見出し画像

私がフリーランスカメラマンになるまでのお話vol4 リミットは525,600分編

ミュージカル『Rent」はNYでそれぞれの夢を追いかけていく若者たちの
1989年12月24日からちょうど一年間を描いた群像劇で、才能、病気や貧困、失恋など様々な理由で葛藤しながらも前に進んでいく人々のヒューマンドラマです。
若い頃の一年って本当に大事です。

さて、私はと言えばバックパッカー、スタジオマン、バイトで腕試し、
色々経験してきました。 
しかし未だ何者でもない私は腕一本で生きていくには全然力不足だと感じていました。
まあ、これまでのふらふらした経験ぐらいでは当然なのですが。。。

私には特別な才能も無ければ、機材を揃えられるお金もありません。
23歳の私にあったのは写真が好きだ!って思いと、飯を食えるように成りたい!
これだけです。
この二つを合体させた自分の将来はずばり、プロフェッショナルです。
作家ではありません。
平たく言えば写真家では無く、写真屋です。

などと言っときながら、写真家と写真屋の違いって、
私は正直よくわかってません。(笑)
強いて言えば、
前者は、自分の撮るべき写真を人生をかけて撮る人
後者は、喜んでくれる写真をお礼をもらって撮る人

撮るために生きるか、生きるために撮るか。 悩ましい問題です。
物作りの人はどちらの自分もあって、常に優先権を争っているのだと思います。
兎に角、その時の私はご飯が食べれるように成りたかったのです。
食べないと生きていけませんから。。

さて、写真で食べていこうと決めたからには人を説得できるツールが必要です。
すなわち「ポートフォリオ」ってやつです。
ですがデジタルカメラもない時代。そんな簡単には作れません。
当時、誰かに言われました。「カメラマンは金持ちじゃないと成れないよ。」
私にとってはその通りだな〜って思えた言葉です。

だからって諦めるにはまだ早い。
私はスタジオマン時代にお世話になってきたカメラマンの先生のところに何か有益な情報はないものかと臆面も無く出かけていました。
そんな中、某大手印刷会社写真部から独立されたカメラマンの先生より耳寄りな情報を授かりました。

当時はフィルムなので、作品を作るには物理的に色々必要でした。
カメラ一式、フィルム、ポラロイド、現像、プリント、ブック。
どれも大変お金がかかり、試しにやってみるか〜!ってわけにはなかなかいきません。

そんな金欠で口をパクパクしていた私に紹介してくれたスタジオは超大手の制作会社で、カメラは35mmから8x10まで触れて、撮影はウィークデイは毎日ジュエリーからモデル、家具の立て込みまで!ひっきりなしに撮影がありました
オフの日は作品撮り放題で、ちゃんと許可を頂ければフィルム支給で自社ラボで現像もお願いできちゃう!!
まさに探し求めていた夢のスタジオだったのです!

私は決めました。このご縁を大切に生かすと。
これまでの様に流れに身をまかせるのでは無く、キューっと身を引き締めて短期集中! 吸収できるものは全部吸収!インプットとアウトプットを休まず続け、
目標の「ポートフォリオ」を一年で完成させる!と。

私の第二のスタジオマン人生が始まりました。
前にサブチーフまでやっていたので多少自信があったのですが、いやはやレンタルスタジオとは全く違いました。
そもそもここは多くのカメラマンやアシスタントが常に技術革新や切磋琢磨を通して相互に刺激し合い、かつ協調しながらも全員ライバルというカメラマン虎の穴だったのです。

レンタルスタジオの様に一部分を見聞きするのとは訳が違いました。
先輩からの厳しい叱責を受け、へとへとに成りながらもど根性でついていきます
今でもその先輩達とは交流があり、よくしていただいてます。

決して派手な撮影ばかりでは無く、どちらかと言うと地味な撮影が多かったと思います。正直最初は退屈に思いました。しかしその思いは直ぐに改させられます。
なぜなら、知れば知るほど一つ一つの目を見張る様な撮影のクオリティの高さに引き込まれていったからです。
そして皆んなが全打席フルスイングで臨む姿勢もかっこよかったです。

私のライティングの基礎知識はこの期間に習得したと言っても過言ではありません。遡ってレンタルスタジオにいた時に見ていたライティングの妙や、技の凄さも初めて理解できました。

作品づくりも失敗を重ねながらも続けました。
そのスタジオは浅草の近くにあり、そして浅草の有名なお祭りに「浅草サンバカーニバル」があります。
私はその人たちの撮影をスタジオでやりたくて、でもどうしたら良いかわからず
無謀にもスタジオにセットを作り、パレードが終わった直後のサンバチームに声をかけて、スタジオに招いて撮影する計画を立てました。アホです。。。

結果はもちろん撃沈。。。各チームには専属のカメラマンがいて、おいそれとは撮らせてもらえませんでした。まあ当然と言えば当然なのですが。
息消沈してスタジオに戻ってきて一人でセットを片付けながらこのライティングのリベンジを誓いました。そして後日、モデル事務所のコンポジット撮影で見事リベンジしてやりました! 笑

そうやってくじけそうに成りながらも撮影の事だけ考えた一年はあっという間に過ぎていきました。
失敗を重ねながらも肝心の「ポートフォリオ」も無事完成!!(当時の私の精一杯のクオリティですが。。。)笑
苦労したけど楽しかった。
一年は525,600分。
はてさてデビューまであと何分かかることやら。。。

つづく




この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?