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【読書録】『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』サンドラ・ヘフェリン

なぜ外国人女性は前髪を作らないのか???

私は、これを、ずっと疑問に思ってきた。

私には、前髪がある。自分のおでこの形が好きではなくて、隠したいからだ。もう半世紀近く、ずっと前髪でおでこを隠したまま、人生を送ってきた。

外資系企業で長く働いているうちに、ふと気づいた。周りの、外国人女性の同僚や友人、特に欧米系の女性たちには、共通して、前髪がないのだ。

だから、この疑問をそのままストレートにタイトルにしたこの本、『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』(2021年2月、中央公論社)の存在を知るや、すぐに、読んでみたいと思った。

著者のサンドラ・ヘフェリンさんは、父親がドイツ人、母親が日本人のハーフで、ドイツで22年間、日本で23年間暮らしてきたという。彼女にとっては、ドイツも日本も両方ともが「母国」だ。2つの国にルーツを持つ強みを生かし、「多文化共生」をテーマに執筆活動を行ってきた方だ。

この本は、「読売新聞」の、働く女性を応援するウェブサイト「大手小町」の人気コラム「サンドラがみる女の生き方」の連載をまとめたものだ。

この本は、ヨーロッパ人の目から見て不思議に見える、日本の女性の特徴や、日本の女性を取り巻く特殊な状況を、とても鋭く観察し、身近な例を挙げて解きほぐしてくれる。日本と海外の比較を論じる本は多いが、これほど2つの国のことを熟知したうえで、肌感覚で比較ができる環境にある人は、そう多くはないのではないかと思う。

最初から最後まで、「うんうん、日本ではそうなのよ」「えっ、ヨーロッパではそうなのか」「確かに、外国人女性はそういう行動してるよなあ」「なるほど、そういう訳だったのか!」など、今まで、外国人女性と日本人女性の違いについて、漠然と抱いていた疑問がスルスルと少しずつ氷解してゆき、何度も膝を打った。

そして、この本の良いところは、決して押し付けがましくない、温かい語り口で書かれているところだ。読んでいてとてもポジティブな気分になれる。まるで、サンドラさんが、「実は、それっておかしくない?」「そういう思い込みから、自分を解放してあげてもいいんじゃない?」と、親しく語りかけてくれるような感じがして、読後には、何だか気持ちが軽くなった。

