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【読書録】『サピエンス全史』(上・下)ユヴァル・ノア・ハラリ

今日ご紹介するのは、全世界的なベストセラーになった『サピエンス全史』(和訳版、河出書房出版、2016年)。著者は、ユヴァル・ノア・ハラリ氏。翻訳は、柴田しばた裕之やすし氏。

斬新な歴史書ともいうべき一冊。オバマ元米大統領やビル・ゲイツなど、世界的な知識人たちがこぞって薦めている。

私がこの種の本を読むときは、通常、読了するまでに大変な時間がかかるのだが、本書は違った。

超長期間にわたり歴史をマクロで俯瞰した、あっと驚く新しい視座。ロジカルで分かりやすい文章と、歴史的事実に基づく豊富な事例。翻訳もシャープでとても読みやすい。グイグイと引き込まれ、あっという間に読了してしまった。

覚えておきたい記述は本当に沢山あるのだが、特に印象に残った箇所について絞って書き留めておきたい。

第1章 認知革命

私たちの進化の過程では、脳が大きくなり、直立歩行をし、手を使って道具を使えるようになった。直立歩行をするためには腰回りを細める必要があり、女性の産道が狭まった。赤ん坊の脳と頭が小さく柔軟な早い段階で出産するほうが安全であり、出産が早期化した。そのため、他の動物と比べて、ヒトの赤ん坊は自分では何もできず、何年にもわたり年長者から保護を与えてもらう必要がでてきた。子育てのため、仲間が力を合わせる必要が生じ、強い社会的絆を結ぶようになり、社会的能力と社会的問題をもたらすことになった。

上巻p21-23(サザヱ要約)

・・・七万年前から三万年前にかけて見られた、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことを「認知革命」という。

上巻p35

 認知革命の結果、ホモ・サピエンスは噂話の助けを得て、より大きくて安定した集団を形成した。だが、噂話にも自ずと限界がある。社会学の研究からは、噂話によってまとまっている集団の「自然」な大きさの上限がおよそ一五〇人であることがわかっている。

上巻p42

 では、ホモ・サピエンスはどうやってこの重大な限界を乗り越え、何万もの住民から成る都市や、何億もの民を支配する帝国を最終的に築いたのだろう? その秘密はおそらく、虚構の登場にある。厖大な数の見知らぬ人どうしも、共通の神話を信じることによって、首尾良く協力できるのだ。

上巻p43

第2章 農業革命

・・・人類は農業革命によって、手に入る食料の総量をたしかに増やすことはできたが、食料の増加は、より良い食生活や、より長い休暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発とエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。

上巻p107

・・・私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が私たちを家畜化したのだ。

上巻p109

人々は、自らの決定がもたらす結果の全貌を捉え切れないのだ。

上巻p115

 歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。人々は、ある贅沢品にいったん慣れてしまうと、それを当たり前と思うようになる。そのうち、それに頼り始める。そしてついには、それなしでは生きられなくなる。

上巻p117

 贅沢の罠の物語には、重要な教訓がある。より楽な生活を求める人類の探求は、途方もない変化の力を解き放ち、その力が、誰も想像したり望んだりしていなかった形で世界を変えた。

上巻p118

・・・サピエンスの集合的な力の劇的な増加と、表向きの成功が、個人の多大な苦しみと密接につながっていたことを、私たちは今後の章で繰り返し目にすることになるだろう。

上巻p127

 不幸なことに、複雑な人間社会には想像上のヒエラルキーと不正な差別が必要なようだ。

上巻p174

 生物学的に決まっているものと、生物学的な神話を使って人々がたんに正当化しようとしているだけのものとを、私たちはどうすれば区別できるだろうか?「生物学的作用は可能にし、文化は禁じる」というのが、有用な経験則だ。生物学的作用は非常に広範な可能性のスペクトルを喜んで許容する。人々に一部の可能性を実現させることを強い、別の可能性を禁じるのは文化だ。

上巻p186-187「男女間の格差」のくだり

第3章 人類の統一

・・・貨幣は人間が生み出した信頼制度のうち、ほぼどんな文化の間の溝をも埋め、宗教や性別、人種、年齢、性的指向に基づいて差別することのない唯一のものだ。貨幣のおかげで、見ず知らずで信頼し合っていない人どうしでも、効果的に協力できる。

