼け具合がほとんど判別できないから、肉を焼くのはたっちゃんさんにお任せ。
確かに肉の鮮度が良くてうまい。

「レオはさぁ、絵凄い上手だけど、絵画教室とか通ってたの?」
「いや、小学校まではずっと1人で家で描いてた。母親がデザイン系いける人だから教えてもらったり」
「あーそっか、お母さん譲りなんだね」
「中学からは美術部入って、デッサンとか…ていうかデッサンばっかりしてた」

 本当はそれ以上のことをしたかったけど、色がおかしい、と言われるのが怖かった。それをオリジナリティだ、自分の絵の魅力だと胸を張るだけの、作品としての説得力も、俺の自信も足りなかったと思う。
 アニメが好きで、ニットデザイナーの母親を間近に見て育ち、俺も映像制作やデザインの道に進みたい、と思ったこともあった。でも、アニメーション・服飾デザイン・ニットデザイン・ウェブデザイン・アパレルの企画や販売、どの方向に進もうとしても、俺は「色の壁」にぶち当たる。

 高校に入学し、中学まではまぁ上位だった成績は、さらに優秀な生徒たちの中では中の下か下の上だった。そして希望の進路は選べない。俺は徐々に、学校に行く気を失い、怠惰に任せてサボり続けた結果、出席日数が足りなくなった。何のドラマ性もない、ダサい話だ。

「レオ、肉焦げるよ」
 誕生日なのに、嫌な反省会をしてしまった。いや、誕生日だからこそ反省すべきだったのかもしれないけれど。このままニットカフェで「バイト」をさせてもらって、でも一生そうしている訳にもいかない。例え俺に激甘のばあちゃんが店を譲ってくれたとしても、俺に客が付いている訳じゃない。「可愛い」で済まなくなる年齢は、日に日に近づいて来ている。

「ねえ、聞いてる?!ていうか肉だけじゃないから、レオの領土の玉ねぎとかキャベツどんどん焦げてるからね?俺が回収して食べてあげてるの分かってる?もうレオの16歳の目標俺が決めたから。俺の話を聞くことね!」
「うん、ゴメン。野菜焦がさない1年にするわ」
「違うって、そこじゃないって!そういう聞きたいとこだけ聞くとこもどうにかしてよ」
 引き続きごちゃごちゃ喋っているのを聞き流しながら、たっちゃんさんって、オニイサンって言うかお母さんっぽいなぁと思っていた。俺の母親は、お母さんって言うかお父さん的だよな、とも。

 毛糸玉が出来上がって以来、お母さんっぽいたっちゃんさんに甘え、満を持してフェアアイルを編み進めている。どんなに針がノッていても、5段で止める。そして、たっちゃんさんがうちにいる時はその場で、いなければ翌日にお店で、色を間違っていないかチェックしてもらう。
「レオ、残念なお知らせ」
「だーっ!」
 時に、1段目から間違っていたりするけど、潔く解く。絡みやすいフェアアイル用の糸は解きにくいから、うっかり解かなくていい所がほどけないよう、潔くも慎重に。
 たっちゃんさんも、朝ならともかく、彫師として目を酷使した後に細かい編み目をチェックするなんて、面倒でしんどいだろうに、嫌な顔一つせず付き合ってくれる。もっと笑顔でありがとうって言えたらいいのに、と思いながら、真顔でありがと、と伝える。その繰り返しで、少しずつ編地は伸びていった。

 仲間内でやってるようなニットカフェにも、たまに迷い込んだ子羊のようなお客さんが来る。今日の子羊は、白に近い金のマッシュルームヘアが美しい、黒いレザーのショートパンツに、おそらくいろんな色のインクを滲ませたよう、であろうカラータイツを履いた若い男性。
「あの、ここ編み物していいって聞いたんですけど…」
 ご婦人たちのおしゃべりのボリュームに圧倒され、少し縮こまっている。なるべくゆったり編めるよう、入り口傍だけど比較的静かな席に案内した。
「ミントティー、お願いします」
 注文し終えるとニッコリと笑う、彼を包む陽だまりにぴったりの穏やかさが印象的だった。

 ご婦人たちの喧騒と、マッシュルームヘアの彼の間に座り、店で使えそうな、紅茶のポットに被せるティーコゼーを編んでいた。フェアアイルのような集中力のいるものは、ここでは編まない。白いニットと木の棒針の組み合わせは、見ているだけで癒される、と思っていたら、喧騒の反対側から