以下、特に私の印象に残った記載を抜粋してみる。

…日本人がヨーロッパに行くと、「すっぴん」の女性が多いことに驚くようです。私も日本人の女性に、「なぜヨーロッパの女性は化粧しない人が多いの?」と聞かれることがありますが、理由は単純に「気にしていないから」だと思います。では、なぜ気にしないのかというと、「女性はいつでもどこでも、きれいでなくてはいけない」という認識がない、もしくは日本よりも薄いからです。社会が「女性」と「美」をそれほど関連づけて考えていないともいえます。… (p45)
 基本的にヨーロッパには、女性が結婚前からしていた仕事について、「結婚後にやめるべき」と考える男性はあまりいません。ドイツに関しては、性別や年齢を問わず、仕事については現実主義者が多いため、会話の中で女性が「収入が減ると、将来もらえる年金の額が少なくなる」といった類の発言をすることがたびたびあります。自分の人生を長い目で見た時、「女性だからといって仕事をやめるのはリスキー」だと考えるわけです。ただ、リスクを考える以前に、今の時代はそもそも、女性自身に「仕事をやめる」という発想がないことが多いです。(p104)
 日本では何気ない会話の中で「誰々さんは結婚できないと思う」「誰々さんは結婚できると思う」という言い方をすることがよくあります。(中略)でも、よく考えてみると、「結婚できる」という表現には、どこか「男性に選んでもらえる」というニュアンスがある気がします。逆に言うと、「選んでもらえない女性には何か欠けているものがあり、だから独身なんだ」というニュアンスも伝わってくるのです。(p121-122)
…「結婚できる」という言い回しのほかに、日本でよく耳にするのは、「結婚して、周りのプレッシャーから解放された」という言葉です。確かに、今まで「結婚は?」と聞いてきた人たちは、当人が結婚すると静かになります。でもしばらくすると「子供は?」という質問が降りかかってくることもありますし、子供を産めば、おせっかいなことに「1人っ子じゃかわいそう。2人目は欲しくないの?」と聞かれる場合もあります。子育てをするようになってからも、「人」はいろんなことを言ってきます。そう考えると、結婚によって周りのプレッシャーから解放されるというのは、かなり疑わしいです。女性の人生は周囲からいろいろ言われますから、どんな状況にあっても周りには何も言わせないぐらいの気迫がほしいものです。(p125)
 日本では有名人の不倫が世に知られると、叩かれる傾向にあります。ところがドイツでは夫婦関係が破綻し、どちらかに新しいパートナーが見つかると、たとえそれが不倫であっても、周りが応援することがそれほど珍しくありません。
 (中略)
 そこには、どんな状況であれ「人が人を好きになることを応援したい」という気持ちが見て取れます。離婚の手続きに入らず、表面上は夫婦を演じながら、陰で延々と不倫をするのではなく、ドイツでは離婚に踏み切り、不倫相手である「新しいパートナー」と結ばれることも多いので、周りは応援ムードになるのかもしれません。出会うタイミングこそ悪かったけれど、「人生をともにしようと思える最愛の人に出会った」と語る人が、ドイツでは意外にも応援されるのです。
 余談ですが、ドイツを含むヨーロッパでは、政治家や著名人の不倫を含む恋愛事情がタブロイド紙のネタになることは多いのですが、基本的には「恋愛はプライベートなこと」ですので、不倫をしたことが彼らの仕事に悪影響を及ぼすようなことはあまりありません。(p128-129)
「子を持つか否か」の話になると、私がやっかいだなと思っているのが、「母性の神秘」を信じてやまない人たちが突如として現れることです。
 (中略)
 つまり、女は新しい生命を身体の中で育むことができるのだから、それを体験すべき、そして出産は神秘であり、痛みを伴うものなのだから、麻酔は使わず自然分娩をすべき、そして生まれた後には母乳というこれまた神秘的なものが女性の身体の中から出てくるのだから、当然その神秘を次世代につないでいくべき、という発想です。(p140-141)
 何を信仰するかは個人の自由ではあるのですが、この手の「神秘信仰」は、女性個人の体質、女性本人の気持ち、そして、女性の仕事のスケジュールといった現実的な話を無視しているように、私には思えるのです。
 (中略)
 もちろん、国や文化によって多様な考えがあることは承知していますが、「神秘信仰」が、知らぬ間に日本の女性たちの選択を縛って、息苦しくしている。そんなふうに私には見えるのですが、いかがでしょう。(p142)
 ヨーロッパの女性よりも日本の女性のほうが「妊娠」を目的に頑張ったり悩んだりするのは、「家」の存在と無関係ではありません。
 というのも、ヨーロッパ人にとってセックスはパートナーとの良い関係のために不可欠なものですが、日本人の場合は、それ以外に「家」がついてくるケースが少なくないからです。
 日本人は無意識のうちに、自分やパートナーのためだけでなく、「家」のために子供がいないとダメと考える傾向があります。つまりは「両親が孫を欲しがっている」とか「きょうだいに子供がいないから、自分が産まないと家が途絶えてしまう」などと考え、プレッシャーに悩まされるケースです。これは「家というものを大事にしている」と捉えることもできる反面、「家に縛られている」ともいえます。でも自分の人生なので、「家を背負った」セックスはやめてもいいのではないかと、私は思います。(p154)
 最近は日本でも多様な考え方が認められるようになってきたものの、「結婚=子供を持つこと」といった昔ながらの暗黙の了解のような感覚もまだまだ世間には残っています。
 (中略)
 日本では、結婚というものが「子供を持つ契約」だと捉えられている面があります。もちろん、子を持てなかったら離婚という契約を本当に交わしているわけではありませんが、なんとなく「結婚=子供を持って当然」という雰囲気があることは否定できないのではないでしょうか。(p158)
日本ではしばしば、「夫はいらないけど子供は欲しい」といった女性や、「娘には結婚しないとしてもぜひ子供は持ってほしい」といった冗談交じりの親世代の意見を時折聞きますが、ヨーロッパでは、子供のことよりも、まずパートナーとの関係を優先的に考える傾向があるため、「パートナーのことはおいて、子供を持つことしか眼中にない」と思われるような意見は、厳しい目で見られがちです。ただ、これはあくまでも傾向であって、結局はもちろん「どの国にもいろんな人がいる」というのが正しいのですが。(p161)
 最近は変わりつつあるものの、日本では「結婚すると、子供を持つ」ことが当たり前だと考えられているところがあり、子供を授かることへのプレッシャーが強いように感じます。たとえば、結婚式でも親族が「二人の赤ちゃんを楽しみにしています!」と、当たり前のようにスピーチしたりします。(中略)
 冒頭の結婚式のように、口に出して「子供を持つように」と言われる場合もあれば、遠回しに子供を持つことを期待され、プレッシャーを感じている女性も多いようです。そして、いざ子供が生まれると、欧米のカップルよりも、日本のカップルのほうが素早くパッと「男と女の感覚」から「子供を中心としたパパとママの感覚」に切り替える傾向があるように感じます。(p183-184)
 ドイツを含むヨーロッパでは、「子供の親は性別に関係なく働いているものだ」という社会のコンセンサスがあり、PTAの会合が「平日の昼間」に行われることはまず、ありません。親と教師の面談も、PTAの会合も、基本的に「平日の夜」に行われます。その間は、会合に参加しないほうの親が家で子供の面倒を見たり、ベビーシッターに子供を見てもらったりすることもあります。
 (中略)
 言い方は悪いですが、PTAのお母さんたちが時に「学校や地域のお手伝いさん」と見なされていることが気になります。女性本人の意思は尊重されず、「女ならそれぐらいやるのは当たり前」と言わんばかりに、女性に負担を強いていることが多いのです。(p197-199)
 日本では女性の言葉遣いや声のトーン、立ち居振る舞いなど、あらゆることにおいて「品があること」が求められます。もちろん品のある女性は見ていて気持ちがいいですし、実際に私も上品な感じの女優さんを「素敵」だとは思います。が、何かを言おうとしたり、やろうとしたり、つまりは何か「一歩」を踏み出そうとした時に、「これはやはり女性としては、行き過ぎだからやめておこうかな」とか「女性として品格を疑われるからやめておこうかな」と無意識に行動にブレーキをかけてしまうと、チャンスを逃してしまうこともあると思うのです。
 仕事に関しては、男も女もある程度貪欲であることが求められますから、その過程で女性にばかり「品」なるものが求められるのはなんだかなあ、と思うのでした。「品のある男性」という言い方はあまりしませんし、そもそも世界のリーダーと言われる男性に「品」があるのかというと……。(p208-209)

