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【読書録】『そうか、もう君はいないのか』城山三郎

経済小説の先駆者として有名な、城山三郎氏の死後に、その遺稿をまとめたエッセイ、『そうか、もう君はいないのか』(2010年、新潮文庫。)

妻の容子氏との出会いから死別までの、夫婦の軌跡を描いた回想録だ。ご本人の自叙伝的な要素もある。

城山氏と容子氏との出会いは、閉館していた図書館の前で偶然出会ったということだ。運命的な出会い。容子氏のことを「妖精」と表現し、明るくお茶目でとても素敵な女性であることを優しい筆致で表現している。お互いを愛しく思っている様子は、まさに理想の夫婦像だ。

今まで何作か城山氏の小説を読んできたが、いずれも硬派な経済小説家というイメージだった。それが、本書では、奥さんへの愛情が、読んでいて気恥ずかしくなるほどストレートに表現されており、そのギャップに、一気にノックアウトされた。

以下、特に胸を打たれた箇所を書いておきたい。

まずは、2つの詩。いずれも、隣で寝息を立てて眠っている容子氏の様子を描いたものだ。安らかに眠っている妻を愛おしく見守る城山氏の様子が、目に浮かぶようだ。

ひとつめは、「妻」というタイトルの詩から、以下の一節。

「おい」と声をかけようとして やめる
五十億の中で ただ一人「おい」と呼べるおまえ
律儀に寝息を続けてくれなくては困る (p105)

ふたつめ、「愛」というタイトルの詩の一節。

深夜
お前の寝息を聞いていると
宇宙創造以来の歴史が
ふとんを着て
そこに居る気がする (p106)

次に、容子氏が癌であると知った後、初めて容子氏と対面するシーン。

 他人については描写したことがあっても、私自身には、何の心用意もできて居らず、ただ緊張するばかりであった。
 長い間、あれこれと悩んだだけで、何の答えも出せずにいると、私の部屋に通じるエレベーターの音がし、聞きなれた彼女の靴音が。
 緊張し、拳を握りしめるような思いでいる私の耳に、しかし、彼女の唄声が聞こえてきた。
 (中略)
 私なども知っているポピュラーなメロディに自分の歌詞を載せて、容子は唄っていた。
「ガン、ガン、ガンちゃん、ガンたららら……」
 癌が呆れるような明るい唄声であった。
 おかげで、私は何ひとつ問う必要もなく、
「おまえは……」
 にが笑いして、重い空気は吹き飛ばされたが、私は言葉が出なかった。
 かわりに両腕をひろげ、その中へ飛び込んできた容子を抱きしめた。
「大丈夫だ、大丈夫。おれがついてる」
 何が大丈夫か、わからぬままに「大丈夫」を連発し、腕の中の容子の背中を叩いた。(p126-127)

そして、タイトルにもなった「そうか、もう君はいないのか」という言葉が出てくるくだり。

 四歳年上の夫としては、まさか容子が先に逝くなどとは、思いもしなかった。
 もちろん、容子の死を受け入れるしかない、とは思うものの、彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。容子がいなくなってしまった状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、なおも容子に話しかけようとする。(p134-135)

これらのくだりを読んでいると、ついつい、涙腺が緩んでしまった。

そして、本書には、城山氏のエッセイに続き、晩年の城山氏の面倒を見ていらっしゃった、次女・井上紀子氏の手記も掲載されている。

 強固な心身を持つ父への敬愛が、いつしか慈愛へと化してゆく。親を子のようにいとおしいとさえ思う気持ち。命を感じながら生きるようになると、自ずと出てくる感謝の気持ち。そして再び崇高な尊敬の念が生まれてくる。(p149)
 正直、この間、私の全神経は二十四時間父に向けられ、心身共に休まることはなかった。なのに、心の中は今までにない温もりで満たされていた。「しんどい」のに「ありがたい」。大変だと思いつつ、今は親孝行をさせてもらっているのだ、という不思議な感覚。(p150)

なんという素晴らしい家族愛。これを読んで、かなり長い間会っていない両親のことを、久しぶりに思い出した。いつか来る両親との別れを思い、できるうちに親孝行をせねば、という気持ちがふつふつと沸き上がってきた。

巻末に、芸能界随一の読書家として有名であった、児玉清氏の解説が掲載されている。これがまた、完璧で美しく、読み手の心を揺さぶる文章で、さすがの一言だった。

…本書『そうか、もう君はいないのか』というタイトルを目にしたときは、胸に鋭い一撃をくらったような衝撃であった。
 後に残されてしまった夫の心を颯と掬う、なんと簡潔にしてストレートな切ない言葉だろう。最愛の伴侶を亡くした寂寥感、喪失感、孤独感とともに、亡き妻への万感の想いがこの一言に凝縮されている。城山さんの悲痛な叫びが、助けてくれえ、という声まで聞こえてくるようで、ドキッとしたのだ。(p163)

 夫婦愛という言葉が薄れてゆく現代、お金がすべてに先行する今日、熟年離婚が当たり前のこととなりつつある中で、人を愛することの豊さ、素晴らしさ、そして深い喜びをさり気なく真摯に教えてくれる城山文学の最終章をぜひ心で受け止めてもらいたいものだ。(p173)

素晴らしい書評だ。私も、児玉氏のような書評家になりたいなあ。

理屈ではなく、感覚的に、家族の愛の素晴らしさを再認識させられた一冊だった。大切な人との時間は、永遠ではない。有限なのだ。月並みだが、これを読んで、大切な人をもっと大切にしたいと思ったし、大切な人には、普段から感謝の気持ちを伝えなければいけないと感じた。

この感動を多くの方と共有できれば、とても嬉しい。

ご参考になれば幸いです!


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