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育児のときめき

「育児楽しんでるね」とよく言われる。

育児が大変かどうか、これを語るのは難しい。
育児のフェーズにもよるし、子の人数にもよるし
ママがどんな仕事をしていて、家事は好きか、教育をどう考えるかとか
あまりにも多様すぎて、「難しさ」の定義づけができないし
他人が大変と思うことをそうは思わない人だっている。

けれども、育児の楽しさは共通。
成長過程のあちこちで我が子にときめき
いくら日々の生活で疲弊していようが
笑顔を隠しきれなくなる。

私の場合はというと
息子のズボンのポケットから信じられないくらいの量の砂がでてきても
息子がパンツも履かずに踊り狂っていても
その場では息子を叱るかもしれないが
一年後には少し成長してこんなことやらなくなるかと思うと
その瞬間がとてつもなく大切に感じられてときめいてしまう。

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私が育児を楽しんでいる人だと思われるのは
こんなときめきを恥ずかしげもなく文字で表現しているからだろう。

「育児楽しんでいるよね」は
どことなく共感があり、一方でどことなく羨望もある。
共感は自分も同じように育児を楽しんでいるということの表れ。
では、羨望はないものへの憧れかというと、私はそうではないと思う。
ときめきの瞬間はあるけれども、ほかに考えるべき何かが多すぎると
その記憶が上書きされてしまうということもあるのではないか。
羨望にも共感への手がかりがあるはず。

私の文字表現は人様に公開するためというよりは
自分のためにやっている。
私はどちらかというと
「ほかに考えるべき何か」に追い立てられているほうのママである。
ときめきの瞬間を何かのために忘れたくないから表現している。

文字で残すことはつまり
記憶を新規フォルダに別名保存しているようなもの。
子の成長は早く、ときめきの瞬間は繰り返さない。
上書きされる前に別名保存しておけば
いつでも記憶を再生できる。

結果、追い立てられているのは相変わらずだけど
心から楽しめてもいる。

とはいえ、これは私のやり方。
疲れているママの全てに有効だとも思っていない。

確かにママは大変。
仕事と両立するのも大変。
でも、制度やしくみや環境が変わっても、
自分の心が変わらなければ、ずっと「大変」と言い続けてしまうだろう。
「セルフコントロール」ほどの大層なことでなくともできることはある。
やり方が分からなければ、思いつくまま何かをやってみてもいいじゃない。
こんな風に書くだけでも解放できる。
解放できたら次の手を考える余裕もできる。

自分次第。


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