『宇宙戦争』覇権国家🇬🇧の不安VS『ゴジラ』復興🇯🇵への希望(そして少しだけ🇷🇺『ワールドエンド』のこと)
以前も言及した通り、SF文学好きな私の中でも、
とりわけH.G.ウェルズの『宇宙戦争』は特別な作品です。
現代日本の世代が読むと、
・人類が一方的にやられるばかりでカタルシスがない
・終わり方が唐突すぎる
といったレビューが並びがちですが、
そういう事を言う方は、この作品が19世紀末のイギリスで書かれたこと、
つまり日本でいえばちょうど『坂の上の雲』の時代の頃、
世界の誰もが「イギリスこそが最強」「アメリカなどは新参者」という認識でいた国際常識の時代に、イギリスの人気作家が書き、イギリスで売れた本、というだいじな点を忘れている!
そして、この『宇宙戦争』でパターンが出来上がった、「宇宙からの侵略」というイメージが、
20世紀になると、今度は、イギリスにとってかわった覇権国家のアメリカの大衆文化で、繰り返されるパターンになった、というのも注目したい点です。
だって、、、考えてみてください。
地球を攻撃する意図がバリバリある宇宙人が、まず最初に攻撃を仕掛けてくる国は?
19世紀なら、そりゃ、イギリスが最初に攻撃されるべきですし、20世紀なら、そりゃ、アメリカでしょう!バルタン星人やメフィラス星人はなぜか東京をしつこく狙ってくるがあれはやはり子供向け番組だからでw、大人向けのリアル路線なSFなら「最初に日本が襲われた」となるとやはり変だ(少なくとも何らかの事情の説明パートが必要だ)。
けれど、リアルな描写うんぬんよりも、もっと大事なのは、このようなSFを受容する読者ないし大衆側のマインドで、
19世紀のイギリスも、20世紀のアメリカも、自分たちが世界の各地に軍隊を送り込んでエゲツない戦争を繰り広げていても、自分たちの国が他国に征服されたり、自分たちの国民が焼け出されて難民に落ちるなどということは夢にも思ってない、、、
そんな人々に「でも、イギリスやアメリカよりも強い、宇宙からの侵略者が来たら?俺たちが、空襲や、虐殺の恐怖を味わうハメになり、生き延びたとしても、難民の立場に落ちてしまうよね?」という不安を与えたから、『宇宙戦争』は怖かった筈なのです。
だから、ひねくれた言い方をすれば、
19世紀イギリスの紳士淑女や、20世紀アメリカのロックンロールお兄ちゃんやツイストお姉ちゃんたちが、「世界には戦争や虐殺でたいへんなところがあるけど、私たちがその立場になる可能性はゼロだ、、、と思うけど、、、本当にそうかな?だけどちょっと不安だな、、、」と思っているところに宇宙からの侵略ものは刺さる。
すでに戦争や紛争でリアルに苦しんでいる人々からすれば贅沢な不安、覇権国家の市民の贅沢品ともいえます。だから悪いとかいうのではなく、そういうふうに見ると、『宇宙戦争』の強烈な残酷描写や、ラストを「たまたまの幸運で生き延びられた」という唐突な幕切れにするのが当時の読者には効果的だった理由もわかるのでは、と言いたいのみ。
その点、ご自身がホロコーストやパレスチナ問題に強い関心を持っていたスピルバーグが21世紀の『宇宙戦争』を監督したのは、なかなかの映画史の必然性といえるし、
この映画を見て、アメリカ人でなくても「怖い」と感じた人がいたら、
その人は、やはり、なんだかんだ「自分は、虐殺や空襲の犠牲者に落ちることは、ない」と信じていられる、先進国の平和な国の人間なので、その幸運はぜひ噛み締めたい。
ところで、、、
こんなことを考えた時、
気になることがあります。
イギリスやアメリカのSFは『宇宙戦争』を産んだ。では、日本は?
先ほど述べたとおり、日本に、宇宙人の大艦隊が、アメリカやら何やらをすっ飛ばして先制攻撃をかけてくる、なんてSFは、やはり考えにくい。
だが、ゴジラやら何やらの、巨大怪獣が上陸するのは日本がしっくりくるのはどういうわけだろうw。
仮説ですが、、、あれは、大地震のような自然災害への恐怖とリンクしてるから、日本人にはしっくりくるんじゃないでしょうか?
そう考えた時、
イギリスの『宇宙戦争』は、宇宙人の攻撃で荒れた社会での相互不信や相互暴力といったドロドロの人間ドラマが中心になり、
アメリカ映画で脚色された「宇宙侵略モノ」は、なんだかんだいっても、最後に人類の反撃で宇宙人が倒れて「イェーイ!USA!USA!」と盛り上がるシーンを入れずには終われず、
日本はどうも、怪獣が去った後、『さあ、いちから社会を築き直そう』という「復興の物語」にフォーカスするのも、比較文化として、なんか、面白いw
もちろん、繰り返しますが、それが悪いとか、皮肉でいうのではなく、「そういうふうな見方で見ると、各国のSFそれぞれの特徴がなんだか説明できるようで、面白い!」と、ひとつの見方をお誘いしているだけです。マジメに考えすぎるとかなり重いテーマになるので、、、