柴田達也 | Katte -世界一美しい猫のトイレ-

■ Katte 代表 世界一美しい猫のトイレを創っています。 ■こども支援団体「想い…

柴田達也 | Katte -世界一美しい猫のトイレ-

■ Katte 代表 世界一美しい猫のトイレを創っています。 ■こども支援団体「想い出の窓」 友人の高松豪と共に立ち上げ、フォトグラファー担当。 ■ミュージシャン、ロッククライマー、写真家、色々やってきました。 http://www.katte.co.jp

マガジン

  • 人生第五章:Katte

    世界一美しい猫のトイレをつくりたい! 勢いのまま仕事を辞めて起業を決意。ものづくり初心者が仲間たちと繰り広げるあれこれを書いていければと思います。

  • 人生第四章:サラリーマン編

    コロナ化にはじめてのサラリーマンを経験。生きるってなんだろう?

  • 人生第三章:写真家編(京都)

    日本で二番目に人口が少ない町、京都・笠置町。 いまを生きる子どもたちが大人になったとき。 この町に生まれたことを。 この町で生きていることを。 心から誇りに思えたら。 いまより少しだけ素敵な未来がやってくるんじゃないか。 そんな思いを繋いでいきたい。 写真と言葉で紡いでいきたい。

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人生の第五章:Katte

『世界一美しい猫のトイレ』を創りたい。 そんな夢が突然降ってきた。 インテリアが大好きな母親のもとで自然と美しい家具やプロダクトに囲まれて育った僕には、ふとした時に視界に飛び込む猫のトイレだけがどうしても違和感があった。 「次の誕生日におしゃれな猫トイレをプレゼントしよう」 そう思い、Googleで検索してみた。 なかなかどうして見つからない。そこにまたも違和感が生まれた。 20歳頃からスマホが当たり前の時代を生きてきて、検索して見つからないものなんてあっただろうか。

    • 初めてのものづくり

      新しいことを始めると新しい人たち出会うことが増える。その度に「何をやってる方なんですか?」との問いに「世界一美しい猫のトイレを作っています」と答えているのだが自分でも不思議な感覚になる。 なぜ猫のトイレなのか。 そもそも、なぜ「ものづくり」をしようと思ったのか。 インテリアが好きな母親に育てられ家具の美しさやプロダクトの素晴らしさには幼い頃から自然と触れていたことが起因しているとは思う。 だけど、ものづくりなんてしたことがない。触れたこともない。せいぜい小学校の図工の時間

      • くろすけ永眠

        僕にとって初めての後から来た家族。18年近くずっと実家に住んでいたわけだから、僕よりも長くこの家に住んでいた。 一緒に住んだのは最初の約3年と最後の3年くらいか。当たり前にいる存在というのはいなくなることで初めて、当たり前にいたのだということを知った。 温かさもなくなるし、柔らかさもなくなる。 徐々にいなくなる準備をしてくれるんじゃないか、なんていう甘い希望をこっそり抱いていたのだけれど。 現実というのはどうも残酷だ。 こんなふうに脚の上に乗るのも最後になってしまった。

        • 愛すること

          人が人を信じること。 すごく危うい行為かもしれない。 だからこそ信じたい 愛することで失うものは、愛することで得られたもの。 人はいつだって間違いを繰り返す。 だからこそ。 まず愛する。 写真から教えてもらった大切なこと。 シバタタツヤ

        マガジン

        • 人生第五章:Katte
          2本
        • 人生第四章:サラリーマン編
          15本
        • 人生第三章:写真家編(京都)
          31本

        記事

          もしもあの時に戻れたら

          24歳に戻ったらどんな風に生きてみたい? そんなことを友人と話した。 僕は当時ミュージシャンをしていたし、彼はとある劇場の支配人をしていた。 頭の中で考えを巡らせている中、彼がゆっくりとした口調で話し始めるのを僕は聞いていた。 過去があって今がある。今があって未来がある。 たまたま立っている現在のこの場所に感謝している、と。周りに感謝しかない、と。 「また同じ人生を歩むかなあ----」 傷つけてしまった人がいたのなら、傷つけずに生きてみたい。そんな言葉を聞いた時、ハ

          記憶すること。記録すること。

          なぜ人は写真を撮るんだろう。 その昔、ピンホールカメラが生まれ人はそれを写生した。フィルムが生まれそれをネガやポジに、デジタルカメラが生まれそれを画像として残してきた。 すべてが写真という、その人が残したいという想いの元から生まれた記録という行為だ。 愛する人、美しい景色、何気ない日常。 目に映る瞬間を記憶するためだけならば、カメラなんて持たずにいる方がいいとさえ思う。 それでも、写真として残したいという気持ちが心の奥底から湧き出てくる理由はなんだろう。 『あなた

          記憶すること。記録すること。

          ”この先も、ずっと”

          気付けばもう6年近い年月が経っていた。 中学生だったふたりが、もう高校を卒業。 ”時間”というのは、どうも人の感覚を置き去りにしていくのが好きみたいだ。 いつだって”今”を大切にしたいけれど、 振り返った瞬間にそれはもう”過去”に変わっていく。 だから僕は写真を撮るんだ。 ”過去”を”今のまま”、真空パックするみたいに。 次の記念写真もまた撮れたら、嬉しいな。 卒業おめでとう! シバタタツヤ