これらのくだりから、浮かび上がってくるものがある。

日本には、女性の幸せを「常に美しく上品であり、男性に選んでもらい、結婚して家庭に入り、子供を産んで、家事と子育てをして、男性をサポートし、家を守ること」と画一的に定義し、それを無意識に押し付ける同調圧力がある、ということだ。

そして、そのことのによって、それ以外の幸せを選択したい女性にとって、非常に生きづらい社会になっている、ということだ。

日本の文化が悪で、ヨーロッパが善、というわけでは、全くない。著者もそのようには全く言っていない。結局、どの国にも、色々な考え方の人がいるのだ。しかし、日本社会全体としては、このような傾向はとても強いと思う。そして、私がそうであるように、そのために、生きづらさを感じてきた女性は少なくないと思うのだ。

日本の女性がひとりでも多く、自分の生き方を自由に選択し、その選択について周囲からも応援され、のびのびと幸せを感じながら人生を送れるとよいなと、切に願う。そのために、この本を少しでも多くの方が読んでくれるとよいなと思う。

なお、タイトルにある、「なぜ外国人女性は前髪を作らないのか」という問いの種明かしについては、本を読んでのお楽しみ、として、ここで書くことは控える。気になる方は、ぜひ、本書を手に取って読んでみてほしい。

ご参考になれば幸いです!

※女性の生き方について、過去にご紹介した以下の本の読書録もぜひどうぞ! いずれも、日本の女性をとりまく状況を鋭く観察し、多様な生き方を肯定してエールを送ってくれる、素晴らしい本です。


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