『木を植えた男』|RE-FLAME!!

こんにちは!
記事を読んでくださって、いつもありがとうございます^ ^

RE-FLAME!!では
御言葉×スキーマ療法
というテーマで
生きづらさを抱えている人が聖書の御言葉で自分を苦しめる考えから抜け出せるようになる
ことを願って記事を投稿しています。

ぜひ最後まで読んでいただけたらうれしいです^ ^

みなさんは、この本をご存じですか?

あすなろセレクション 『木を植えた男 』

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絵本版も。

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著者のジャン・ジオノは
第二次世界大戦後のフランスを代表する
作家の一人です。

そして物語の舞台は
1913年〜1947年の南フランス。
語り手の男性(以下、男性)と、
「木を植える男」エルゼアール・ブフィエとの
邂逅の物語です。

1913年。
草木も生えず水も枯れ果てた、
荒野と化した山奥を旅する男性は
エルゼアール・ブフィエという人物と
出会います。

多くの苦しみをもたらした二つの戦争を
生き抜きながら、
男性はブフィエが成し遂げた「仕事」
のありさまを目撃し、
その様子を刻々と語っていく—。
というおはなしです。


何がいいかって、
読んでいくうちに、
男性がそうであったように
ブフィエという人物の姿に
心を打たれていくんですね。

雷に打たれたようにではなく、
まるで地にまかれた種が芽吹き、育ち、
大木となるように。
また林となり森となっていく、
その生命力に心を打たれるように。

その人物への敬意のまなざしが、
しずかに根付き、ゆっくりと時間をかけて
ゆるぎないものに変わっていく。

本の一節を引用します(改行は投稿者による)。

“ところで、たったひとりの男が、
その肉体と精神のかぎりをつくして、
荒れはてた地をカナンの地としてよみがえらせた
ことを思うとき、
わたしはやはり、人間のすばらしさを
たたえずにはいられない。

魂の偉大さのかげにひそむ不屈の精神。
心の寛大さのかげにひそむたゆまない熱情。

それらがあって、はじめて、
すばらしい結果がもたらされる。
そのことを思うにつけても、
この、神の行いにもひとしい創造をなしとげた
名もない年老いた農夫に、
かぎりない敬意をいだかずにはいられない。”


生きづらさを抱えている人にとって、
その人生は孤独との闘いの連続でもあります。

それが一体何なのか言い表しようもなく
「わたし(ぼく)はみんなのようにはなれない」
と苦しみながらも、それでも
「自分だって生きていていいんだ」
という、確かな手ごたえが欲しい。

しかし、
どれだけ人とうまくやっていけるようになっても
やはり心のどこかで、人とは「違う」と
否応なく突きつけられている。
だからこそ孤独がたまらなく恐ろしく感じられる
ものですが、

この本を通して、
「わたし(ぼく)は何をして生きるのか」
と問い続けることが
孤独への向き合い方をも変えていく
と知りました。

わたし自身、
まだまだ孤独に打ちのめされそうになることは
たくさんありますが、
いつかきっと、
孤独かどうかが問題じゃないと
はっきりわかる時がくるのかもしれません。

同じように生きづらさを抱えている人にも、
そんな日がくることを願っています。


実は、この本をおススメしたいのには
もう一つ理由があります。

それは、この本に出てくるブフィエという人物が
わたしに聖書を教えてくださった
牧師先生(以下、先生)にそっくりだから、
なんですね。

まえがきにも書いているように
このnoteは聖書とスキーマ療法の話を
するわけですが、
同時に先生がどんな人物なのか、
知ってもらうきっかけにもなってほしいと
願っています。

先生はどういう人なのか。
ただ「先生って〇〇で△△で~~」と
書き連ねるのでは
なんだかよくわかりません。

みなさんの心を動かすものでないと意味がない。

そう考えながら本棚を眺めているなか、
この本が目にとまりました。
ああそうか、これがあったかと。

いうなれば、
わたしはこの本の舞台である荒地なわけです。
そんなわたしに先生は、
聖書の御言葉という種を
まきつづけてくださいました。

さまざまに思い悩み、
そこに縛られたままのわたしは
かんたんに御言葉を受け入れて変わることが
できませんでした。

けれども御言葉を通して、
聖書が何なのか、
イエス・キリストがどういう存在なのか
先生は根気づよく教えてくださいました。

かんたんに種は育たなかったけれども、
けっして見捨てることなく
種をまきつづけてくださった。

その先生の姿を通して、
イエス様がどういう方なのか少しはわかった……
はずです(笑)。

「わたしがこうして御言葉を伝え続けるように、
イエス様も変わることなく手を差し伸べつづけて
いるんだよ」

先生はわたしにそう仰っているんだな、
と気づきました。

きっとそれは、荒地にまかれた種が
芽吹いた瞬間なのだと思います。

生きづらさを抱えている人にとって、
この本を読みながら、

あなたがどんな人であろうとも、
どんなときであっても、
先生は、そしてイエス様は
変わらずに手を差し伸べつづけてくださっている

そのことを感じてもらえたらと願っています。

最後に、
この本の入り口にある一節を引用して
締めくくります。
生きづらさを抱えている人にとって、
この記事が先生との
出会いの扉になることを願って。

“あまねく人びとのことを思いやる
すぐれた人格者の精神は、
長い年月をかけてその行いを見さだめて
はじめて、偉大さのほどが明かされるもの。
名誉も報酬ももとめない
広く大きな心に支えられたその行いは、
見るもたしかなしるしを地上に刻んで
はじめて、けだかい人格のしるしをも
しかと人びとの眼に刻むもの。”

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