上巻p230

 帝国とは、二つの重要な特徴を持った当地秩序のこと。ひとつは、それぞれが異なる文化的アイデンティティと独自の領土を持った、いくつもの別個の民族を支配していること(文化的多様性)。もうひとつは、変更可能な境界と潜在的に無尽の欲。自らの基本的な構造もアイデンティティも変えることなく、次から次へと異国民や異国領を吞み込んで消化できること(領土の柔軟性、変更可能な国境)。

上巻p235-236(サザヱ要約)

 私たちの眼前で生み出されつつあるグローバル帝国は、特定の国家あるいは民族集団によって統治されはしない。この帝国は後期のローマ帝国とよく似て、他民族のエリート層に支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっている。世界中で、しだいに多くの起業家やエンジニア、専門家、学者、法律家、管理者が、この帝国に参加するようにという呼びかけを受けている。彼らはこの帝国の呼びかけに応じるか、それとも自分の国家と民族に忠誠を尽くし続けるか、じっくり考えなければならない。だが、帝国を選ぶ人は、増加の一途をたどっている。

上巻p256

 ・・・貨幣や帝国と並んで、宗教もこれまでずっと、人類を統一する三つの要素の一つだったのだ。社会秩序とヒエラルキーはすべて想像上のものだから、みな脆弱であり、社会が大きくなればなるほど、さらに脆くなる。宗教が担ってきたきわめて重要な歴史的役割は、こうした脆弱な構造に超人間的な正当性を与えることだ。宗教では、私たちの法は人間の気まぐれではなく、絶対的な至上の権威が定めたものだとされる。そのおかげで、根本的な法の少なくとも一部は、文句のつけようのないものとなり、結果として社会の安定が保証される。
 したがって宗教は、超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の制度と定義できる。

下巻p10

 人間至上主義の宗教(人間性を崇拝する宗教):ホモ・サピエンスは、他のあらゆる生き物や現象の性質とは根本的に異なる、独特で神聖な性質を持っている。至高の善は人間性の善。
 人間至上主義は、三つの強豪する宗派に分かれる。自由主義的な人間至上主義、社会主義的な人間至上主義、進化論的な人間至上主義。

下巻p34-35(サザヱ要約)

・・・歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。たとえば、ヨーロッパ人がどのようにアフリカを支配するに至ったかを研究すれば、人種的なヒエラルキーは自然なものでも必然的なものでもなく、世の中は違う形で構成しうる、と気づくことができる。

下巻p48

第4部 科学革命

 科学革命はこれまで、知識の革命ではなかった。何よりも、無知の革命だった。科学革命の発端は、人類は自らにとって最も重要な疑問の数々の答えを知らないという、重大な発見だった。

下巻p59

 科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることができる。イデオロギーは研究の費用を正当化する。それと引き換えに、イデオロギーは科学研究の優先順位に影響を及ぼし、発見された物事をどうするか決める。(中略)
 特に注意を向けるべき力が二つある。帝国主義と資本主義だ。科学と帝国と資本の間のフィードバック・グループは、過去五〇〇年にわたって歴史を動かす最大のエンジンだったと言ってよかろう。

下巻p89

・・・科学革命が起こり、進歩という考え方が登場した。進歩という考え方は、もし私たちが己の無知を認めて研究に投資すれば、物事が改善しうるという見解の上に成り立っている。この考え方は、まもなく経済にも取り入れられた。進歩を信じる人々は誰もが、地理上の発見やテクノロジー上の発明、組織面での発展によって人類の生産や交易、富の総量を増やすことができると確信している。(中略)
 過去五〇〇年の間に、人々は進歩という考え方によって、しだいに将来に信頼を寄せるようになっていった。この信頼によって生み出されたのが信用で、その信用が本格的な経済成長をもたらし、成長が将来への信頼を強め、さらなる信用への道を開いた。

下巻p133-134

・・・一八世紀を通じて、奴隷貿易への投資の利回りは年利約六パーセントだった。現代のコンサルタントなら誰もが、抜群に儲けが大きいと即座に認めることだろう。
 これが自由市場資本主義の重大な欠点だ。自由市場資本主義は、利益が公正な方法で得られることも、公正な方法で分配されることも保証できない。それどころか、人々は利益と生産を増やすことに取りかれ、その邪魔になりそうなものは目に入らなくなる。成長が至高の善となり、それ以外の倫理的な考慮というたが、、が完全に外れると、いとも簡単に大惨事につながりうる。(中略)
 自由市場資本主義は完全無欠にはほど遠く、大西洋奴隷貿易はその歴史における唯一の汚点ではないことは、しっかり心に刻んでおきたい。

