うたいおどる言葉、黄金のベンガルで#4 (映像作家・佐々木美佳)
映画『タゴール・ソングス』監督であり、「ベンガル文化」「タゴール・ソング」などをテーマに撮影、執筆、翻訳などを幅広く手がける佐々木美佳さんによる新連載「うたいおどる言葉、黄金のベンガルで」。ベンガル語や文化をとりまく、愉快で美しくて奥深いことがらを綴るエッセイです。第4回は、ダッカ国際映画祭に招待された佐々木さんの珍(?)道中をご紹介。
#4 合言葉は「心配ない chinta nai」。ダッカ国際映画祭体験記
帰国後3日間の施設隔離ののち、入国後10日間の隔離が義務付けられる──
「え、滞在日数よりも隔離日数の方が長い……」
昨年の12月、私はバングラデシュ行きのチケット購入ボタンをポチるかどうか悩んでいた。というのも、2022年1月15日から23日の期間、第20回ダッカ国際映画祭(Dhaka International Film Festival)に自作の『タゴール・ソングス』の出品に際して招待されていたからだ。国際映画祭に出品されるのは映画の作り手としての願いの一つであったから、初めての国際映画祭出席に胸が躍る。とはいえ冷静に考えて、スケジュールを確保するのが難しい隔離日数である。佐々木はあれやこれ、手元に抱えている仕事を思い出して頭をなやませていた。しかもちょうどオミクロン株が流行りはじめていた最中のことだった。
そんなこんなで、渡航するかどうか毎日決めきれずにいた。映画祭のディレクターであるアフマド氏に「オミクロンが心配だ」とメッセンジャーのビデオコールでそんな胸の内を伝えると、「ミカー。心配しないで(chinta nai)。身体に良くない。来たら全部大丈夫! あなたは来るだけ。ついたら全部準備してあるから、とにかく来て」と叱咤激励をうけた。
心配しないで。Don’t worry. chinta nai. ヒンディー語だとkoi baat nahi. 南アジアに縁がある方ならわかってくれるだろう。この言葉の耐えられない軽さを! しかしこのときばかりは信じるしかない。画面越しの陽気な映画祭ディレクターの言葉に賭けよう。意を決して渡航にまつわる準備をはじめることにした。
「はじめてのおつかい」ならぬ、「はじめてのコロナ禍海外渡航と国際映画祭出席」
「はじめてのおつかい」というテレビ番組が胸を打つのは、小さな子供が「はじめて」、親の頼みをうけてひとりぼっちでお使いするからである。おつかいという行為そのものは成長の過程とともに容易な行為になるのだが、なんせ子供が世界に初めて一人で繰り出す様子を番組にしているのである。気がつくと視聴者に親心が憑依し、ハラハラ・ドキドキしながらその番組を見守ってしまう。
「はじめて」の「コロナ禍海外渡航」。それは普段の3倍以上に書類集めと情報収集に労力をかけることであった。日々刻一刻と変わるコロナ事情。それらに追いつくことは到底不可能である。PCRの陰性証明? 72時間前? 英文証明? トランジットの所要時間? インドトランジットが無理そう? はぁぁぁぁ?! 情報をあつめればあつめるほど、小さな頭が混乱してくる。そんなわたしを見て心配になったアンジャリさん (インド旅行企画のプロ)が、「旅行代理店でチケットを押さえて」と極めて実利的なアドバイスをくれたのであった。餅は餅屋、はじめてのコロナ禍渡航は一人で準備したら事故が起きる。ご紹介いただいた「GNHトラベル&サービス」という旅行会社経由でシンガポール航空のチケットを押さえてもらうことにした。これでもう日々アップデートされるコロナ情報と睨めっこする必要はない。落ち着いた気持ちで旅行準備に邁進することができるようになった。
ダッカの土を踏むまでが勝負だ──はじめてのコロナ禍海外渡航
「はじめての」コロナ禍海外渡航。トランジットの短い航空券、PCRの陰性証明書、映画祭の招待状、パスポートのコピー、ワクチン接種の英文証明書etc……。必要なカードをかき集めながら、旅行3日前から陰性証明書取得のためのスケジュールを組む。朝が弱い筆者は寝過ごす恐怖に耐えられず前泊する。1月15日早朝、さまざまな書類を握り締めながら成田国際空港に足を踏み入れた。
まだまだコロナの影響が続いているせいで、空港に到着してもがらんどうだ。今から旅行をしようとしている人の間にも、心なしか緊張感が漂っている。世間一般の情報では英文の陰性証明の紙切れ1枚が、出国手続きの明暗を分けると言われている。はじめてのコロナ禍渡航、もはや「はじめての」海外旅行するような気持ちである。「本当にこの陰性証明の紙切れ1枚で、本当にチェックイン通るんやろか……」何もかもが疑わしく、書類をチェックするグランドスタッフを固唾を飲んで見守る。1分程度ざっと書類を見渡したスタッフは、
「はい。問題ないですよ〜」
と何事もなかったかのように旅券を発行してくれた。チェックイン手続きが本当に済んだことが告げられたのである。勝利のガッツポーズ、その1である。
お気づきかもしれないが、ダッカに到着していないのにすでに約2000文字ほど費やしてしまった。なんせまだ旅は始まっていない。それでも久々に日本を離れる国際線に乗り込むことのできた筆者は感極まり、窓際にべったりとへばりつきスマホで離陸の様子を録画して時を過ごした。シンガポールのトランジットも難なくクリアし、ドキドキのダッカ行きの飛行機に乗り換える。周りの乗客が一気にバングラデシュ人となり、人間の醸し出す匂いがほんのり変わるのである。少し強めのフレグランスがそれぞれ混じりあった、目の覚める匂い。久々の香りにダッカが近づいてきていることを感じずにはいられなかった!
