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【読書録】『最後に「ありがとう」と言えたなら』大森あきこ

今日ご紹介するのは、納棺師である大森あきこ氏のエッセイ集、『最後に「ありがとう」と言えたなら』

「納棺師」とは、普段の生活では、あまり接することのない職種の方だ。この本を読んでみようと思ったのは、私が、最近、近しい親族を亡くし、納棺師の方々が、故人の湯灌や納棺をしてくださるのに付き添う経験をしたことがきっかけだった。その納棺師の方々には、とても良くしていただいた。

納棺師さんの仕事は、数々の死者の身体を清め、お化粧を施し、旅立ちのための身支度を整え、棺に納めるというものだ。遺族の希望に細やかに答えながら、一連の作業を行ってゆく。死者と悲しみにうちひしがれる遺族たちと日々接するのは、精神的にとてもタフなお仕事だと思う。

本書では、著者が、そんな納棺師としてのお仕事を通じて経験した、さまざまなエピソードをまとめている。やさしく、淡々とした、わかりやすい文体。納棺師として得たたくさんの気づきや学びを、惜しみなく共有してくれている。

納棺の場面においては、それぞれの家族特有の関係性や、家族の感情が、あらわになる。数々のエピソードから、故人に向き合う遺族の思いが、痛いほど伝わってくる。家族の一員を失ったばかりのタイミングで本書を読んだ私には、思わず涙してしまうシーンが、とても多かった。

以下、特に私の胸を打った2つのエピソードをご紹介したい。

まずは、涙も見せずに気丈にふるまっていた故人の奥さんが、納棺師さんに、亡くなったご主人に頭を撫でてもらいたいという希望を打ち明け、納棺師さんがそれを叶えてあげるシーン。

「頭を撫でて欲しいの……」
「いい子、いい子して欲しい……」
 奥様の言葉が、ご主人に頭を撫でて欲しいということだと理解をするのに、少し時間がかかりました。
(中略)
 胸の上で組んでいた左腕の関節をマッサージし、ご主人の手をゆっくり伸ばすと、奥様が自分の頭をご主人の手のひらの下に潜り込ませます。下を向いたまま奥様は、ようやく小さな声を出して泣くことができました。

p21『 「いい子、いい子」して欲しかった』

次に、お庭の見事な桜で花見をするのが好きだったおじいちゃんの納棺にあたって、棺を桜の下に置き、ご遺族に、故人との最後の花見を実現させてあげたシーン。

 ご遺族の話をうかがって、納棺式が少し変わりました。(中略)花見の話を聞いていた葬儀会社の担当者さんが、(中略)
「ここに置いちゃおうか」
 と言ってニヤッとすると、桜の花の下に棺台を置いたのです。
(中略)
 その提案を、担当者さんがご遺族に話すと、お孫さんたちが、
「おじいちゃんと花見できるの!?」
 と驚いたような声を上げていましたが、みなさん玄関から靴を持ち、次々に庭へ移動します。(中略)
 桜の木の下には、亡くなったお父さんが寝ている真っ白い棺が置いてあり、その周りでご遺族が思い思いに話をしながら笑っています。
 お父さんとの最後のお花見ー。

p27-28『桜の下の棺』

いずれのエピソードも、納棺師さんたちの優しいお心遣いにあふれていた。これらのご遺族にとっては、故人とのお別れが、とりわけ、忘れられない特別なものになったはずだ。

また、著者は、死や別れ、葬儀や納棺式についてのご自身の考えを、ところどころで述べている。死と日常的に向き合っている納棺師さんの言葉は、とても深い。

(・・・)葬儀は簡略化の傾向にありますが、残された人がこの先を生きていくために必要な儀式だと思うのです。
 葬儀をしなくていいという人に理由を尋ねると、「残された人に迷惑をかけたくない」「葬儀にお金をかけたくない」という声をよく聞きます。でも、このふたつの思いと「お別れの時間を持つ」ことは別物ではないか。大切な人がいなくなった時、心の整理をするお別れの時間は簡略化できないものだと思うのです。

