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子どもの自立

モンテッソーリ教育は「自立」を目指す教育です。

で、自立って何?ってよく思うのだけれども、これはいずれちゃんと自分の中で結論を出したいと思う。(まだ自分の中でバシッとくる言葉が浮かばない)

私が今回伝えたいのは、幼少期の自立にはこんなすごい価値があるよ!ってことです。


まず、自立は生きていく自信。

身の回りのこと、つまり自分でお着替えができて、歯磨きできて、お片づけができて、明日のお支度ができる…っていうのが?と思うかもしれませんが…

逆に自分がこれをできなかったらどうでしょう。

何をするにも人の手を借りなくてはいけないのだとしたら、

しかもそれも頼める人がイライラしている時だったら、

もしその頼める人がたまたまいなかったら、

すっごくしんどいと思う。

別に身の回りのことができないのがダメなのではなく、自分のことが自分でできるっていう感覚は、本来すごく自由で楽しいもののはず。生きていく自信の土台を形作るものだと思います。

こうした喜びを一つ一つ体験できるというのが、子ども時代の面白さでもあるんじゃないかな。


また、自立はやりたいことを見つけること。

「親がしてほしいことを一人でやる」ことが自立なわけではないと思う。

もし、お着替えもお片づけも本人が「自分でやりたいこと」だと思っていないのなら、それは自立ではないと思う。とは言え、幼稚園などの集団生活では本人達自身に片付けたり着替えたりしてもらわないとまわっていかないので、やってもらうけど^^;でもここで「させられてる子」と「やりたくてやってる子」の姿はかなり別れる。

幼児期の自立は「自分がやりたいことを見つけること・実際にやること」の練習なんじゃないかって思ってる。1〜2歳の子どもだったら当然周りの人がやっている日常生活を自分もやってみたいと思う。

幼いうちに身の回りのことをやろうとしても「まだ早いから」「できないから」と遮られ、ひらがなの練習や算数プリントをさせられたり、「3歳になったから今日からお着替えを自分でしなさい」とかタイミングを決められたりして育ち、

一定の年齢になって、「やりたいことを見つけなさい」と言われても困る。


「やりたいことを見つける感性」は磨かれもするし、鈍りもする。

磨くコツは「やりたいこと」をジャッジしないこと。

「まだ早い」「こんなことやっても意味がない」「上手にできなければ意味がない」「ただの自己満」「他にやるべきことがある」というのはちょっと脇に置いておいて、一見意味のないことでも本人がやりたいことをする。

大人の感性が鈍いまま、子どもの感性を磨こうとしても結局表面上の共感にしかならないから(「なんてつまらないことやってるのかしら」は雰囲気に出るし、子どもはそういう雰囲気に敏感)、まずは是非大人自身の「やりたいことを見つける感性」を磨いてほしいなと思う。

美味しいケーキを食べるでもいいし、お散歩でも、お部屋の模様替えでも、紙の端っこに落書きすることでもなんでもいいと思うんだけど…

意味や機能性を求めず、「なんとなくやりたいこと」をやってみる。この積み重ねが自分自身を知る情報になるし、なにより子ども心を理解する近道だと思う。

なんか話題がズレてしまったので、今日はここまで。

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