2020年という年をを考え直す 「表現の不自由展・その後」名古屋展開催の影響から

先日、名古屋市の中心部、栄を歩いていたところ、警察官の物々しい警備に出会いました。
なにごとかと思っていたら、路上で講義演説(らしきこと、何を言っているのかわからなかったので)をしている人物もいました。

その日の夕方、ニュースで知ったのですが、あいちトリエンナーレ2019で問題になった、「表現の不自由展・その後」の展示が始まったとのことであった。

この展示の是非については意見を控えるが、多くの人が(展示を見ていない人を含め)「天皇の肖像を焼く」という表現や「慰安婦像」という言葉で批判し、名古屋市の隣の市の、全く関係ない美術館にまで苦情の電話があったというからお笑い草だ。

考えてみると、この事件は僕が始めて‘電凸’という言葉を知った事件だった。2010年前後から、こうしたことが頻発するようになったのだが、これほど全国的に話題になったのは少ないのではないかと思う。

さて話を戻して。
この事件の頃、半年後に新型コロナウイルスが蔓延するなどとは、誰も考えていなかったことだろう。
2020年の初頭から話題に上るようになった新型コロナウイルスは、まだ寒い時期から一気に拡大し、春を待たずに世界中の活動が止まった。

そうそう、なぜこういう表現をするかというと、教員としてのキャリアが長く、今も非常勤講師などを務めているので、卒業入学シーズンにストップしたという印象が強かったからだ。

その後、自粛警察やマスク警察という言葉が聞かれるようになり、テレビ番組に出演していた女子プロレスラーの自殺事件など、パンデミックへの不安から、不確かな情報やデマ、誹謗中傷や社会的不正「と、思われる」行為へのバッシングなど、殺伐とした状況だった。

デマと言えば、最初の頃、「コロナウイルスは熱に弱いのでお湯を飲めば死ぬ」というものがあった。
常識的に考えて、体内のウイルスが体温より低い温度の湯で退治できるわけがない。このときこの話を聞いて、僕は明治の終わりのハレー彗星パニックを思い出した。地球が彗星の尾に入り空気がなくなるので、自転車のチューブを買い漁ったなど、今から考えればギャグのようだが、当時の一般の人々の学力からすればむしろ今回の白湯のデマの方が幼稚にも感じる。

ちなみに、この8年後には日本でもスペイン風邪が流行したことを考えると、本質的には、人はそれほど進歩していないのかもしれない。

新型コロナウイルスを端とする問題は他にもある。

2020年は、新型コロナウイルスを原因とした差別だけでなく、重大な人種問題が発生した。
これをきっかけに、欧米では過去の偉人を見直すという動きが見られた。
歴史上の業績だけでなく、人道的な観点からも見直そうとするもので、人種差別や虐殺、非人道的行為など、人間的に問題があった人物が再評価されることとなった。
歴史的な背景や、その人物が生きていた頃の道徳観や文化的背景ではなく、現代の価値観に基づく評価がなされ、中には銅像などが倒され、川に投げ込まれる(これもどうかと思うが)といったことが起きた。
面白いのは、この後、投げ込まれた銅像が引き上げられ(これも当然)、偉業も悪行も含めて、歴史的な事実を語るもの(歴史のモニュメント)として、倒された銅像が元の場所にもどされるといったことが起きたことだ。

日本でこうした話は聞かないが、僕の周り、比較的社会のニュースに敏感な人は話題にしていた。2021年には、大河ドラマで渋沢栄一が取り上げられたのは周知のことだが、偉人の人間性まで問われる中で、渋沢の女性関係をどう扱うかという話が話題になった。

こうしたことも、ある意味では、新型コロナウイルスの影響から、社会正義を貫く風潮によるのかもしれない。

話を元に戻そう。

「表現の自由展・その後」も含め、トリエンナーレの展示でも様々な「不自由」を訴える作品が展示されていて、決して取り沙汰された2つを主としたものではなかった。しかしこの2つの作品によって、トリエンナーレという存在が広く知られたことも事実だ。

作品の内容や表現は別として、過去の歴史が変わることはない。

昭和天皇は歴史上実在した人物で、明治から昭和という時代を生き、この人物(と、あえて表現する)の苦悩も含めて、近代から現代の変化を生きた人物だ。
「慰安婦」という問題で考えるのであれば、戦争と性犯罪は人類史と同じ長さの問題で、1990年以後の研究で、第二次世界大戦で見るならら、ある研究に丿よれば、自由恋愛型(私娼中心。イギリス軍、米軍)、慰安所型(日本、ドイツ、フランス)、レイプ型(ソ連)の3つの類型があったそうだ。
今まさに進行しているウクライナ問題では、ロシア軍の性犯罪が重篤化している。

※ロシア=性犯罪という意見ではありません!

「表現の不自由展・その後」は、極めて客観的に見るなら、2020年からの、これまでの社会を見直すような動向のように思える。

多様性を重視するこらからの社会で、一面的な視点で批判することの方が、むしろ危険に思えるのは僕だけだろうか。

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