野球オリンピック代表金メダルに思うこと

2000年

シドニーオリンピック。この年からオリンピックについてはプロアマ混成チームとしてオリンピックに臨むことになった。

ミスターアマチュアと言われた杉浦正則や、次の年のドライチ候補だった山田秋親、阿部慎之助、そのほか赤星憲広、沖原佳典、広瀬純、野田浩輔ら、のちにプロで活躍する選手も多数出ていた。

結果はメダルを逃すことになった。予選からずっと出ていたアマチュアの選手たちと、途中で入れ替わったプロの選手たちとの一体感は正直見ていて無かった。オリンピックの間にもプロは普通に試合をしていたもんな。あのとき。

そんななか、ほぼ大学社会人でキューバに臨んだ試合を観戦したことがある。2000年9月。大阪ドームだった。

中学2年生だった私。高校生以下無料で見れた試合。学校が終わって脱兎のごとく、初めて見る国際試合にワクワクしながらドームへと向かった。

球場に行くとキューバの選手たちが練習をしていた。のちにシダックス野球部で猛打をふるうこととなるキンデラン、パチェーコ、中日ドラゴンズで活躍することとなるリナレスら、そんな彼らがえげつない打球をポンポンと放っていた。
バルセロナでも活躍していた外野手、ルイス・ウラシア選手にサインをもらったのもいい思い出だ。

日本は中日の鈴木郁洋以外はアマチュア構成。その日中日は普通に試合があったはずなのだが、なぜか鈴木はこっちの試合に派遣されていた。まあキャッチャーだし仕方ない。

キューバのコントレラス、ベラが150キロを超える速球をバンバン投げてくる。チャンスは作れど全く点につながらない。

そして案の定投手陣は蹂躙されることとなる。
山田が、杉浦が、ボコボコにされた。

「『世界』って遠いんだな、強いんだな」と中学2年生の私は思った。

あれから21年、今日ようやく日本は表彰台の一番高いところに上ることができた。その間にWBCでも、プレミア12でも優勝を経験しているが、独特の雰囲気で行われるオリンピックという舞台でようやく日本は一番輝くメダルを手にすることができたんだな。

そう思うと非常に感慨深い。

あの日の敗戦からだいぶたったけど、ようやくここまで来た。そう思った今日の試合だった。

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