【夢日記作家の考察】音楽家シューマンの精神病例を考える(ニーチェのシューマン評VSドゥルーズガタリのシューマン評)
皆さん、こんにちは!
noteで夢日記をマンガ形式で連載しているヤシロと申します!
先日、ニーチェが出てきてしまった夢のことを書いたらなかなか好評でしたので、本日も思想史絡みです。
あるいはシューマンのピアノ曲を聴きながら仕事をしていたとき、ふと、
シューマンに対するニーチェとドゥルーズ(&ガタリ)の評価の違いを思い出しました。
私にとって学生時代以来、生涯レベルで付き合いの続いている哲学者というのが、ニーチェ、バタイユ、ドゥルーズあたりになりますが、シューマンに対する評価が以下のイラストのようにバスっと割れているのが気になるところです。
もっとも、ニーチェのシューマン評は、ニーチェが他人を評価する際によくあることですがw、一時期はめちゃくちゃ持ち上げているのに、何かのトリガーで大嫌いになり、
そのあとは自身の著作の中でしつこいほど名前を挙げては誹謗中傷を繰り返す、という怖いパターンがあり、シューマンもそのパターンの被害者といえます。若い頃のニーチェは、特にシューマンの『子供の情景』が好きだったらしく、手紙の中で「楽譜買ってきてー」と人に依頼したりしているのに、ある時期から突然、文脈に関係ないところでも「シューマンはダメだ!」としつこくね、、、。
どうもニーチェ先生的には、シューマンという人自身がきわめて小市民的な「家庭のおだやかな生活」に満足しきっている、典型的なドイツ人であるところが気に障ったらしい(=ニーチェが「あいつは典型的なドイツ人だ」というとき、それは悪口ですw)。
だがそれも、シューマンについての研究が進み、シューマン自身を蝕んで自殺未遂事件にまで繋がり、結果としては早生の原因となった彼の「幻聴」が、どうやら相当に深刻な精神病だったとわかってきた時代の私たちから見れば評価はずいぶん違うのでは?
結局は幸せな家庭から引き離され、精神病院で生涯を閉じたシューマンにとって、家庭の安らぎというのは「小市民的」などという誹謗中傷があてはまるようなものではなく、病気に苦しめられ続けた彼にとって何よりも幸せな瞬間だったはず、、、この辺の事情をニーチェが知っていれば、「苦悩の中でも負けずに創作活動を続けた悲劇の芸術家」ということでむしろニーチェが好きなタイプだったと思うんですけどね、、、!
そう考えると、
ニーチェが伝記的なことをよく知らずに「小市民的だ」「ちっぽけな奴だ」と誹謗中傷していたシューマンを、
「いや!むしろニーチェ的には好きなはずの、生の哲学を体現した音楽家って言えるんじゃない?」と後代のドゥルーズ&ガタリが言い出したのは、必然だったのかも知れない!D&Gは「思想史の必然」なんて言い方でまとめられるのは嫌うでしょうけど。
それにしても、、、
シューマンが報告している「悪魔の幻覚が自分の音楽家としての才能を貶めてくる」「自分の作品は実は誰かの盗作だと誹謗中傷してくる声が四六時中聞こえる」って、現代の精神病でもよく聞く事例で、他人事じゃないっ!
※シューマン自身は梅毒の進行だったというのが一説ですが、現代でもよくある病気、統合失調症の症例でもこの手の幻聴はよく聞く
いずれにせよ、私自身、精神疾患と闘いながら何度も社会復帰をしてきた人間という自負があり、
誰であれ、精神病と闘いながら仕事を続けていた人というのは仲間(精神病との戦友!?)だと思っている。
まして、それが、精神病にどんどん飲み込まれながらも、美しい音楽を残し続けた作曲家というなら、なおさら全力でリスペクトする先人です。つまり、この話でいうなら、私はD&Gのほうに味方します、「シューマンを讃えよう!」
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