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俯瞰する視座を持つということ。

 視座を辞書で調べると「物事を見る姿勢や立場」とある。相手の立場になる、相手と目線を揃えるということなのだが、そう簡単にできるものではない。近道は実際にその相手の立場を経験することなのだろう。リーダーの気持ちを知るにはリーダーになるしかないし、現場の気持ちが分かりたければ現場で働くしかないと思う。

 全く違う畑からやってきた経営者が、実際に現場で働いてみることで現場を知り、それを経営に活かすということを実際にやっている話はよく聞く。逆はどうだろうか。若くしてリーダーを任せるというというのは、任せる側はリスクばかり考えたり、上層組織に長く居座る人がいたりする中で、まだまだ難しい課題は残っているだろう。

 俯瞰する視座を得るために、何も偉くなる必要はない。小さなことを1から始めるだけでも得られると思うのだ。私の実体験を挙げると、趣味で小説を書いていたわけだが、いざコミケに出展するとなればコストも必要にある。コストが掛かる以上、売れなければならない。同人活動なので一人ではなく、自分以外のメンバーも活動しており、進捗状況を確認しなければならない。締め切りもある。実際に現場で頒布するとなれば、長テーブルをどのようにレイアウトすれば手に取ってもらえるか、小説という読んでもらわなければどんなものかわからないものを、どうやって興味を持ってもらえるか。と言ったように、どんどん視点が広がっていくのを感じたのだ。自分が満足いく形で素晴らしいものを書き上げるのが一番大事だが、他者に読んでもらわなければもったいない。創作者と提供者の二足のわらじというジレンマを味わった。それは、今の仕事でも全く同じことを感じている。

 今最も考えたいのは自分の生活か、家族か、仕事や会社か、国か世界か、と言ったように、同じ人間でもこれだけ視座が違う。それぞれに基盤が必要で、しっかりとした土台を築き、経験という段階を経ているのは確実だろう。大事なのはそれをできる限り早い段階で経験するということ。地上から見たピラミッドは三角だが、上空から見下ろしたら四角だったというよりに、見える景色も変わってくる。人間関係においても同じだとしたら、様々な視座をもち、本当に意味で相手の立場になって考えられる人が求められているのではないだろうか。

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