モノからコトの再確認2 「モノからコト」の本質

前回、「モノからコトの再確認」では、「モノ」と「コト」の関係性について考えました。しかし前回の考察以後、さらに考えてみると、実は私達の身の見回りにあるモノの発展を考えることで、「モノからコト」のこれからが見えてくるように思います。

そのため今回は、前回の続きを、製品の変化から考えます。

・製品の発展から考える「モノからコト」
前回述べたように、20世紀は、生活が機械化されるという大きな変化の時代でした。家事をはじめ、娯楽や通信手段、仕事など、あらゆるものが機械化されました。

当初の機械は、例えば家庭用製品などを考えると、「1つの機械で」スイッチ1つで「作業」を「楽に」「ノウハウや技術がなくても」行えるようになります。
掃除機、洗濯機、冷蔵庫、コンロ、電話機、ラジオ、テレビ、電卓(計算機)などなど、様々な機械が導入されました。

これにより、生活様式だけでなく、社会の構造も変化します。その中でも、女性の社会進出は特に大きな変化と言えるでしょう。そしてこの変化は、後に、都市労働者の共稼ぎなどの変化に繋がります。

技術の発展、特にデジタル化は、生活様式の変化に合わせて、さらに生活を便利にします。その結果、「半自動化」が進みました。

例えば洗濯機や炊飯器など、ボタンを押すだけで、作業の全てを終わらせるだけでなく、指定の時間に目的を達成する機能を得ます。それまでの機械が、動力の制御であっちものが、操作や作業の制御に広がったと言えるかとおもいま。

ここで、1つ質問が考えられます。

製品としては、例えば洗濯機であれば、「全自動洗濯機」となりましたが、スイッチを押して、作業を始めなければならないという点から、ここではあえて「半自動化」と定義します。

・究極の利便性とは
コンピューターの発展は、生活や業務を急激に変化させます。1980年代後半には、「ファジィ」という言葉が流行しました。人の「曖昧さ」を、プログラムによって、機械が実現します。これによって、更に人の「ノウハウと技術」が陳腐化しました。

余談ですが、この頃のロボットアニメ(機甲戦記ドラグナー)で、強力な敵ロボットが、主役のロボット3機を、コンピューターで自動で捉えて攻撃するというものがありました。
主人公は、この敵を、3機が重なることで、敵のコンピューターを混乱させることで撃破します。
ガンダムのときは、主人公(アムロ)が、能力で3機の攻撃(ジェットストリームアタック)を攻略しましたが、このアニメでは、重なるという作戦で撃破します。
このとき僕は中学生でしたが、「ファジィで対応できるじゃん!」と、友達に語っていました。しかしこれらのアニメは、ロボットが戦うほどの技術の時代、今考えてみるとこの話すら陳腐です。(笑)

かなり話がそれましたが、、、

21世紀に入ると、本当の意味で、全自動化が実現し始めました。その代表的例が「ロボット掃除機」ではないてしょうか。
機械が人の「作業」を離れ、決められた時間と場所を掃除するようになったのです。道具としての掃除機ではなくなった時点で、最初から掃除という「コト」を購入しているといっても、過言ではないでしょう。

近い将来、段差や階段、ペットなどの障害も気にしない、完全な全自動化されたロボット掃除機が、人に気付かれることなく掃除をすることが、「普通」になるでしょう。

こうなると、既に「モノ」は「コト」を行いながら、我々の生活の中で、掃除という「コト」すら忘れられる存在になるでしょう。

ここで1つ、思い浮かぶ言葉があります。それは「ダイバシティ」です。
現在、「ダイバシティ」は、「多様性」と訳され、全ての人の特徴や考え方などを容認する、ある意味では「権利の最大公約数」のように用いられているように思います。
究極的な「利便性」は、あらゆる人々、学力や識字能力、障害を超えて、道具を「使う(効用を享受できる)」ことができる状態です。
その意味では、研究者や開発者は、「ダイバシティ」という言葉が普及するかなり以前から、概念的に「ダイバシティな製品」を想定していたと考えるべきでしょう。

ここまでくると、もう「モノからコト」という言葉すら陳腐化しているように見えます。しかし僕はそうは思いません。
これらの機械を開発している人たちは、例えば、松下幸之助が、二股ソケットを生み出したときのように、目の前の人々の、幸せを考えて開発したのではないでしょうか。

・なぜ今「モノからコト」なのか
近年、UX(ユーザーエクスペリエンス)という言葉が重視されています。これは、「コト」を、感覚的に認識するための概念だと考えます。

古来、インターネットやスマートフォンが普及するまでの、人類の営みは、記号(絵)から文字へ変化し、この2つの時代がほぼ全てです。しかしIT化によって、画像や動画といった、読解力を必要としないコミュニケーションが発達し、人等の読解力が、急速に低下しました。
そのため、UXのストーリーによる、擬似的なイメージが、伝達に必要になったのではないでしょうか。

そのため、「モノからコト」という考え方や視点が、あえて必要になったのではないかと思います。


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