下巻p159-160

 じつは産業革命は、エネルギー変換における革命だった。この革命は、私たちが使えるエネルギーに限界がないことを、再三立証してきた。あるいは、もっと正確に言うならば、唯一の限界は私たちの無知によって定められることを立証してきた。私たちは数十年ごとに新しいエネルギーを発見するので、私たちが使えるエネルギーの総量は増える一方なのだ。

下巻p169

・・・産業革命は、何よりもまず、第二次農業革命だったのだ。

下巻p172

・・・農業の工業化がなければ、都市での産業革命はけっして起こらなかっただろう。工場やオフィスに回せるだけの人手と頭脳が足りなかっただろうから。

下巻p177

 現代の資本主義経済は、泳いでいなければ窒息してしまうサメのように、存続するためにはたえず生産を増大させなければならない。とはいえ、ただ生産するだけでは足りない。製品を買ってくれる人もいなければ、製造業者も投資家もそろって破産する。そのような惨事を防ぎ、業界が何であれ新しいものを生産したときには人々がいつも必ず買ってくれるようにするために、新しい種類の価値体系が登場した。消費主義だ。

下巻p178

 利益は消費されてはならず、生産に再投資すべきであるとする実業家の資本主義の価値体系と、消費主義の価値体系との折り合いを、どうすればつけられるか? じつに単純な話だ。過去の各時代にもそうだったように、今もエリート層と大衆の間には分業がある。中世のヨーロッパでは、貴族階級の人々は派手に散財して贅沢をしたのに対して、農民たちはわずかのお金を無駄にせず、質素に暮らした。今日、状況は逆転した。豊かな人々は細心の注意を払って資産や投資を管理しているのに対して、裕福ではない人々は本当は必要のない自動車やテレビを買って借金に陥る。

下巻p180-181

・・・産業革命は、市場にかつてないほど大きな力を与え、国家には新たな通信と交通の手段を提供して、事務員や教師、警察官、ソーシャルワーカーといった人々を政府が自由に活用できるようにした。ところが当初、市場や国家は自らの力を行使しようとすると、外部の介入を快く思わない伝統的な家族やコミュニティに行く手を阻まれることに気づいた。(中略)
 そのうち国家や市場は、強大化する自らの力を使って家族やコミュニティの力を弱めた。(中略)だが、それだけでは足りなかった。家族やコミュニティの力を本当の意味で打ち砕くためには、敵方の一部を味方に引き入れる必要があった。
 そこで国家と市場は、けっして拒絶できない申し出を人々に持ち掛けた。「個人になるのだ」と提唱したのだ。

下巻p192-193

・・・主観的厚生を計測する質問表では、私たちの幸福は主観的感情と同一視され、幸せの追求は特定の感情状態の追求と見なされる。対照的に、仏教をはじめとする多くの伝統的な哲学や宗教では、幸せへのカギは真の自分を知る、すなわち自分は本当は何者なのか、あるいは何であるのかを理解することだとされる。(中略)
 学者たちが幸福の歴史を研究し始めたのは、ほんの数年前のことで、現在私たちはまだ初期仮設を立てたり、適切な研究方法を模索したりしている段階にある。そのため、確たる結論を出し、始まったばかりの議論に終止符を打つのは、あまりにも時期尚早だ。異なる探求方法をできるだけ多く見出し、適切な問いを投げかけることが重要だ。

下巻p239-240

・・・未来のテクノロジーの持つ真の可能性は、乗り物や武器だけではなく、感情や欲望も含めて、ホモ・サピエンスそのものを変えることなのだ。子供ももうけず、性行動も取らず、思考を他者と共有でき、私たちの一〇〇〇倍も優れた集中力と記憶力を持ち、けっして怒りもしなければ悲しみもしないものの、私には想像の糸口もつかめない感情と欲望を持ち、永遠に若さを保つサイボーグと比べれば、宇宙船などものの数にも入らないではないか。

下巻258-259

・・・私たちが真剣に受け止めなければいけないのは、歴史の次の段階には、テクノロジーや組織の変化だけではなく、人間の意識とアイデンティティの根本的な変化も含まれるという考えだ。そして、それらの変化は本当に根源的なものとなりうるので、「人類」という言葉そのものがその妥当性を問われる。それまでに、あとどれだけ時間が残っているのか? 実際のところは誰にもわからない。

