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あのスティークを切り開き 第7章「Never」

 赤いセーターを編み上げ、秋になっても、ルイは変わらず週末はうちの店に来た。編み物はせず、勉強をする。一応、ニットカフェではあるものの、カフェとして使っても何ら問題はなく、また俺の数少ない友達、ということで、ばあちゃんも歓迎してくれている。
 ルイの目当てはたっちゃんさんだけではない。と信じたい。勉強中は邪魔しないが、ひと息入れる時は話しかけてくるし、2~3日に一度のたっちゃんさん通信も途切れず続いている。何より、中学校時代ほぼ笑顔を見たことがなかったルイが、俺の前ではふふっと笑うから。こうなったらもう友達だろ、本人もそう言ってたし。と信じたい。

「今日はたっちゃんさん、来るかしら」
 思ったそばから反証されてしまった。
「ほぼ毎日来るし、来るんじゃん?」
「今日は来てもらわないと困るわね。そろそろ伝えておかないといけないことがあるし」
「普通に連絡取ればいいじゃん。LINE教えようか」

 全っ……と言いながら、ルイが天を仰いだ。
「然分かっていないのね、ファン心理を。それは越権行為よ」
 たっちゃんさんは一般人なのに、気が付けばアイドルのようになっている。本人は自覚しているんだろうか。

 おつかれさまぁ、とアイドル様が来店した。慌てて鞄の中からスケジュール帳を取り出し、ルイが推しのもとに駆け寄った。
「たっちゃんさん、こんばんは。お疲れのところすみませんが、ご相談が」
「ルイちゃんお疲れー、何何ぃ?」
「私、10月5日が誕生日なんです」
「そうなんだ!おめでとう、何かお祝いしなきゃだねー」
「それで、10月の第3土曜日の夜、ご都合いかがですか」
「ちょっと待って……今の所、予約は18時までかな」
「私その日、両親も妹も旅行中なんです」

 一瞬沈黙した後、たっちゃんさんが、へえそうなんだ、と目線を逸らしながら言う。
「たっちゃんさんの家に行ってもいいで」
「絶対ダメだよ」
「何考えてんだよLINEどころじゃねぇ越権行為だよ」
「皆さん、落ち着いて。私は闇雲にたっちゃんさんの家に行きたいわけじゃないんです。目的が済めば帰りますし」
目的、とは……と言うたっちゃんさんに、緊張が走る。俺も、全く同じ。ルイが何を言い出すのか、ひとつも予想が付かない。

「たっちゃんさん、私とトップオブコントを観ましょう」
 え?は?
「マジで意味わからん。普通にご飯食べに行きましょうとかでいいじゃん」
「私は毎年、トップオブコント一回戦から結果をチェックし、勝ち上がった芸人の公式youtube等でネタを見漁ります。決勝に残ったメンバーについては完全に知り尽くした状態で、決勝戦を観戦します。少なくともたっちゃんさんの友人知人の中では、私が一番、楽しくそして余すことなくトップオブコントを堪能させる自信があります」
「あのぉ、俺、お笑いあんまり興味ないんだよね……」
「大丈夫です、私がトップオブコント好きにさせます」
「お笑い好きじゃねえんだ」
「他のお笑い賞レースは全く興味ないの。ネタ番組もライブも。トップオブコントという大会が好きなだけ」

お笑い好きからとても反感を買いそうな発言だ。
たっちゃんさんは引き続き戸惑っている。
そして俺はとても寂しい。友達なのに、誘ってもらえない。
「ね、俺もここに居るけど」
「市原君はもちろん参加よ。当たり前じゃない、男女で部屋に二人きりなんて人聞きが悪いわ」
完全なる数合わせと言うかカモフラージュ要員と言うか、ってところだけど、呼んでもらえてよかった。でも、男2人女1人で成人男性の家に夜に集まるって、まだ人聞き悪いけど。

