『さかしまなゾンビ』:もしフランス文学の名作小説「さかしま」の主人公がゾンビだらけの世界に転生したら
フランスがジョージ・ロメロ映画みたいな、ゾンビだらけの世界になってしまったとして。
そしたらフランス文学のあの名作の主人公は、そんな世界の終焉の仕方を、喜ぶだろうか悲しむだろうか。
なにせ、
ええ、いまいましい!それならいっそ、社会なんぞ崩壊してしまえ!老いぼれた世界なんぞ死んでしまえ!(Eh! croule donc, société! meurs donc, vieux monde!)
と叫んだこともあるような主人公。
彼が嫌悪を感じていたパリの「凡俗な」人々がすべてモンスターと化してしまったら?
喜ぶような気もするけれど。
いや、むしろ彼の苦悩は深まるかもしれません。
「なんという皮肉か!世界は滅ぶかと思ったのに、今度は脳味噌も入っていない死骸たちの群れに覆われて、ますます無意味に、ますます空虚に続いていくとは!これが今日も明日も、一年後も続くのだ!」と激しく懊悩するかもしれない。
「ブルジョワの君臨するパリが躯たちの徘徊するパリに変わっただけで、なんのことはない、ラドゴンド女王の時代はますます遠のいてしまったということなのだ!」と叫び、
「マラルメを理解しヴェルレエヌを愛好し得るような魂を持ったものが、どこにも見つからないということでは、ゾンビ時代もブルジョワ時代も同じことではないか!」とみずからの孤独を嘆き、
それでも唐突に、「私はしかし、いい加減、自問自答ばかりする癖をやめようかと思い立ち」、まずは「召使たちに命じて、ショットガン三丁と、リボルバー拳銃と、やまほどの弾薬を手配させ、家の周りを高圧電流の通ったバリケードで固めさせ」、「私が毎晩、モローやゴヤの絵画を見ながら瞑想をする習慣を、あの野蛮なゾンビどもに妨害されないように」準備を整えるかもしれない。意外とたくましいから。
あれだけ孤独を愛しているようで、ウジウジとパリの市民社会のことも気になり続けていたデ・ゼッサントは、
ゾンビ時代になっても、特に変わらずウジウジとし続けて、大きくは動揺しないような気もする。
特に変わらず、郊外の家に立て籠もり、懊悩を続けながらなんとなくゾンビに対応して、サバイバルしてしまうような予感すらある。
ただ彼の以下の叫びは、ゾンビ時代にはなおさらピッタリくるでしょう。
「そうだ!いま私が目にしているのは、ヨーロッパ大陸がアメリカ化されてしまった極みなのだ!」
ハリウッドホラー映画から飛び出してきたようなゾンビ軍団を、狭い窓から見まわしながら。
※文中の翻訳は澁澤龍彦の河出文庫版を参考に、仏文は右のサイトを参考にさせていただきました: http://www.gutenberg.org/files/56149/56149-h/56149-h.htm
子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!