見出し画像

【「人類と夢」に関する雑学回】あの清少納言も「良い夢」を見るために努力していた!?平安貴族にとっての「夢」の価値



みなさん、こんにちは!ヤシロです。

いつも夢日記や精神世界エッセイをあげていますが、

たまに、私が本を読んで見つけた、「夢」に関する歴史や理論や伝説伝承の雑学を話す回も設けたいと思っています。

今日はその中の一回として、平安時代の貴族たちが「夢」をどう見ていたかの話をしたいのですが、

なんとなんと、あの日本文学史上の超有名エッセイストも、平安貴族らしく、「夢」についてとても気にしていたっぽいことを発見しました!そうです、この方です!

※こういう話のパートナーは、知識欲旺盛な、私の夢の中の「よい夢サイド」の一人、メヒコさん

ヤシロ「で、清少納言も、そんな『良い夢が見られる寺』のひとつ、長谷寺に宿泊旅行に出かけることにしたんだって」

ヤシロ「で、ついてみたら、長谷寺には、貧しい平民達も、『吉夢』を求めてゾロゾロと、行列を作って集まっていたのが見えたらしい」

メヒコ「すごい!貴族の独占物だと思ってた『夢を見るパワースポット』が、いつのまにか、庶民の信仰対象にもなっていたのね!新しい時代の予感だって、清少納言は思ったんじゃないかな!」

ヤシロ「いや、、、ところが、それを記録してる清少納言の文章は、なかなか良くも悪くも『彼女らしく』て、、、凄いんだな」

メヒコ「確かにこの毒素は凄い」

ヤシロ「ま、、、エッセイとして見た時、清少納言のどストレートな毒って、意外に私は好きだったりもするんですが」

というわけで、今日は清少納言を軸に、平安貴族と夢の関係をお話しさせていただきました。ただ個人的には、先ほども書いたように、「天皇や貴族の独占物だとされていた『夢見の方法』をいつのまにか庶民が真似している話」として、

このあとの鎌倉庶民仏教大爆発時代を予感させてくれるような気がして、『枕草子』中のこの段、凄く面白いエピソードと思ってます!

▼本日の記事の参考文献はコチラ▼

それでは、また次回!


この記事が参加している募集

子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!