「えっとぉ、俺の家に来てもらうのはちょっと問題あるかも。リモートで同時観戦するとかじゃダメかな?」
やる意味分からないしつまらなそうだけど、穏便ではある。でも、ルイはそんな妥協はしなかった。
「せっかくのご提案ですが、却下です。テレビ放送と、ネットでのリモート通話は、確実にタイムラグが生じます。絶対に、リアルタイムで、同じ場所で観戦しましょう。たっちゃんさん、以前市原君と一緒にアニメをワンクール分夜通し鑑賞したそうですね。私の場合は2時間半程度です。過去の実績と照らし合わせても、何ら問題はないかと」
押せばどうにかなる、というたっちゃんさんの気質を、ルイも見抜いていた。そして畳み掛ける。
「たっちゃんさんの自宅で、と言う点に問題があるようでしたら譲歩します。たっちゃんさんのお店ではいかがでしょうか。未成年へのタトゥーの施術は条例で禁止されていますが、タトゥー施術店への立ち入りについては特に言及されていません」
「えっそうなの?!でも前にレオが……」
「俺は、出入りしてオッケーなの?って聞いただけだよ」

 詭弁を弄するクソガキ2人に、優しい優しいたっちゃんさんが太刀打ちできるはずもない。トップオブコント当日はたっちゃんさんには18時以降の予約は開けておいてもらい、その後たっちゃんさんの店にあるデザイン用のPCを借り、リアルタイム配信で観戦する、という、完全にたっちゃんさん頼みのプランが決まった。

「最初ちょっとびっくりしたけど、決まったら何か楽しみになってきたかもー」
 どこまでも人が良い。ルイは越権行為がどうのと言っていたが、連絡用にLNEグループを作り、とうとうたっちゃんさんとルイがLINEを交換した。
「ルイちゃん、別に何も後ろめたいことしないけど、出来ればご両親には言わないで欲しい……」
「当然です。私の計画性に関しては市原君がよく分かっています。両親にバレるようなヘマはしません」
 トップオブコントの予選期間中、ルイは予選通過者の中から注目のグループなりピン芸人をピックアップし、芸風やお勧めのネタ動画などを送ってきた。まるで公式アカウントの様だった。

 トップオブコントの前の週、たっちゃんさんは
「番組21時までだし、心配だからルイちゃんは家まで送るよ」
と言った。でも、1時間近くかけて家まで送り、また1時間かけて戻ってくると言うのは、たっちゃんさんの負担が大きいと思って、俺は
「いいよ、俺とルイ地元一緒だし、俺が送ってって、俺はそのまま実家泊まるから」
と言った。
「確かにそうだねぇ、その方がよさそう。ていうか俺が送ってるとこご近所さんに見られたら、凄く変な噂立ちそう」
「いえ、周りの目線とかは全く気にしないのですが、やはり家まで送っていただくと言うのは越権行為ですので」
 もう越権行為の定義がよく分からなくなってきたけど、ひとまずそういうやり方に落ち着いた。

 当日、俺は実家に泊まるから早上がりするわーとばあちゃんに言い、ルイと2人、たっちゃんさんの店のバックヤードで息を潜めていた。たっちゃんさんが早めに閉店すると、
「あー疲れた。じっとしてるから身体バッキバキだわ」
「たっちゃんさんここ飲み物置いていいですか。あ、18時20分にウーバー来ますから」
 クソガキのターンの始まりだ。ルイは、たっちゃんさんは何もしなくていいですから、と言って、たっちゃんさんのパソコンを180度回転させ、TVerにアクセスし、リアルタイム配信の準備を整えた。俺はたっちゃんさんの閉店作業を手伝った。
「レオはやっ」
「ばあちゃんに代わってよくやってっからね。あと15分だよ。トイレとか行っといたほうが良いんじゃない」
「ねえ、ルイちゃんの誕生日ケーキ買ってあるけど、もうさっさと出しといたほうがいい感じ?」
「だな。中途半端なタイミングで出したら多分たっちゃんさんでもキレられる可能性ある」