「あ゛あ゛ーっ!」

という嘆きが聞こえてきた。穏やかだった目元に、皺が寄っている。

「どうかされました?」
「あ、煩くてごめんなさい」
「いえ、何か、トラブっちゃったかなって」
「うーん、多分トラブってるんですけど、どこをどうトラブったのか分からなくて…」
 彼の手にあったのは、金色のかぎ針と、小さな円形のレース。
「ちょっと、見せていただいていいですか。編み図も」
 白いコットンの糸で、肩に届きそうな大きめのつけ襟を編もうとしているようだ。「今何段目ですか?」
「えっと、5段目です」
 直径が大きい円形なので、5段目といえど結構な量を編んでいる。
「あの、残念なお知らせです…」
「ああ…」
「この、3段目からの鎖編み、全部目が一つずつ少ないですね」

 二本で編む棒針と違って、一本で編むかぎ針編みは、アケミさん的帳尻合わせが不可能。ほどいてやり直すしかない。
「あーやっちゃった。でも、まだ早めに気づけて良かったです。またほどいて、スッキリやり直します!」

 結構前にミスしたことが分かった時、無理やり帳尻合わせず、潔く解いて編み直すと、さっきまでのがっかりした気持ちが驚くほどあっさりと消えていくものだ。アケミさんはどう思うかは分からないけれど。

「あの、良かったら、つくり目終わった後2段目から、俺、一緒に見ていきましょうか?模様1セット編んだら、一回手を止めてもらって、目数合ってるか確認する、みたいな感じで」
俺 with たっちゃんさんスタイルだ。その有り難さは日々実感しているから、提案してみた。
「え、助かるかも。いいですか?」
「全然。いい所で呼んで下さい」
 彼はユキヒロさんと言う名前だった。ユキヒロさんと、少しずつ確認しながら進めていく。元々几帳面な性格なんだろう。しっかりと安定した目で、ゆっくり編めば、間違いの無い綺麗な模様が出来上がっていく。

「ユキヒロさん、編み物よくされるんですか」
「あんまり。これは卒業制作のためで」
 あんまり、と言ったが、ユキヒロさんの前には、サイズのちがう十数本もの金色のかぎ針たちが、黒い革のケースに収められている。
「すごい立派なかぎ針のセットですけど、誰かから引き継いだんですか?」
「いえ?このために買いました」
 大きいとはいえ、つけ襟一枚のためにこんな立派なものを揃えるなんて。その真摯さがあれば、きっと完璧に編み上げられるだろうと思った。

「卒業制作って、ニットなんですか」
「ベースはエナメルのドレスで。襟だけニットにしたいなって。デザイン専門学校に通ってるんですけど、卒制はファッションショー形式なんです」
デザイン専門学校。俺ももし普通に色が見えたなら、そういう道も選びたかった。若干の嫉妬心が芽生えた自分が嫌になる。

 それ以来、ユキヒロさんは度々来店し、同じように少し編んでは俺がチェックし、という体制でコツコツと着実に編んでいった。一センチ直径が増える度に、嬉しそうに肩に乗せて窓ガラスを見る。お気に入りのドレスを纏った少女のようにかわいらしかった。多分俺より年上なのに、かわいらしいなんて失礼かもしれないけれど。 

 今日のユキヒロさんは、綺麗な青地に、黄色、とそのほかにもたくさんの色の花がプリントされた、ハリのある生地がしっかり広がるスカートを穿いてきた。
「スカート、素敵ですね」
 お茶をサーブする時に声を掛ける。
「ありがとう、彼女に借りたんです」
「へえ、服、共有してるんですか。いいですね」
「たまにですけどね。今日はこの後、アイドルのライブに行くからおしゃれしたくて」
 彼女と二人で、同じ男性アイドルグループを推していて、度々一緒にライブに行くらしい。

「こんにちはー」
 いつものゆったりした挨拶で、たっちゃんさんが店に入ってきた。
「あらぁたっちゃん、最近見なかったわね」
「たっちゃんミカンあるわよ、持って帰って」
 ご婦人がたっちゃんたっちゃんと声を掛ける。いかついたっちゃんさんは、ばあちゃんだけでなくばあちゃんのお友達からも圧倒的支持を受けている。俺と同等か、いやそれ以上に可愛がられている。愛嬌があり話もうまく、本当に、客商売に向いた人だと思う。
 たっちゃんさんが俺の隣、ユキヒロさんの斜め前に座って言った。
「スカート、すごい綺麗ですねぇ。窓越しでも目引きましたよー」
「嬉しいな。彼女に借りたもので」
「いいなー。趣味合う彼女なんだぁ」
「今日は二人でアイドルのライブに行くんだって」
「うわ楽しそ!」
「ありがとうございます。ほんとは、双子コーデとかしたいけど、目立ちすぎるとチラチラ見られちゃって、彼女に悪いから」
「そっかぁ、まぁ視線気にせず、楽しいことに集中したいですしねー」

