見出し画像

視野が広がった瞬間、やる気を出す方法を忘れた。

この頃、「今日やること」を決めてもその日中に終わらせることができていない。他媒体で書き進めているブログ記事で、私の大学受験の話をしているのだが、振り返ってみると、そこには何も知らないからこその無邪気さと猪突猛進な努力があったことがわかる。

今はなんでもパソコンでやるようになり、手書きでやっているものといえば日記くらい。でも当時は、勉強も全部手書きが当たり前だったから、ノートに沢山問題を解いて付箋を貼って、やる気を保つため裏表紙に自分へのメッセージなんかも書いていた。確かに、以前よりタイピングは速くなったけど、それが全てを助けているわけではないと思う。

大学に入って、初めてアルバイトをやってみて、今までどれほど自分が他人に失礼な態度をとってきたかを知った。環境活動家やNPO法人の長とかかわってみて、環境破壊や労働の搾取が日々起こっていて、自分達も知らぬ間に加担していることを知った。OGの起業家や休学中の社会人と話してみて、世の中にはいろんな働き方があることを知った。

就活を始めてみて、それが思ったより闇の深いものだと知ってしまった。

高校生くらいの時から世は不況だと言われていたから、「ああ、きっと大変なんだろうな」と思っていたら本当にそうだった。のかも。

昔、「正論しか言わない」と陰口を言われたことがある。

当時の自分は必死で何かを追いかけて、承認欲求にまみれてタブーなこともやっていたし、みんな若かったから仕方ない(中学生)と思いつつ、自分が真面目すぎるのかもしれないことはうすうす気づいている。

でも、決められた地域でそこの生徒たちと戦うのと違うとはいえ、就活って結局そこでしか通用しない何かの練習をして、一瞬で相手に自分を欲しがらせたモン勝ちで、それはそうとしても、「決められた時期に、1社に決まらなきゃならん」感がどうしても残る。

「そういうこと言う私こそ、めっちゃ視野狭いんじゃねえの?」という声が心の内側に響くのがきこえる。

何かに人が集中する時って、視野が狭くなって、「よし、ここだけに集中!!!」ってなる時ではないの?

私、その方法以外、やる気の出し方知らないんだけど。

中身はな~んにも変わってないのかもしれない。
元々「人当たりの良い」「おもしろくて社交的な」子だったのに、途中で「根暗」になったのかもしれない。

少なくとも、誰が何と言おうと、今高校までに経験していないことを経験しているのは事実で、いまだに自信の持ち方はわからないけど、それなりに生きているのも事実だ。

視野が広がって、いろんなことを知って、まだまだアレもコレもと「知る」ことを要求されるのだろうけど、それでも私が「次はこれ!!!」という風に選び取るものは何なのだろうか。

気楽に真面目になるのは難しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?