見出し画像

「親孝行って、しなければいけないの?」

毎日新聞を購読していると、毎月、配布される「私のまいにち」という小冊子がある。こちら(↓)のホームページによると、主な読者層は、50歳以上の女性、だそうである。

この小冊子の2018年7月号に、上記の「親孝行って、しなければいけないの?」という、高橋リエ氏の記事があった。これが、とても心に残った。

親の介護が始まり、確執のある親とどう向き合えばよいのかという悩みについて、カウンセラーとして語っているエッセイだ。見開き2ページ分の短いもの。

彼女のメッセージは、こういうことだ。

日本人は、親孝行しなければならない、という強迫観念が非常に強く、それにより、我慢したり、苦しい思いをしている人が多い。しかし、親孝行は、義務ではないのだから、自分一人で抱え込まずに、できる範囲でやればよく、人の助けを借りることで、自分も親も幸せになることができる。

特に印象に残った箇所を一部抜粋する。

 私の経験では、子どものとき「親の面倒はおまえがみるんだ」と言われて育ったか、「親に認めてもらえない」と無意識に感じている子が、親から離れず、老後も面倒をみています。
 つまり「親の面倒をみなければ」「親孝行しなければ」というのは、普遍的な真実ではなく、子どものとき、そう刷り込まれたか、本人がそれを選択した、ということなのですね。
 そもそも「親孝行」とは、儒教の概念であり、儒教は、理想的な政治の実現を目的とした、「統治者のための思想」でした。
 明治以降の日本では、旧民法で明文化された「家制度」「家父長制」とマッチし「子が親に逆らってはいけない」「目上の者を立てなければいけない」という考え方として広まり、家庭内では、「妻は夫に従い、子は親に従う」という「支配と服従」の関係を意味していました。
 すでに家制度は廃止され、個人の自由と平等が重んじられていますが、それでも「親孝行」という義務感に囚われている方は、とても多いのですね。
 本来、親への感謝や恩返しは、自然にそうした気持ちがわくもので、義務ではないですし、親のために、子の人生を犠牲にしてはいけないと思うのですね。
 なので、一人で親を背負いこまないこと、できる範囲でやればいい、人の助けを借りていい、ぜひ、そんなふうに考えてほしいなと思います。

私の世代、アラフィフ世代は、これから、親の介護問題に直面する時期を迎える。特に、子どもがいる人の多くは、子育てや子どもの教育にも手のかかる時期でもある。私の周りの同世代には、親の介護も、子の教育も、自分の親がしていたように、完璧にしなければならない、という強迫観念にとらわれていて、それができないことにより、罪悪感にさいなまれている人が多いと感じる。そして、折角築いたキャリアを諦めてしまう人も少なくないように思う。

私は、幸い、親の介護を日常的にしなければいけない立場には(まだ)ないが、いざそうなると、たちまち同じような問題に直面し、同じように考えてしまうと思い、不安に感じていた。

そんななか、このエッセイを読んで、少し気が楽になった。親の面倒を自分たち自身でみなければ、と義務感に駆られるのは、私たちの親の世代が、まだ、「支配と服従」の「家制度」の残っていた社会で育ったからであり、私たちの世代が、子どもの頃から、そういう文化を刷り込まれて育ったからかもしれない、と思った。

もちろん、介護を、家族だけではなく、福祉で担える社会制度が整うのが、あるべき姿だ。この点、まだまだ、日本の福祉は十分ではないと感じている。それでも、高橋リエ氏の言うように、私たち一人一人が、強迫観念や義務感から自分自身を解放することができ、「完璧でなくていい、一人で背負い込まなくてもいい、人の助けを借りていい」と考えられるようになれば、現状においても、精神的にいくらか楽になるのではないかと感じた。

著者である高橋リエ氏のプロフィールについては、「子どもの不登校を通じて自身の問題に取り組み、心理療法を学ぶ。都内メンタル・クリニック勤務を経て、2013年に母娘問題カウンセラーとして独立。」との記載があった。

高橋氏のご著書には、『お母さん、私を自由にして!』『気づけない毒親』などがある。上記のエッセイを読んですぐに、この2冊も読んでみた。いずれも、ポイントがわかりやすくまとめられていて、とても読みやすい。高橋氏が見てきた豊富な事例から導かれた、毒親の特徴や、親子(特に母と娘)がうまくやっていくコツなどが満載だった。親子の在り方に悩んでいる親や子にとって、救いの書になるかもしれないと感じた。

ご参考になれば幸いです!


この記事が参加している募集

サポートをいただきましたら、他のnoterさんへのサポートの原資にしたいと思います。