論理的思考のすすめ 仮説演繹法

僕が企業のお手伝いをさせて頂くとき、よくあることの1つが、「今何をしているか」そして「こんなふうに困っている」という話をお伺いすること。

以前も記しましたが、「そもそも何をしとらよいか解らない」というお客様が少なくないので、こうしたお話を聞くことから始まります。話をお伺いしながら、考え得ることを確認しながら、状況や問題点を指摘していくと「何でそんなことまで解るのですか?」と言われることがあります。

このことについて、一緒に仕事をした方によると、どうやら占いやプロファイリングのように見えるのだとか。

さすがに占いとは違いますが、プロファイリングというのは、あながち間違っていないかもしれません。企業や組織の問題として、話の内容を論理的に判断することで、「何が起きているのか」「今後何が起こるのか」を判断しているだけです。

このときの思考の方法を、仮説演繹法と言います。

仮説演繹法は、科学的思考とも言われ、科学者が身に付けている基本的な考え方です。そして、戦略を立てるうえで、必要不可欠な考え方でもあります。

そのため今回は、この仮説演繹法について説明したいと思います。

・仮説演繹法とは
仮説演繹法は、「科学者」という言葉を発明した、ウィリアム・ヒューウェルが名付けた言葉です。その後ポパー哲学で有名なカール・ポパーが、科学的方法として取り上げ、有名になりました。
仮説演繹法では、観察によるデータから導き出された仮説を、定式化することによって科学を発展させる考え方です。

簡単に言うなら、世の中の出来事から、仮説を立て、その仮説から法則(理論)を発見するという、科学研究の基本的な考え方です。

・仮説演繹法のプロセス
仮説演繹法のプロセスは、以下のようになります。

   帰納的論証    演繹的論証
事実   →   仮説   →   予測(推論)

最初の事実、これは自然科学であれば実験結果です。社会科学であれば、起きている現象です。企業経営なとであれば、頻繁に起こることや、一定以上の時間抱えている問題などです。これは「状態」と言っても良いでしょう。
ますこの「状態」を列挙し、共通する問題点を明確にしたうえで、原因を特定します。科学者は、原因が解らないことを研究し、解明しようとしているので、この原因と解決法が「仮説」になります。そしてこの仮説を元に、今後何ができるのかや何が起こるのかを推論します。
最後に、このこれまでの考えの流れを実証し、常に推測通りの同じ結果が得られれば、この仮説は正しい理論(証明てきた)と言うことができます。

・科学者はなぜ予言する(できる)のか
さて科学者は、仮説演繹法(科学的方法)によって、社会の未来を予言します。僕はこのときの予言を、‘当たった’‘外れた’という表現をしてほしくないと思っていて、平たく言えば「科学的な理論に基づく推論なので、八卦じゃあるまいし、、、」と言いたいところです。

特に推論が誤っていた場合、これまでの考え方では解明できない、新たな現象が発見されたことになり、この現象が次の研究課題になっていく、、、とまあ、聞こえはいいですが、研究は永遠に続くわけです。
しかしこのとき、予言と同時に「在るべき姿」を示すのも、学問研究の役割だと、僕は考えます。

話が逸れましたが、こうした予言がなぜできるのかというと、それは科学的方法によって、適切に理論を組み立てているからです。

これを企業経営のキーワードに当てはめると、「勘と経験」ではなく、客観的な「データドリブン」に基づいてるからということになります。
最近では、不適切な経営判断の考え方として「KKD(勘、経験、努力)」などと言われます。KKD(こういう、何でも略すのは好きではありませんが、、、)が、全くいけないとは言いませんし、熟練が必要な場面では大切なのですが、やはり適切な答えを導き出すことが難しいことも事実です。

最初の僕の、企業の状況や問題点を指摘した事例は、科学者が科学的方法で未来を予言するのと同じ作業です。

・経営戦略と仮説演繹法
企業の経営戦略を考える方法にフォアキャスティングとバックキャスティングという方法があります。
フォアキャスティングは、現状からやるべきことを考える改善的アプローチです。一方バックキャスティングは、将来像(在るべき姿)を実現するためにやるべきことを考える、創造的破壊のためのアプローチです。

目指す価値観、例えば豊かさの基準がシンプルだった20世紀は、フォアキャスティングが一般的でした。だからこそ、1979年に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出版され、日本的経営が注目されたとき、「KAIZEN(改善)」が世界標準語となりました。
しかし多様性が求められ、やVUCAの時代と言われる現代では、フォアキャスティングでは解決できない問題が溢れています。

そうそう、「現代」という表現は、教科書の判断では戦後を指します。しかし近年のヨーロッパでは、1989年以降を指すようになっています。そう考えると、平成が新しい現代という時代であったことは、何とも皮肉であるように感じます。そして令和という時代は、正しく新たな価値観へと変化を始めた時代と言えるのではないでしょうか。

このような時代だからこそ、バックキャスティングによる意思決定が求められます。

このとき不可欠なのが仮説演繹法です。

仮説演繹法は、これからの社会を考え、生き抜くうえで、必須の考え方かもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?