 例えポジティブなものだったとしても、チラっと投げかけられる視線。その積み重ねによるストレスは俺にもわかる。たぶん、たっちゃんさんも。

「タトゥー、すごく沢山。にぎやかで素敵ですね」
 ユキヒロさんがゆったりと言った。
「あぁ、これほとんど自分の練習彫りなんで、下手くそなのも入ってますけどね。隣でタトゥースタジオやってます。たっちゃんでーす」
また出た。

「へぇ、僕タトゥー興味あって。卒制のショーに合わせて、入れたいなって思ってたんです」
「お、じゃあ俺彫りましょうか?ショーいつですか」
「1ヶ月後なんですけど、間に合います?」
「うーん、デザイン決めるまでを考えると結構ギリギリかも。この後、うちでちょっとカウンセリングします?」
「ぜひ!彫るなら、イメージは結構固まってて」
「お、じゃあスムーズに進むかも。15時からの1時間なら空いてるけど、その後でも大丈夫?」
「大丈夫です。編みながら待ってますから」
 あっという間にタトゥーを入れる決意をしてしまった。ミスしたらさっと編地を解く、ユキヒロさんの潔さだなぁと思った。

 じっくりと慎重に編み続けた、ユキヒロさんのつけ襟が完成した。すこしきつめに編む彼らしく、薄めの儚げな、でもしっかりしたコットンの糸の個性が出た、美しくも力強さのある、完ぺきなつけ襟。肩に乗せて前のヒモをリボン結びにすれば、シンプルなスタンドカラーシャツが、森のお茶会にでも行けそうな、ドレッシーで可愛らしい服に顔を変える。

「すごく、良いものが編めましたね。俺も嬉しいです」
「ありがとうございます、レオくんのおかげです」
 心からの賛辞を送れた、そんな自分に驚いた。
「あの、良かったら、卒制の発表のショー観に来ませんか?お忙しければ全然いいんですが」

 ユキヒロさんの作品なら観たい、と思ったが、少しだけ怖かった。俺が憧れ、そして諦めたファッションやデザインの道を志す学生たちの、晴れの舞台。それを、真っ直ぐな気持ちで見届けられるのか。何より、ユキヒロさんのランウェイを真っ直ぐな気持ちで観られなければ、俺は自分自身にがっかりするだろうなと思った。チラシを受け取って、お店の予定確認してみます、と曖昧に答えた。

 翌日、いつものごとく開店前にたっちゃんさんに編み具合を確認してもらいに行ったら、
「レオ、ユキヒロくんのファッションショー行くでしょ?」
 と開口一番聞かれた。
「え、ちょっとどうしようか迷ってて」
「そっかあ、俺も店の予約の時間的にギリギリでさ、ユキヒロくんの出番終わって即退席したら間に合うかもぐらいなんだよな」
「ねえ。俺が行くなら、ついて来てくれる?」
「んーまあ、そう言うなら行くけど、なんで?」
「ユキヒロさんのドレスの色が、知りたい」

 そう。これも迷いの原因の一つだった。どんな美しい色のドレスに、あの付け襟が乗ったのか知りたいし、それを知らないまま「綺麗でした」と言うのは、俺の中では納得できなかった。

「そういうことね。それなら、お供しましょう。マジで俺すぐ帰っちゃうけど、大丈夫?」
「ガキじゃないんで。ひとりで帰れるって」
「そうでしたねーレオくんはもう16歳でしたねー」
ニヤニヤいじってくるたっちゃんさんにムカついたので、そのまま伝えた。
「ニヤニヤいじられるの、ほんとムカつく」
「っかー!怖い!せっかく一緒に行くのに!」
「ユキヒロさんのランウェイが観たいという大目的を同じくし、また同じ界隈で働いている人間同士が営業日に一緒に行くのはごく自然なことであり、殊更に恩を感じるほどの事ではない。その恩を凌駕するムカつきを感じた」
「酷い…詰めるならもっと話し言葉で詰めてよ……」

 こういう時普通なら、お隣の優しいオニイサンではなく、同世代の友人と行けばいいのに、俺にはそういう友人が一人も思い当たらなかった。無理もない。俺は自ら同世代の友人を遠ざけた。男子も、女子も。