          静かに、そっと。

          今朝、起きたら飛び込んできた友人の訃報。 特別に仲が良かったとか、長く一緒に過ごしたわけではないけれど、クライマーとして東京のジムで働いていたときの同僚だった。 いつもふざけた雰囲気な男で、本音で何かを話したことがあるのかは正直覚えていない。それでも、心が優しいやつだったことは妙にはっきりと覚えている。 京都に移住した時にも、仲間たちと遊びに来てくれた。 東京に戻った僕が辞めていたSNSを復帰した時にも、すぐに連絡をくれた。 「生きててよかったです!」 「生きてれば、

          また会えますように、から3年。

          写真についてあれこれ考えていると、ふと自分を悩ませることがある。 僕はどんな写真が撮りたいんだろう。 根本的すぎて表面化せず、日々写真を撮ることの楽しさに埋もれてスルーしてしまいがちなことのひとつだった。 3年ぶりに会った僕にとって本当に妹のような2人。冬らしい柔らかい光の中で、またこうやって会うことのできるしあわせを込めて静かにシャッターを切った。 「こんな風に"普通の写真"を撮れるって嬉しいね」 ふと、こんな言葉が僕の口からこぼれた。 今この瞬間を、目の前にい

          また会えますように、から3年。

          また会えますように。

          写真を続けていく中で、ずっと変わらない思いがある。 それはシャッターを切る時の気持ち。 初めて会う人も。 仲の良い友人も。 大切な人も。 また会えますように、と思ってシャッターをそっと切っている。 ほとんどが一期一会だけれど、 だからこそ願わずにはいられない。 これからも未来は続いていく。 そんな風に思った1月23日。 シバタタツヤ

          ライカはじめました②

          (つづき) 楽しい半分。不安半分。 そんな気持ちと一緒にライカを持って町を歩いた。 いままで当たり前だった夜の撮影や暗い場所での撮影も諦めるしかなかったり、どんな風に撮れているかすらわからないままにシャッターを切る日々。 そして、現像、現像、現像。 僕が夢見たあの写真が現れることはなかった。 当時の僕はいったい何を求めていたのだろう。 目の前にいる人の最高の瞬間を写真に収めること? 写した写真を見た人たちの笑顔を作ること? 写真に写る子供たちがおとなになったとき、こ

          目線の高さ。

          「ちょうど目線の高さで、カメラがよく見えるんです。」 新宿の某所で一服していると、目があって話しかけてくれたその方は電動の車椅子に乗っていた。 「ライカですか?」 首から下げるカメラに興味をもってれたことにとても嬉しくなった。話を聞くと、過去に写真をやっていたときがあったようでその時の憧れがライカだったようだ。 カタチを変えずに残っていくものは、時代を繋ぐアイテムだということを知った瞬間だった。 短い時間ながらも、事故で失ったという左脚のこと、障害をもったことによる心

          東京の雪

          東京で雪を見るのは何年振りだろう。 ライカを持って街を歩くといつもとは違う景色に心が躍る。 見慣れぬ白く染まった表参道で、素敵な出会いがあった。あまりにも素敵なその横顔に、声をかけずにはいられなかった。 東京に戻ってきたあの日から世界中の人と人との距離感が変わってしまったような気がしていた。 「写真を撮ってもいいですか?」の声に素直に応えてくれたあの瞬間。 ずっと躊躇っていた心が解けた。必要以上の距離を作っていたのは自分だということに気づいた。 何気ない一期一会。

          ライカはじめました ①

          実は2度目のライカ。 2019年の10月。手持ちの機材のほとんどを売り払い手にしたフィルムライカのM6。 当時、僕は京都で写真家として生きていた。 外からは順風満帆に見える活動でも、心はひどく疲弊し始めていた時期だった。 評価されない焦りやもどかしさの原因を自分の外に求めてしまい、自分を認めてあげることができなかった。 唯一自分の心を突き動かしてくれたのは、ハービー山口先生や、ジョセフ・クーデルカ 、ユージン・スミスといった方々のドキュメンタリーフォトだった。 自分

          明けまして2022年。

          明けましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしくお願いします。 写真をやることが楽しくてしあわせです。 なにより、帰ってこられた事がとってもしあわせ。 家族や大切な人たちをたくさん撮っていこうと思ってます。(ねこ含む) それでは、また。  シバタタツヤ

          復帰。そして、2021年も終わり。

          やっと。 やっと、復帰。 また夢を見させてくれる。 ご縁に感謝。 今年は本当に自分にとって大切な一年でした。 大切な友人ができたこと。 くるりと一周して様々な再会が訪れたこと。 失ってきたたくさんのことと、その空白を埋めるように得てきたたくさんのもの。 ずーっと同じ質量なのかもしれませんね。 楽しいことばかりじゃありませんが、この年の瀬にまた人生に目標と夢ができたことがなによりのしあわせです。 "Make one memory, Give one memory."

          復帰。そして、2021年も終わり。