テーブルに、チキンやサラダ、エビチリにバースデーケーキという、全く統一感のない料理が並び、コーラで乾杯したらちょうどトップオブコントが始まった。
ルイは、今まで見てきた笑顔時間の300倍くらいの量笑っていた。俺もたっちゃんさんも、ひたすら笑い続けた。
「うわ、youtubeに載ってたあの犬のネタ、絶対ファイナルステージ用に温存してただろ」
「そうね。ここで出していたら勝ち上がれていたかも」
「もったいなかったかもねぇ、でもさっきのネタも面白かったけどね」
事前知識があったおかげで、各芸人への思い入れが強く、手に汗握るようなシーンもあった。
「待って、このコンビ俺名前しか覚えてないわ」
「ほんとだ、芸風は聞いた気がするけど、ネタ自体は観てない」
ルイは全芸人万遍なく情報を送ってきていた、と見せかけて、明らかなダークホースについては俺たちにほぼ情報を提供しないという高度なテクニックでもって、俺たちのサプライズまで確保してくれていた。

 優勝者が決まった瞬間、ルイは立ち上がって目を瞑って天を仰ぎ拍手をした。優勝者の涙を見ると俺もこみ上げるものが、と思って横を見たら、たっちゃんさんは眉間に皺を寄せて泣いていた。完全に俺だけ置いて行かれた。
「すごいね、ルイちゃんいなかったら、こんなにガチで楽しもうと思わなかったよ」
「いえ、私も推しコンテンツを推しと楽しむという、私得でしかない時間を楽しめて最高でした」
「わたしとく?おし?って何?」
「たっちゃんさんは知らなくていいやつ」
「来年はきっとこんな余裕ないですし、浪人覚悟なので再来年もきっと無理です。多分こんなことが出来るのは今年限りでした。いい思い出を、ありがとうございます」
「え、ルイ重っ」
「そっかぁ、そんな大事な年に一緒に楽しませてくれてありがとね」
 ルイはまた、「尊い……」の顔をしていた。

 週末の21時半は、電車は割と空いていて、俺もルイも席に座ることが出来た。
「良かったな、たっちゃんさんも楽しそうにしてたし」
「そうね、わが推し人生に一片の悔いなしって感じね」
「一応、俺も居たってこと覚えてて」
 ルイは、ふふっと笑った。
「市原君が居る前提で、ってことよ」
 俺はどうして、友達に対してこんなに重たいんだろう。たっちゃんさんにも、ルイにも。
「受験で忙しくなるだろうけどさ、俺と、友達でいてくれる?」
「物凄い剛速球ね。受験を経たら無くなる友情ってそれまでよね。そして、市原君がどうかは知らないけど、私にとっては貴重な友人よ。今まで、同級生から親しみを持たれることなかったし」
確かに、俺がかつてルイを「川辺ルイ」とフルネームで呼んでいたように、一般の生徒からしたらルイは有名人と言うか、「あの」川辺ルイ、という感じで、友達になりたいとかいう発想もなかった。
「私のスマホ、家族と市原君とのLINEと、たっちゃんさんのお店のインスタ投稿確認にしか使ってないから、市原君・たっちゃんさん専用機状態なのよ」
「いや、俺とのLINEもたっちゃんさん通信だからたっちゃんさん専用機じゃん」
「でも、市原君とじゃなきゃたっちゃんさん情報で盛り上がったりしないから」
 友達でいるのに裏付けなんて本当はいらない。でも、俺は、ルイに、異性であるルイに「貴重な友人」と言い切ってもらえたことでようやく、友達だと思うことを自分に許せた。

