「歪んだ正義感」「正義は人によって違う」への違和感
こんにちは、scherzです。
今日は、タイトルにある通り、よく耳にする「歪んだ正義感が~」や「正義は人、立場で変わるよー」っていう表現に対して違和感があります、という話になります。
私の中で生じた違和感であり、それを埋める作業をするわけですが、読んでいただいた方に私と同じような物の見方を要求するものではありません。
哲学者ジョン・ロールズ(John Rawls)
それでは、議論に貢献してくれる哲学者を紹介します。
ジョン・ロールズ(1921‐2002)です。冒頭の写真の方です。
アメリカの哲学者で、政治哲学や倫理学という分野に大きな功績を残した人物です。
1971年に大著『正義論』(A Theory of Justice)を執筆し、今風に言えば学術界でバズりました。現在でも、まずロールズを考えることから議論をはじめましょう、という研究者は多くいらっしゃいます。
scherzはロールズを読んでいたせいで、冒頭の表現に違和感を覚えた
なぜ、筆者が「正義は人によって違う」に違和感を覚えたのか?
その答えは、筆者がロールズを読んでいたせいだと最近、気付いたんです。
というのは、ロールズは「正義」と「善」を切り離して考えており、筆者もその考え方を取り入れていたため、先述の表現を聞いてそう感じたのだと思います。
つまり、私にとって「正義」と「善」は別物で、「人によって違う」のは「善」であって「正義」ではない、という認識があったからだと考えています。
「正義」と「善」は別物
では、「人によって違う」のは「善」で「正義」ではない、というのは一体、どういう意味なんでしょうか?
ロールズによれば、現代社会の変わることのない特徴として、善の構想の多元化をあげています。「善」というのは「価値観」と言い換えてもいいかもしれません。
つまり、「どういう生き方が善いのか、という問題は人によって様々なので、どれが最も善いのかは選べませんーーー」ということです。
まあ、今なら当たり前のように受け入れられることかと思います。
「善」は決められないなーでいいとして、じゃあ「正義」ってなんやねん、という話になります。
ロールズからすると、「正義」というのは様々な「善」の追求を制限する規範であるというわけです。
分かりやすくいえば、「各自の『善』と思うとおりに人生送ってええでー。せやけど、『正義』というルールの範囲内なら、という条件がつくで」という感じです。
「何でもありじゃないんですわ。このルールを守ってくれたら『善』を自由に追求して構いませんよー」という時の「ルール」、これが「正義」なのだとロールズは言うわけですね。
諸注意
私の違和感の正体がわかってスッキリしております。
ただ、諸注意があります。
お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、「正義」の決め方にも論争がありまして、「正義が人それぞれ」というのはある意味当たっているのです(ただ一般に言う場合とは違うんじゃないかな、と思ってこの文章を書きました)。
あと繰り返しますが、私自身、無理に「善は人によって違う」という表現を広めるつもりもそこまでありません。ただ個人的に引っかかってしまったので、今回取り上げたまでです。
ロールズがどんな「正義」を掲げたのか、それはまた次回。。。
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