p50-51

 人は死んだらどこに行くのかーそれを考えるとき、私の中でこんな映像が浮かびます。ひとつの命が、花火のようにパッと散ってたくさんの欠片になり、自分を思ってくれている人の中に飛び込んでいく。その欠片を受け入れてくれた人の心は初めのうちはズキズキ痛むけれど、欠片は時間とともに溶けてその人の一部になっていく。
 多くの死とお別れを見ながら、そんなことを考えています。

p53

 葬儀というお別れの時間の中でも納棺式は、通夜や告別式とは違い、ごく身近な人たちだけで行う、大切な人とのお別れの場です。納棺師はそのお別れを安心して行っていただくために、死後の変化を最小限に抑え、生前のお顔に近づけます。

p63-64

 故人に何かしてあげることで、ご遺族は、理解することが難しい大切な人とのお別れを少しずつ噛み砕き、自分の中に落とし込んでいるのかもしれません。

p70 ご遺族が故人の髪を洗ったエピソードより

 今思うと納棺師として働き始めた頃は、ご遺族を励ます言葉、いい言葉をかけようと必死でした。しかし本当の納棺師の役割は、ご遺族を励ますこと、元気にすることではないのです。
 ご遺族を元気にすることができるのは、ご遺族自身だけです。だから、ご遺族がご自身で故人とのつながりを感じるためのお手伝いをするのが、納棺師の仕事です。

p82

 棺の中に「あの世にもっていくもの」を入れるのは、私ではないのです。主人や息子たちは私の好きなもの、趣味、大切にしているものを棺に入れてくれるのかな?
 いやいや、棺は亡くなった人の宝箱ではなく、一緒に過ごした時間と思い出が詰まっている残された人の宝箱です。

p117

 人生の締めくくりでもある棺の中の最後のお顔は、どんなお顔であってもきっとご遺族の心の中に刻まれます。お顔はその方がどんな風に生きてきたかを示すもの。優しいお顔、厳格そうなお顔、にこやかなお顔、シワ、シミ、時には昔の傷にも個々の物語があります。
 だから、そんなお顔を私たち納棺師が化粧で消してしまわないように。
 最後に故人に近づき、会話を交わしてもらえるように。
 後に思い出す最後のお顔がその人らしく穏やかであるように・・・・・・。
 納棺師も故人と語らいながら、最後のお別れのお手伝いをするのです。

p123-124

 かつては恰幅のよかったお父さんに、現役当時着ていたダブルのスーツを着せる場合など、こんなに痩せてしまったんだねと、ショックを受けられる方もいらっしゃいます。できるだけお腹の凹みを隠すために、綿をお腹の上に置きワイシャツ、ズボンをはかせますが、なお、スーツがとても大きく感じます。それでも、スーツにネクタイをしめている姿が、みなさんの中にあるお父さんなのです。
 その人らしい服でお別れをする。そして、生前の姿を思い出しながらみなさんで大切な方のお話をしてほしい。亡くなった方もきっとそう思っているに違いないと思うのです。

p128

 普段、私たちはたくさんの言葉を使い、たくさんの人とのコミュニケーションをとります。でも最後の会話は、必死に伝えたい言葉と必死に受け取りたい言葉が交差する瞬間なのかもしれない。そして、亡くなった方を前にして、自分の思いを伝えることも大切だと日々感じます。亡くなった方の、お体、お顔を見て伝えることができる時間は限られているからです。

p132

*****

納棺式や葬儀において、故人の遺体を前にして、言葉をかけ、お別れをする時間は限られている。残された遺族たちが、悲しみを受け止め、気持ちを整理して前に進むために必要な、貴重な時間だ。そのように大切な時間をかけがえのないものにするために、納棺師の皆さんが、日々、心をくだいてくださっている。なんという尊いことだろう。

日頃あまり考えることない、死について考える機会をくれる、他にあまり類を見ない本だと思う。著者の大森氏や、納棺師のみなさま、その他、葬儀に関わるお仕事をされている方々に対して、心からの敬意を表したい。本当に、ありがとうございます。

ご参考になれば幸いです!

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