「たっちゃんさんの店のインスタとか、見てて面白い?」
「面白いわよ。タトゥーの写真しか載ってないんだけど、たまに『虎さんでーす』ニッコリ絵文字、っていうコメントと共に、凄くリアルでいかつい虎のタトゥーの写真が載ってたりするわ。シンプルなレタリングのタトゥーの写真に『今日は急にカレーうどん食べたくなっちゃって、白Tだけどカレーうどん屋さん行ったら、シミ付けちゃいました~』涙絵文字、っていうコメントが添えられたりしてて、ランダム感がたまらないわね」
 推し活を楽しんでいて羨ましい。俺も、たっちゃんさん推しなんだろうか。でもカレーうどんでシミ付けたとか結構どうでもいいかも。

「ルイはさ、たっちゃんさんにタトゥー彫ってもらいたいとか思うの」
「それは完全にノーね」
 即答。まぁ、ルイの性格とか今後の職業とか考えたらそうか。
「タトゥーを彫るかどうか、っていう点については何とも言えないけど、少なくともたっちゃんさんには彫ってもらわないわ」
「なんで?推しだから?」
「まあそうなんだけど、それだと言葉足らずね。タトゥーって、一生残るし肌に刻むものだから、施術する者とされる者、相互の思い入れのバランスが保たれている方がいいと思う。私はたっちゃんさんを推してるけど、たっちゃんさんからしたら私は市原君の友達に過ぎない。思い入れのバランスは完全に傾いているわね」
「何で、傾いていちゃいけないんだ?」
「この状態で私が彫ってもらったら、そのタトゥーが私にとって意味を持ちすぎてしまうでしょうね。しかも、『この図案を彫ってもらった』じゃなく、『たっちゃんさんが刻んだものだ』って。それじゃあ烙印めいてしまう、というか。上手く穏便な言葉で表現できないけれど」
「いや、凄く分かる」

 そう。俺にはとてもよく分かる。たっちゃんさんの脛のタトゥーを、ごく一部一緒に彫った、いや、彫っている手に俺の手を重ねた。それだけで、俺は妙な征服感や、「あれは俺が彫った」という達成感を覚えた。あれがタトゥー全体に及ぶとしたら、まさしく烙印だったと思う。裏を返せば俺も、たっちゃんさんに彫られてはならない、ということだ。別に、たっちゃんさんを推している訳でもないのに。

 久々にたっちゃんさんから、タトゥーのデザインについての打診があった。と言っても今回は、前にリサさん用に描いた、ベニテングダケとイモムシの図案をそのまま使いたい、ということだった。絵はほぼそのまま使うから、カウンセリング後の清書の前に一緒にバランスを見る。まあ、一応元は俺の絵だからということで気を使ってくれたんだろう。
 ついでに見てもらおう、と思って、フェアアイルのベストを持って行く。約束してた時間にカフェから出ると、ちょうどたっちゃんさんとお客さんが店先で挨拶をしていた。たっちゃんさんが俺に気づいて言った。

「あ、この子がイモムシの図案描いたんですよ。レオ君です。レオ、こちらの方、ヨウジさん、雑誌とかパンフレットのデザイン事務所やってるんだよ」
 どうも、とだけ言って軽く頭を下げる。
「そうなんだ、君すごい上手いねー。高校出たらうちの事務所来る?とか言って」
 気軽に言ってくれる。社交辞令だと分かっているけれど、言わずに居られなかった。

「俺、色盲だから無理だと思いますよ」
 大人たちの顔が一瞬強張った。

「あ、そっかぁ。まああの絵すごく良かったから、彫ってもらうの楽しみだよ」
「また出来上がったら連絡しますね。お気を付けて」
 たっちゃんさんがお辞儀をする。俺も、その半分くらいの深さのお辞儀をする。

「デザイン、確認してほしいからさ。中入ってよ」
 たっちゃんさんは、俺のこういうのには、多分もう慣れっこだ。ラフを見せてもらった。レタリングの右下に、ベニテングダケの上で水タバコを吸うイモムシ。書いてある言葉は、「Never Say Never」。それが、イモムシの吐いた煙に包まれている。
 かっちりとしたレタリングに対して、イモムシはずいぶん可愛らしいけれど、これが希望なら何も文句はない。ただ。