 ショーの当日、本当に忙しいたっちゃんさんは、ユキヒロさんの出順の5つ前くらいに到着することになった。それまで俺は一人で、淡々とショーを観続ける。ほんの少しの苦い気持ちはあるけれど、そして色はやっぱり分からないけれど、それぞれがメイクやシルエット、素材選びと、色以外の要素にもしっかりとこだわって創り上げていることはよく分かる。色は、ファッションの世界で無視できない要素ではあるけれど、でもあくまで一要素である、ということを感じられた。

 ユキヒロさんの出るブロック前の休憩時間に、息を切らしてたっちゃんさんがやってきた。生え際に少し汗が滲んでいる。身長差がありすぎるから、座っている時でないと至近距離でたっちゃんさんの顔を見ることはない。それに普段はお互い仕事中だったり、それ以外は向かい合って座るから、しげしげと横顔を眺めることはない。
 人間の顔は、横から見るとずいぶんと骨格が分かりやすいものなんだな、と思った。角ばったえらとか、しっかり通っているけれど俺より太い鼻筋とか、額の平たさとか。はっきりとした二重瞼に、眉骨が影を作る。分かっていたけれど、改めて、男性的な顔立ちだと思った。

「え、ごめん、汗臭い?」
「いや。忙しかったんだろうなって」
「え、やっぱ汗臭いってこと?!」
「ちげぇよ」

 そうこうしているうちに客席が暗くなった。
 四人の学生が歩いた後、おそらく次がユキヒロさん。
 ステージ袖から、黒いエナメルの、ヒールが高くて太いチャンキーヒールのパンプスが姿を現した。その上に、白いタイツで包まれた、筋肉の印影が印象的なふくらはぎ。そのもっと上に、エナメルで、ところどころラメを塗ったように輝く、ごく小さなストーンがいくつも張り付けられたドレスがあった。
 それを纏うユキヒロさんは、リップラインを切れそうなほど鋭く取って黒い口紅を塗り、いつもの穏やかな笑顔を封印して、目じりに長い長いアイラインを引いていた。ハードなメイク、ハードなドレス、その間に、ユキヒロさんが丹精込めて編んだあの付け襟があった。それは、アンドロイドみたいな硬質なスタイリングの中で、人間的な温もりを感じさせるものだった。

 付け襟が肩にかかり、そして途切れる辺り。ユキヒロさんの肩から二の腕にかけて、あの付け襟と同じレース柄の、黒いタトゥーが彫られ、付け襟と繋がっていた。タトゥーはそこにある筋肉に沿って隆起しあるいは窪み、それが肉体を、生命力を感じさせる。ユキヒロさんというモデルを含めた作品全体が、無機質さと、温もりと、生命力、という三要素で構成されていた。

 感動と共に、俺はこのショーのチラシを受け取った時から感じていた不安、色がどうなのか、ということを確かめたかった。チラっと、右隣りのたっちゃんさんを見た。

「大丈夫、レオが見えたままの色だ」

 ユキヒロさんの作品は、モノトーンだった。俺は、100%の感動を得られた喜びを噛み締めた。

 たっちゃんさんは、ユキヒロさんの出演したブロックが終わると早々に席を立ち、最大限腰を屈めて「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら会場を後にした。本当に、忙しい合間に来たんだろう。
 それは多分、ユキヒロさんのためだけじゃない。「殊更に恩を感じることじゃない」なんて、ずいぶんな口をきいたものだ、俺は。俺がたっちゃんさんだったら、俺と仲良くなんてしてない。
 もっと素直に、ありがとうやごめんなさいを言えたらいいのに。保育園や小学校で散々勉強したはずなのに、どうしてこんな大事なことを、習得しそびれたんだろう。

 ショーの最後、表彰式で、ユキヒロさんは審査員特別賞の花束を受け取った。その色は分からないけれど、モノトーンの衣装によく映えているだろう。客席の隅に向かって手を振るユキヒロさん。その先にいる女性は、きっとあの綺麗なスカートを貸した彼女なんだろうな、と思った。

 受付の人に、ばあちゃんの焼き菓子の詰め合わせを渡し、
「差し入れです……3年生のユキヒロさんに。金髪の、マッシュルームヘアの」
 苗字を聞いておくべきだったが、何とか通じたらしい。

 工芸科の作品販売を覗いてみた。だいぶ売れた後で、残り少なかったけれど、深い藍色のビール用タンブラーがあったので、買ってみた。
「ご自宅用ですか?」
 と聞かれ、
「いえ、プレゼント用で」
 そう答えた。


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