旅の疲れに身を任せ、一眠りすればそこはもうシャージャラル国際空港。いよいよダッカの土に足を踏み入れるのだ! 精神のたかぶりを感じた筆者は意気揚々と飛行機を降りる。が、普段のチェックアウト手続きに加え、陰性証明チェックの加わったダッカの空港は普段以上の混雑具合であった。陰性証明手続きの列に並んでいたら日が暮れてしまう……途方に暮れながら周りを見渡すと、なんと「DHAKA INTERNATIONAL FILM FESTIVAL」というプラカードをもった一人の青年がそこに佇んでいるではないか。感極まった筆者は勢いよく駆け寄り、青年に思わずハグをする。映画祭ディレクターの「心配ない chinta nai」とはこういうことだったのだった!
「WELCOME TO BANGLADESH ! 『ミカ、JAPAN』だよね? 君が今日の最後のゲストだ。さあ、行くぞ」
映画祭スタッフのトゥルジョ氏は、ゲスト送迎になれた様子。空港スタッフに事情を説明すると、列をするするとかき分けながらあっという間に出国手続きを終えてしまった。VIPと書かれた出入り口から颯爽と空港を後にし、映画祭所有のハイエースバンに乗り込む。ものの5分でチェックアウト、初めて受けるVIP待遇に、若干腰を抜かした。
深夜のダッカの道は、通勤ラッシュではないからスイスイと進む。私は今、ダッカの道を走っている! 高揚感と安心と疲れが一気に押し寄せて、なんとも言えない気持ちになった。横目で案内役のトゥルジョを見ると、彼も1日の務めを終えたようでバンにどっかりと腰を下ろしている。
「お疲れのところ一つお願いがある……タバコを吸ってもいいかな」
「あ、そんなこと? No problem ! どうぞお好きに」
「ミカもよかったら吸う?」
もらいタバコを勧められることが当社比で多いバングラデシュ。わたしもこの時ばかりは開放感に満ち溢れていたから、どうしても吸いたくなった。記憶する喫煙経験のなかで、この時ほど美味しいものはなかった。勝利のタバコを噛み締めながら、ダッカの夜風を全身で浴びて今この瞬間を味わう。
ひとりぼっちは辛い──はじめての国際映画祭出席
筆者にあてがわれたコンチネンタル式のホテルは、どうみても1人のみの宿泊にしてはTOO MUCHのサイズ感だった。ふかふかのベッドに身を投げて、さあ10時間眠ろう……そうは問屋がおろさない。招待されたということは、任務も伴うのである。まずは映画祭の雰囲気に慣れること。なんせこちらは「はじめての」国際映画祭出席だ。ホテルにはクロアチア、ブルガリア、エジプト、ロシア、ポーランド、インド、ネパールと、さまざまな国からのゲストが滞在していた。公用語は英語だから、最初は耳が慣れなくて正直全部は聞き取れず焦る。会食会場に赴いても東アジア勢は佐々木1人である。似たような文化圏の人がいないダッカ国際映画祭、アウェイ戦だ!(戦いではないのだが)
オープニングセレモニー、カンファレンス出席、会食が続く映画祭で、どうしても少しずつ疲れが溜まる。キングサイズのベッドがドカンと佇む自室は広々としていていいが、なんとなくもの寂しい。連日アクティビティをこなしてホテルに戻るので、部屋を整える余裕もない。どうしたものかと思ってホテルをぶらついていると、同じ階の奥の部屋2つに、ポーランドからきた映画監督のイヴォナさんと衣装デザイナーのイザベラさんが泊まっていることに気がついた。私と年齢は離れているけれどなんとなく気があって日中行動を共にしていたマイペースな2人、なんと同じ階に寝泊まりしていたとは。
「お邪魔してもいいですか?」
勇気を出して声をかけたところ、2人は「もちろん。今からイザベラの部屋でお茶しようと思ってたところ。ミカもポーランドのお茶、どう?」と快く私を迎え入れてくれたのであった。
その日から私は彼女たちの部屋に毎晩通うこととなり、お互いのゆっくりとした英語でいろいろなことを話した。ポーランドのハーブティーとブラックユーモアの効いたおしゃべりは、滞在中の何よりのカンフル剤として私を癒してくれた。
「ポーランドでタゴールは翻訳されて、愛されている。だからタゴールのことを知りたい。あなたの映画を見てみたい」
1番の目的は『タゴール・ソングス』の上映を見届けること
1月18日は私の監督作である『タゴール・ソングス』の上映日だった。映画はもう完成しているのに、お客さんに見せるときは、ふしぎなことにその都度緊張する。まして、この日ばかりはいつもの上映とは一味ちがうもの。なぜならタゴールの話したベンガル語の国で上映されるのだから……!