「……Never Say Never 、か」
お客さんの飲んだコーヒーを片付けながらたっちゃんさんが言う。
「マイケルジョーダンの言葉らしいよ。無理だなんて絶対に言うな、みたいな」
 止めようと思えば止められたのに、言葉は俺の口から出た。

「俺は、この言葉は嫌いだ」

 一秒置いて
「レオ」
 聞いたことないような、たっちゃんさんの鋭い声が飛んできた。こちらに背を向けて、流し台に立っている。水は流れるが、手は動いていない。
「その言葉は、お客さんが考え抜いて選び、一生腕に刻む言葉だ。そういうことは二度と言うな」
 こっちを向かないのは、見せたくない顔をしているからだろうか。

「……ごめんなさい」
呟くと、たっちゃんさんが深く息を吐いた。振り返った時にはいつもの、いや、それより少し悲しそうで、困ったように笑うたっちゃんさんだった。
「あの人、ヨウジさんさ、すごくその絵気に入ってたよ」
「うん……本当に、ごめんなさい」
「もういいから」
 まあ座んなさいよ、と言って、たっちゃんさんは俺の傍の椅子を引いてくれる。そして、俺の正面に座った。
「レオは、何でこの言葉が嫌いなの」
「え、それ聞くの?言うなって言ったじゃん」
「いや、レオは口悪いし生意気だけど、そうやって人が好きなものを否定することはなかったから。何かあったのかなあって。別に答えたくないならいいけど」
別に理由なんて、と逃げたかったが、理由なく人の好きな言葉を貶した奴と思われたくもなかった。
「嫌い、というか、苦手なんだ。一緒かもしれないけど」
「一緒じゃないよ」
「良くない思い出がある。『Never』に」
「Neverに?」

 中学一年生の頃、英語で手紙を書こう、という授業があった。皆それぞれ、家族や友人に向けての手紙を書いていた。俺も母さんに向けて書こうかと思ったが、毎日顔を合わせる人に改めて手紙を書くなんて照れ臭かった。そして、「英語で」なら、書きたい相手がいた。もう一人の家族だった人。俺の父親。
 俺が3歳の頃に両親は離婚して、父親はその後も外資系企業の日本支社で働き続けていたけど、俺が5歳になる頃日本を離れロンドンに住んだ後、11歳になる頃にエディンバラに帰郷した、らしい。
 父親が日本にいる間も、帰国してからも、会った記憶はない。写真で見る父親は、やせ型で、俺と同じようなくせ毛だった。

 俺は、形だけ手紙の本文を書いて終わらせる気はなかった。本当に、エアメールで父親に送ろうと、そう思った。だが母親にそれは相談できない、と子供心に感じていたから、ばあちゃんに頼った。
「母さんにはいいって言われたから、エアメールの出し方教えて」
と言って。もちろん、母さんの許可なんて取っていない。ばあちゃんは俺のことをまだ「お人形のように可愛いレオ」と思っていて、俺が嘘を吐くなんて微塵も想像していなかったんだろう。

 実家のリビングの引き出しから父親の住所を探し出してメモして行ったが、ばあちゃんも控えていたみたいで、メモを見せるまでもなかった。ストライプの縁取りのある封筒を用意し、ばあちゃんの提案で俺の制服姿の写真を撮った。授業で書いた「Reoです、中学生になりました、元気にやっています」程度の手紙とともにエアメールで送った。

 2ヶ月後、発送元のばあちゃんの家に、父親からの返信が届いた。その週末に英和辞典を抱えて一人でばあちゃんの家に行き、ドキドキしながら手紙を開封した。
Dear Leo, という書き出しを見てさっそく辞書を引く。親愛なる。親愛なるレオ。父親は、俺に親愛の情を抱いている。嬉しくて嬉しくて、その先の文章を頭に思い描きながら、辞書を引き続けた。

