映画を観たら。
「自分らしく生きていいんだよ」
今日も大好きな洋画の字幕を見て泣く。
「自分らしく生きてほしいな」
就活のことで悩んで、ようやく本音が言えた時、母がくれた言葉も似ている。
私は映画が好きだ。
それは不思議な体験をさせてくれるから。
見るものは同じはずなのに、毎回感じ方が違う。
ひとつの映像、その中のひとつの瞬間に見た、端っこにいた名無しのエキストラの笑顔が、1番印象に残っていたりもする。
それに、こんなことをnoteに書き始めるなんて誰が想像しただろうか。
私の生きる目的?目標?
語ろうと思えば語れるけど、それって私が本当に思っていることなんだろうか。
私が考えすぎ?行動するまで長くかかりすぎなのかな?
「自分らしく」という言葉は、私にとって心底泣ける。
「そうか、自由に生きていいんだよね」と思わせてくれる。
でも、そうなの?
生きていくにはいろいろ妥協しなきゃならないんじゃないの?
今日観た映画の中で、私が最も好きなシーンがある。
主人公が、小さな女の子を車で家まで送ってあげるところ。
それは、私の幼き日のことを思い出させた。
休みの日。幼稚園児の私。
お菓子を持って、祖母の運転する車で船を見に行った。
船は中くらいの大きさ。
「舟」という字を使って表すほど小さくもないけど、クルーズ船ほどデカくもない。
船の名前は「おりいぶ丸」。
私はおりいぶ丸を見に行くのを毎回楽しみにしていたけど、ほとんど記憶がない。
船を車窓から見るだけ。
多分、外に降りたこともないし、窓を開けて海の潮風を感じたこともない。
祖母と何を話したかも覚えていない。
でも、祖母は他の人にとってはそれほど特別ではないかもしれない、小さな幸せを沢山くれた人だから。
あんな風な人になりたい。今、そう思っている。
「あなたの成長が1番楽しみ」
「あなたは賢い」
認知症の症状が出る前から、何度も繰り返し言ってくれていた言葉。
今以上に、めちゃくちゃ幸せになりたいなんて思わない。
たしかに今、昔の日記を読み返してみると、確実に自分の視野が広がっているし、昔なら多分しなかったような挑戦もした。
人も、だいぶん頼れるようになったし、信用できるようになった気がする。
言い訳でもなんでもなく、今ある小さな幸せを壊したくない。
毎日、考えや話す内容が変わる自分も、悪い癖を直そうとしない自分も、世間の言う「自分らしさ」に入らないなら、それはきっと私が他の人よりも、自分のことをよく考えて、よく知っているから。
先延ばしにしちゃう癖は直したいけど、真面目すぎて精神壊れるようなことを、また経験するよりはいい。
根底にあるものってやっぱり変わらないな。
でも、無理に変えようとしなくてもいいのかも。
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