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ある日本仏教好きが「AIが人類を超える」ことに何の不思議もぶっちゃけ不安も感じられない理由

「AIが特異点を超えたら人類にとって手に負えない存在になる?まあそんなこともあるでしょうし、考え方によってはそれでよいのでは?」

と、ある日本仏教好きはすんなりと考えてしまう、まあここでいう日本仏教好きというのは例によって私のことですが。

いや、まあ、一意見として聞いてほしい。それにプロフィールに書いてある通り、私の本職はいちおうITエンジニアで、今年はモロにAIの研修を受けさせられまくっている。そういう意味で私のキャリアもAIとは無関係ではないのだが、

日本仏教なんぞが好きでその手の本を読んでいると、こういうテクノロジーの話についてもひとつ、良いことがある。「まさに諸行無常、テクノロジーが進歩すると今の常識が通じない時代が来るとは思うが、どんなに抵抗しても社会というのはどんどん変化してしまうことは避けられないので、変化に抵抗するのは無駄、素直に受け入れよう」という前向きな気持ちになれることです。

そしてそれで言うと、AIが特異点を迎えて人間から仕事を奪っていくことも、それによって人々の衣食住が満ち足りて、飢餓や貧困や戦争が少なくなるなら、私は、やはり、良いことと思う。

参考文献として、中沢新一と河合隼雄の『仏教が好き』に表された仏教観で語るならば、

仏教のよいところは、

そこで定義される「しあわせ」の定義が、

歴史において勝者になる、とか、自己実現をする、とか、他人よりも偉い人になる、とかいうことではなく、

「悩みがないこと」となっている点です。不安を不安と感じないこと。リラックスして気楽に生きること。安心して生きること。「寺で修行をしたり、長年座禅をしたりする目的が、他人より凄いものに成長することではなく、単にストレスを感じないリラックスした気持ちで生きられる心境になるだけ」というのは、確かに現代人からすると奇妙な「目的」に見えるかもしれない、、、が私は納得してる。

たぶん、AIが人間から仕事を奪うと聞いて心配な人の多くが考えるのは、そのような世界で人間の尊厳とか、自己実現とかができるのだろうか?AIに飼われているような生活は退屈ではなかろうか?というものかと思う。だがこの点は、私なんぞは心配がない。むしろ仏教的な言い方をすれば、「他人よりもお金を稼ぎたい、他人よりもよい思いがしたい」という意識での「仕事での自己実現」などは、まさに、臨終の時に虚しくなる虚妄のもと。「AIが何でもやってくれる世界だから人間は退屈」ってのは、むしろ幸せなのではなかろうか?と思ってしまう。

「では、本当にAIが何でもかんでもやってくれて、人間の仕事などは減ってしまったとしたら、あなたはどうするか」って?それこそ、静かな瞑想と、家族や地域共同体との平和な交流と、あとは山や森に出て自然の息吹をたっぷり吸うアウトドアをやりまくるんじゃないかな。それこそ、私が望んでいる「ストレスが極限まで少ない、リラックスした、そして(動物も含めた)他者ととことん平和に付き合う」人生だ、それは実に、想像するだに、悪くない。

もちろん、これはひとつの理想論↑

こういう意見もある。

「AIが人間の仕事を奪うことで、残されたわずかな仕事にすがりつきそれを死守する人と、単純な失業者という、結局は格差と分断ができるのでは?」と。そうかもしれない。

「AIが人間の仕事を奪うことで、自己実現も創造意欲も失った人間は、退屈のあまり、それこそドラッグや、暴力や、性的倒錯に明け暮れて、世は乱れるのでは?」とも。そうかもしれない。

つまり、どうなるかは、やはり、わからない。わからないけど、最初に申し上げた通り、「どうせ抵抗してもAI時代が来ると仮定するなら、よいほうに目を向けたい」と思っているし、

それがもし、平和で、憎しみ合いも少なくて、飢餓や貧困や戦争の少ない世界になるなら、やはりそれは、よいことでは、と思うのだ。そもそも「ドラッグなどなくても、瞑想で人間は豊かな精神世界を開拓できるし」「暴力などなくても共同体は維持できるし」「性的倒錯などなくても、山や森で自然と交感するほうがよほどエロス的に人間は満たされるのだ」というのはまさに仏教の独壇場である。ですよね??

まあ、そううまくいく保証もないわけだが、、、

私がこういうことを言い出しているのは、何のことはない、最近の戦争だらけの国際ニュースにそれなりに絶望しているからに他ならない。人間が人間どうしで社会を作っていても、これだけ戦争で犠牲が出るならば、いっそAIが特異点を超えるような大進歩があって、人間社会が抜本から変わるようなことがあったほうが、まだマシなのではないか、と思ったから。

それはそれで「人間に対する不信」と、「AIに対する過剰な期待」が先入見としてある見方かと言われれば、そうかもしれない。

ただ、日本仏教好きでかつITエンジニアというなかなか稀有な人生を送っている私は、「人類を超越する存在が現れる」ということ自体には、「そりゃ、いつかはそんなものが現れるでしょうね、不思議はない」とすんなり思えるし、「それって人類にとって本当に悪いことなの?今よりマシなこともあるんじゃないの?」と思えてしまう、という、個人の一意見の話でした。ゆえに、しばらくしたら、正反対のことを言うかもしれません、すいません。まこと何事も、私自身の考え方すら、諸行無常、、、。


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