 父親は、俺でも読解できるような平易な英文で、
「元気そうでよかった。私にはもう別の家族がいるから、こういう手紙は二度と送らないでほしい」
 と綴っていた。
 封筒に、もう一枚紙が入っていた。
 俺が送った、制服姿で、祖母の家の前ではにかむ俺の写真。

 それを認識した瞬間、俺は、封筒も手紙も写真も全て、びりびりに引き裂いて紙吹雪にした。驚いたばあちゃんがレオどうしたの、どうしたのと声を掛け続けたが、俺は紙吹雪の中で何も言わず泣きじゃくった。

 夕方、2階の部屋でぼーっと横になっていた。ばあちゃんからの連絡を受けて駆け付けた母さんが、ばあちゃんと言い争う声。いや、一方的に母さんが「何で勝手なことしたの」「あの人はそういう人だから」とばあちゃんを非難する声。
 手紙の内容は俺しか知らないはずだけど、俺の反応を知って察したなんて、流石父親の元妻で、俺の母親だ、とよく分からない感心をした。ばあちゃんは俺に騙されただけなのに、きっとそれを言わず、ただ黙って母さんの言うことを聞いているんだろう。
 俺の気まぐれが、母さんもばあちゃんも傷付けた。お前に手紙なんか二度と書くか、馬鹿、と思ったが、結局それは、「二度と手紙を書かないで」というパパの言いつけをきちんと守る良い子の行動に過ぎず、一層憎しみが強くなった。
 それ以降母さんは、ばあちゃんの家に行かなくなった。
 俺は、あの手紙で初めて、自分の名前の綴りがLeoだということ、Dearは何の意味もないただの書き出しだということを知った。そして、Neverの用法も。

「俺は、写真ですらあの国に行っちゃいけないんだ、と思ったね。それに、三次元の俺を捨てるんなら、二次元の俺もちゃんとそっちで処分しろよ、って」
「……何も、送り返さなくたって」
 ずっと黙って聞いていたたっちゃんさんが、ぽつりとそう言った。言いたいことはまだあった。 
「俺の目はさ、多分、父親の遺伝なんだ」
「色が見えない、ってこと?」
「そう、多分、だけど」
「何でそう言える?」
「家に何枚か残ってた父親の写真。どれも、服の色が俺でも分かる色使いだった。青系と黄色系と、モノトーン。それに、白人男性の色覚異常の発症率は、他の人種・性別より高いんだよ」
 俺は、自分を捨てた父親との血のつながりを、朝目覚めた瞬間から実感させられる。そうやってこれからも、何万回もの朝を迎える。

「たっちゃんさんが、フェアアイル手伝うって言ってくれて、嬉しかった。父親には出来ないだろうから。あんな細かいもの編むのも、そして色チェックしたりっていう面倒なことしてくれる友達作るのも、父親には、きっと出来ないだろって思った。だから、編み遂げて、スコットランドに行きたい。父親のいるエディンバラを通過点にして、俺だけの目的を持って、フェア島に到達したい。そう思ったんだ」

 そっか、と、たっちゃんさんがいつもの穏やかな目で言った。
「じゃあ、絶対、行かないとね。フェア島。頑張って完成させよう」

 いや、まだ足りない。
「次は、たっちゃんさんの番」
「俺の番?」
「教えて、フェア島に行きたい本当の理由を。鳥だけのために、あそこに行くなんて、俺は納得出来ない」

そっかぁ、そうだよね。レオはこうして、話してくれたんだもんね…と、伏し目がちにたっちゃんさんが言う。
「俺は、この左腕の鳥さんをさ、連れてってあげたいんだ。ね、レオ、この写真覚えてる?」
 たっちゃんさんは、スマホを立ち上げこちらに画面を向けた。そこに映っていたのは、あの、たっちゃんさんの高校の入学式の写真。たっちゃんさんはゆっくりと話し始めた。


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