スクールロイヤー、文科のスクールロイヤー的な制度の行く末を考える

スクールロイヤーもどきだった自分がスクールロイヤーとなり、スクールロイヤー制度がスクールロイヤーもどき制度(仮)となりそうな話。

文部科学省の制度からスクールロイヤーという言葉が消えた(っぽい)

私がnoteを使い始めた当初に書いた↑の記事で、今後どうなるかわからないよねー!と言っていたのだけど、この記事で触れた当時の文部科学省の資料がこちら↓

※タイトル未設定と出ちゃいますが、文部科学省が出しているpdfデータです。ご安心を。

このデータの内容を細かく読んで欲しいわけではなく、「この時にはスクールロイヤーという言葉を文部科学省もはっきり使っていたんだよね」ってことだけわかってくれれば。そして、最近どうなってるんだろうなと調べていたら、大枠としての様相がどうやら変わってきた。

↑のページのにある資料を見ればわかるのだけど、色々書いているのにスクールロイヤーという言葉が出てこないのだ(見落としていたらすいません。でもびっくりするくらい出てこない)。

スクールロイヤー構想が抱えていた弁護士倫理上の難しさ

私は(当然ながら)文部科学省のこのあたりの議論に関わっている訳ではないので、この辺何がどうなってそうなったか、具体的なところははっきりわからない。

ただ資料を読む限り、「子どもの最善の利益」と「弁護士倫理」の調整の難しさから、ちょっと様子見のための段階的な体制に入った気がする。

〝「子どもの最善の利益」と「弁護士倫理」の調整の難しさ〟というのはざっくり言うと、学校(教育委員会)の利益・要望と子ども(保護者)の利益・要望が対立した時に、いったい弁護士はどういう基準でどっちを優先するんだい?という話だ。弁護士は基本的にお金をもらう依頼者のために常に最善を尽くすことが求められる。しかしそれで教育現場はいいのか?

スクールロイヤーと名乗る場合、一体誰のためにどう動くのかというのが難しい、という話は少し前にも記事↓で触れていた。

そして、さきほど挙げた文部科学省のページにある「教育行政に係る法務相談体制構築に向けた手引き」では、ちょっとその辺り含めてノウハウ蓄積してから考えようぜ。みたいな雰囲気のことがはじめのところに書いてある。

弁護士等と教育委員会の連携については,徐々に事例が増えているものの,まだまだ事例が蓄積されていないのが現状です。そこで,各教育委員会における法務相談体制の構築に役立つように,この度,日本弁護士連合会の協力を得て,各教育委員会において法務相談体制を構築する上での留意点や,具体的な弁護士への相談事例の紹介などを盛り込んだ手引きを作成いたしました。 …(略)…本手引きを活用して法務相談体制の整備にお役立てください。
「教育行政に係る法務相談体制構築に向けた手引き」1ページ

じゃぁ様子見なんだね、というところでシンプルに終わりたいところなんだけど、この中でサラッと、しかし明確に舵を切っているところがある。

文部科学省は、モンスター系の保護者と戦うために、弁護士を全国で活用させてみることにした

先程の手引きで言うと、この辺り↓

2 代理・保護者との面談への同席等
保護者等が限度を超えた要求を繰り返したり,学校・教育委員会に対して危害を加えることを告知したりするような場合や,保護者側の代理人として弁護士が就き,法的論争を必要とする場合等, 弁護士が学校や教育委員会の立場に立った代理人として直接保護者等とやりとりをすることが適切 な事案があります。
弁護士が学校や教育委員会の立場に立った代理人として,保護者等との学校や教育委員会の交渉の 窓口となることにより,学校や教育委員会の過度な時間的・精神的負担が軽減されることが期待さ れます。 
「教育行政に係る法務相談体制構築に向けた手引き」1-2ページ

めっちゃハッキリ、学校や教育委員会の立場に立った代理人と書いている。バチバチやりあうときに矢面に立つ要員として弁護士を使う場合があることを明確に打ち出したのだ。少なくとも、裁定者的な立場で活用されることは想定されていない。

実際これで変な対応が始まらなきゃええのだけど。

個人的には、不安なんだよねこの流れ

まぁこの制度には実際使われる中で賛否色々出てくると思うけれど、私は実際、毅然とした対応を保護者にとることもあるので、「そうせなあかんときもあるよね」というのが正直なところだ。

しかし、諸手を挙げてこの運用に賛成かというと、片手はハッキリ反対に手を挙げたい。

段階的な制度としてだが、いわゆるモンスターペアレント系の対応に関する相談・活用実績が多くあがれば、国の予算はこういったモンスター退治を主軸に弁護士を活用する制度として大きく形作られる危険性がある。しかし、それは絶対に避けて欲しいと思うのだ。

というのも、私は、そうやって「バッサリ切る」のは、手段を尽くし、悩みきった末の最後の手段だと考えている。過度に攻撃的な姿勢は、それだけ大きな不安やSOSの裏返しであることを忘れて欲しくない。福祉的心理的な支援の観点からすれば、「バッサリ切る」対応をとることはリスクが大きい。表面的に攻撃的だからといって、すぐにバッサリ切っては、保護者も子どもも救われない結末を生みかねない。

自分はどちらかというと、弁護士の頃は少年事件に特に取り組んでいたこともあり、子どもの権利ファーストな感覚で動いている。また、依頼を受けた代理人ではなく、教育委員会の内部の人間として自由に意見が言える立場にあるので、「まだこの状況ではバッサリ切りません」と提案したこともある。強硬な手法以外にも、交渉というのはいかにもやりようがあるし、バッサリ切るだけが弁護士の専門性ではないのだ。

しかし、自分のようなスタンスの弁護士も、私のような雇われ方もスタンダードではない。教育現場の実情をよくわかっていない弁護士が派遣されたとしても、適正な制度活用がされるかどうかは、学校や教育委員会が弁護士に何をどこまでさせるか、させないかについてきっちりと判断し、手綱を握れるかどうかにかかっている。

専門家として、弁護士と同じ目線で議論する誇りとパワーは教育現場にあるのか

ちょうど前回の毅然とした対応、専門家の矜持の話に関わってくるのだけど、修羅場を乗り切った自信のある弁護士ほど、自信を持ってバッサリ切ったり、毅然とした対応方針でいくことを張り切って提案してくると思う。

しかし、この弁護士たちは教育現場の実情についてはまったくの門外漢だから、その弁護士のスタンスに教育現場はくれぐれも呑まれてはならない。迎合的な保護者対応同様、弁護士先生が強く勧めるなら…と委ねきってしまえば、きっと弁護士が介入した結果、凄惨な結末を招きかねない。

弁護士に対して教育的知見を与え、より良い解決策を一緒に模索するパートナーとして、教育側にも専門性と矜持はやはり必要になってくるのだ。

その認識を教育現場側が強く持たなければ、本当に凄惨な結末というのが出てきそうで、私は少し不安感を抱きながら今の動向を眺めている。

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