果たしてお客さんはきてくれるのだろうか、どんな反応をするのだろうか。そんな不安を埋めるために、映画祭当日がくるまでに、すれ違う人々に対してちいさなリーフレットを配り歩いた。
「1月18日、タゴール・ソングを題材にしたドキュメンタリーを上映します」
興味をしめす人、しめさない人、いろいろだったが、どんどん配らなければいけないと思った。そうじゃないと何をしにここまでやってきたのかわからない。突然入るテレビ取材や新聞の取材も全部受け、夜中には眠い目をこすりながらパソコンを開いて現地の知人たちに上映情報を送り続けた。
そんな努力が功を奏したのか、会場には超満席というわけではないが、ほどよい人数の観客が詰めかけてくれた。ホッと胸を撫で下ろす。インド・バングラデシュの国歌が流れるシーンでは、各国の観客が直立して国歌を口ずさむ。田園風景のシーンでは「Ki sundor! (とっても綺麗)」とバングラデシュ人観客の感嘆の声が聞こえてくる。美しい歌声が響くシーンでは「Oshadharon(素晴らしい)」と心の声が言葉になってホールにこだまする。会場は9割がたバングラデシュ人の観客で、タゴール・ソングをくちずさみながら映画を観てくれた。上映後は「この映画を作ってくれてありがとう」という観客からのたくさんのメッセージが届き、胸がいっぱいになった。
帰国するまでが遠足
無事に監督作品の上映を見届けることができ、張り詰めていた気持ちが解放された。あとは映画祭で上映されている作品を見て回り、毎日の交流を楽しむだけだ。めいいっぱいエンジョイするぞ! と気軽な気持ちになれない不穏な噂が飛び込んできた。
「映画祭ゲストが、コロナ陽性になったみたい」
映画祭という超過密空間が恐れていた事態が発生したのだ。急きょ、全員に対してPCR検査がほどこされることになった。「selected film(選出作品)だけにはならないようにしないとね」と仲間内で冗談を飛ばして笑い合っていたのも束の間、同じホテルに泊まるゲストの陽性が判明し、自作の上映後も気を抜けない状況が続くことになった。とはいえここはバングラデシュ。歌い・踊り・話す人々。チャイ片手に何時間も語り尽くすエネルギーに満ち、デング熱やマラリア、今までさまざまな感染症と闘ってきた国だ。人々は目の前の友人と話すのに100%のエネルギーを使い、その場に浮かんでは消える会話を味わい尽くす。郷に入れば郷に従え──。筆者はできるかぎりマスクと手洗いを徹底しながら、毎日を人々に混じってすごすことにした。気がつけば、よく笑い、よく歌い、そして踊っていた。
バングラデシュ人とはベンガル語でおしゃべりし、各国のゲストとは英語でおしゃべりするマルチリンガルな映画祭も残すところ最終夜となった。ポーランドチームの2人にお茶をせびりにいくのも今日で最後かと思うと名残惜しい。出会った記念にと、イヴォナ監督は被り続けていたポーランド製の帽子をプレゼントしてくれた。イザベラさんは私に詩をくれた。
子どもを生み育てたあとに映画をつくり、映画祭でダッカに旅をしにきた2人のポーランド人は、勇敢な、永遠の若者のようだ。ポーランドからきた2人の若者に、私は帽子と詩をもらい、ダッカを後にした。コロナも特別賞ももらうことはなかったけれど、私はもう十分、映画祭からたくさんのものを受け取ったと思った。
終わりに
映画祭期間中、手厚くサポートしてくださったダッカ国際映画祭ディレクターのアフマド氏をはじめとするスタッフのみなさま、映画祭期間前後からサポートしてくれた伊藤大使をはじめとした日本大使館のみなさま、渡航を許可しスケジュールを調整してくれたお仕事関係のみなさま、渡航に関して具体的なサポートをしてくれた旅行会社のGNHさまとアンジャリさま、この場を借りて御礼申し上げます。
佐々木美佳(ささき・みか)
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