下巻p261

 唯一私たちに試みられるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだ。私たちが自分の欲望を操作できるようになる日は近いかもしれないので、ひょっとすると、私たちが直面している新の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない。この疑問に思わず頭を抱えない人は、おそらくまだ、それについて十分考えていないのだろう。

下巻p263

 七万年前、ホモ・サピエンスはまだ、アフリカの片隅で生きていくのに精いっぱいの、取るに足らない動物だった。ところがその後の年月に、全地球の主となり、生態系を脅かすに至った。今日、ホモ・サピエンスは、神になる寸前で、永遠の若さばかりか、想像と破壊の神聖な能力さえも手に入れかけている。(中略)
・・・私たちは仲間の動物たちや周囲の生態系を悲惨な目に遭わせ、自分自身の快適さや楽しみ以外はほとんど追い求めないが、それでもけっして満足できずにいる。
 自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?

下巻p264-265

感想

思考を完全にかき乱された。

この本を読むことで、普段の生活から完全に切り離され、太古の昔の地球から、今後、人類が人類でなくなるかもしれないという、まるでSFのような未来にまで、時空を超えた旅をさせてもらった。人類の視点のみならず、他の動物や植物の観点から物事を見るという、新鮮な体験もさせてもらった。

本書は、人類の歴史を長いスパンで俯瞰して、「認知革命」「農業革命」「科学革命」という大きな切り口で、ホモ・サピエンスの歴史を順を追って解きほぐしている。歴史学のみならず、生物学、宗教学、経済学など、多くの学問の知識を総合しなければこのような本は書けないだろう。筆者は、まさしく、天才だ。

まず、第1章の「認知革命」が衝撃的だった。大きな脳、直立歩行、道具の使用、といった進化が、早期出産と子育ての協力の必要性をもたらし、それが私たちが社会的な生きものとなる原因となった。そして、虚構について情報伝達や意思疎通ができるようになり、国民や会社といった、現実には存在しないものについて観念し、伝達できるようになり、集団での社会的行動が可能になった。こういう考え方には、「目から鱗」だった。

第2章の「農業革命」に対する筆者の見方も、ショッキングだった。狩猟採集民族が安定した食料供給を求めて農耕に成功し、農業革命を起こした。繁栄と進歩への道を踏み出した反面、ヒエラルキーや、貧富の差の発生、個人レベルでの苦悩などの予期せぬ副作用が発生した。「私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が私たちを家畜化したのだ。」という一文には、背筋が寒くなった。誰も歴史への長期的な影響を予期できないこと。「贅沢の罠」。農業革命のときの教訓が、現在にもそのままあてはまる。

第3章「人類の統一」では、貨幣、帝国、宗教が人類を統一に導く要素となったことについて、豊富なエピソードを用いて詳述されていた。

第4章「科学革命」では、エネルギー革命について、資本主義について、幸福について、テクノロジーが人類の行方を大きく塗り替えるかもしれない未来について、と、ダイナミックに展開していく。

幸福とはいったい何なのか。普段の生活において、幸せについて考えることは少なくないが、この本が問いかける根源的な問いに、心もかき乱された。日々感じている「主観的感情」としての幸せが、本当の幸せではないかもしれない。自分が一体何なのかを理解することが幸せだというなら、いつどのような形で幸せになれるのだろうか。

そして、「あとがき」において、重い問いかけをしつつ本書をまとめている。ホモ・サピエンスは、数々の革命を経て、全地球を支配し、神になりかけている。しかし、決して満足せず、しかも何を望んでいるのかがわからない。「不満で無責任な神々」としての我々は、一体どこに向かって進んでいるのか。

今を生きている私たちには、今の活動が後世に及ぼす影響を見通すことは極めて困難だ。しかし、歴史は必然ではなく、私たちが考えるよりもずっと多くの選択肢がある。だから、私たちは、世の中が進もうとする方向に影響を与えることができる。本書全般を通じて、このようなメッセージを筆者から受け取った。

しかし、このような混沌とした状況において、私たちは、一体、何を問いかけて、何をすべきなのか。とりわけ、個人レベルで、何かできることはあるのか。考えれば考えるほど、分からなくなる。

ちっぽけな人生を生きているひとりの個人には壮大すぎるテーマだが、思考や心をこれだけかき乱されるほど、考えさせられた本に出会ったのは久しぶりだ。これぞまさに、読書の醍醐味。

素晴らしい本でした。ご参考になれば幸いです!

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