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 さて、僕が京都に移住してから2ヶ月と半分ほどの時間が過ぎた。僕の生活ぶりといえば支えてくれる家族がいるおかげでとても充実しているし、日々の支えがなければ僕もこの町でこんな風に暮らすことはできなかったんだろうなと思うと”縁”というものに改めて感謝しなくちゃなと思う。
 そんな僕がなぜここ笠置に移住したかというと、キッカケは一昨年。2017年6月、僕が当時働いていた東京・昭島にあるアウトドアヴィレッジという商業施設のなかで、その日あるイベントが行われていた。

 そのイベントのなかに笠置町のブースがあり、半分冷やかしの気持ちで見に行ってみたら、映画『笠置ROCK』のチケットがたまたま当たったのだ。映画のポスターは職場に貼ってあったので、すでに見て知っていたが、正直観に行こうとまでは思っていなかったのが本音だ。そのチケットが当たっていなかったら、きっと観に行くこともなかっただろう。 

 そして。僕は「笠置ROCK」を観て、”笠置町”という存在を知った。

 映画の感想は率直に『笠置町が好きになった』だ。まだ行ったこともないその町を僕は好きになった。なんていい町なんだろうと思った。そして、行ってみたいと心から思った。

 しかし。行こうと思ったが、そう簡単に行かせてはくれないのが人生。クライミングのために行こうと思っていたのに、当時は怪我の連続だった。そして、その怪我が僕からモチベーションを奪い取ってしまったのだ。思うように登れず、目標としていた課題がどんどん遠ざかる感覚。何をしていいのかわからず、クライミングから一番心が離れてしまった期間だったように思う。
 その時、人生の目標を失いかけた僕の心を救ってくれたのが”友達”と”写真”だった。詳しくは改めて書くが、はじめて”ひと”を写した瞬間、「写真で生きていこう」と決めた。

 白か黒かの人生に”彩り”が生まれた瞬間だ。

 満を持して、2018年9月。神戸に出張に来ていた僕のFacebookの記事に「笠置寄って帰る?」の何気ないコメント。行きたかったが、仕事でまたも行けないスケジュール。だったが、しかし。
 偶然、雨で仕事が流れた。
「やっぱり行きます!」とメールを打ち、ついに笠置へ。はじめて降り立ったその土地は『笠置ROCK』で観た”笠置”がそのままそこにあった。住むひと達の熱量や温かさ。僕はそのエネルギーの向かう先に自分の夢を重ねた。
 そして、その日の夜。僕は移住を決めた。

 偶然の積み重なり。縁がつなぐ軌跡。
 あの一枚の映画チケットがまさか本当に”笠置町までのチケット”になるなんて誰が想像しただろう。

 シバタタツヤ 

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