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【特別試し読み】ホンサムピギョル著、すんみ・小山内園子訳『未婚じゃなくて、非婚です』

ロイター、ABC、ブルームバーグなどの海外メディアで、韓国の「非婚」ムーブメントを代表する人物として紹介されたYouTuberコンビ、ホンサムピギョル(혼삶비결)。2024年1月、二人が初めて手がけたエッセイを左右社より刊行いたします。刊行を記念して、一部内容をご紹介いたします。

ホンサムピギョルとは……「非婚」をテーマに発信する、2019年結成の女性YouTuberコンビ、エイ(左)とエス(右)。ふだんは平凡な会社員。チャンネル名のホンサムピギョル(혼삶비결)には、「一人暮らしの秘訣」と「ひとりで歩む人生、どきやがれ、結婚主義者たち!」という二つの意味がかけられている。


▼各章の解説

[結婚][体][声][愛][財テク][キャリア]という6つのキーワードを中心に、古い価値観を精算し、新しい「デフォルト」を適用していく。一筋縄ではいかないながらもパワーに溢れた、「非婚」実践の記録。

[デフォルト:結婚]

結婚は愛の終着駅でも、人生を完成させてくれるものでもない。

保守的な地域であると知られる韓国・大邱(テグ)生まれで、小学生の頃から「結婚はしない」と決めていたエス。対照的に、幼少期の女三人暮らしの苦労から「はやく結婚したくて仕方がなかった」エイ。二人が考える「結婚」「非婚」とは?

[デフォルト:体]

これまで他の人が握っていた私の体の主導権をようやく取り戻すことができた。

大学受験が終わってすぐに、母親に連れられて二重の手術を、その数年後に歯列矯正をしに行ったこと。毎日新しい美の基準が生まれ、外見を褒められれば褒められるほどに自尊心を失っていったこと。ルッキズムに苦しめられた二人の、「脱コルセット」までの道のり。

[デフォルト:声]

私の声は大きすぎても、小さすぎてもいけなくて、低すぎても、高すぎてもいけなかった。

ドラマ『応答せよ1997』のブームによって、「大邱なまりでお兄ちゃん(オッパヤ)と言ってみて」と要求され続けた大学時代。「ショートカットが好き」という恋人に愛されるために、魂の宿ったロングヘアをばっさり切ったこと。「声を上げる」ことを知らなかった時代。誰もが見に覚えのある、過去の「モヤモヤ」の経験の数々。

[デフォルト:愛]

自分の真の姿を捨てなければ維持されない関係から抜け出して

毎月10万円以上使って、アイドルの「オタ活」をしていたこと。今ではそこから抜け出して「私のオタク」となることで自分自身と向き合っていること。非婚を誓った友人同士でもあり、YouTuberとしては同僚でもある、正反対の二人の関係。犬のピーナッツと猫のショウガ、女たちの愛について。

[デフォルト:財テク]

口に入れる良質の食べ物、一日の終わりに完全に休息できる自分だけの空間があれば私たちの独り立ちは、もっとラクになる。

13平米のワンルームを自分の「家」だとは思えずに、暮らしを整える感覚がどんどん鈍っていったこと。単身世帯にとっては不利な住宅制度。それでもいつか、身の丈に合ったマイホームを夢見て……!

[デフォルト:キャリア]

自分を、まず助けよう。これからをさらによく生きるために、もっとちゃんと、自分を気づかってあげることにしよう。

飽き性でも、偉大な夢はなくても、「バリキャリ」でなくても、正当な賃金を受け取って、それなりにステップアップするために。


▼引用

改めて、「非婚」という決心をより正確な言葉で定義することにした。私
にとって非婚は、結婚をしないことだけを意味しているわけではない。「男性中心の社会に反旗を翻し、既存の結婚制度へ反対する」という意味での非婚宣言だった。
--- p.8

私の将来には、「結婚した女」と「結婚しないまま年老いた寂しい女」の代わりに、第三の道が生まれた。手を差し伸べれば握り返してくれる、ひとり身の別の女性たちと一緒に、自由でありながら寂しくない人生を送っていくつもりだ。「結婚しないと言っていた人が、本当に結婚しないで誰よりも幸せに暮らしている」という言葉を、もっとたくさんの人に聞かせてやりたい。
--- p.9

今ではもう、自分の40代や50代、その後が何一つ怖くない。ホンサムピギョルを運営しながら、あちこちに隠れていた40代の非婚女性とたくさん出会うことができたからだ。驚くことに(当然なことではあるけれど)、女性が結婚しないで40代になっても、何事も起きない。もちろん50代、60代になっても、だ。(中略)私が選んだのは、その道に進んだら大事にでもなるかのように言われてきた道だった。しかし、いざ進んでみると、恐ろしいことは何も起きなかった。
--- p.55

「非婚」は、10年前は聞き慣れない言葉だったが、韓国では、いまや多くの人たちに親しまれる言葉になった。だが、まだ正式に採用している国語辞典は少ない。この原稿を書いている今も、非婚と打つたびにスペルチェックで未婚に変更するように勧められている。(中略)「非婚主義者」という言葉はよく聞くが、「結婚主義者」という言葉は耳慣れないはずだ。言葉一つを変えるだけで、思考の転換が起きる。
--- p.56

 私たちが夢見る未来。そこが、女性として生まれたという理由で、より多くのことを証明しなくてすむ場所であることを願っている。(中略)そこでは、これ以上女性が女性だという理由だけで、あらゆる暴力や不合理や搾取に苦しめられたり、不利な判決を受けたりしないことを願う。
 夜道に怯えなくてすみ、玄関に二重三重に鍵をかけたり、ドアロックの指紋を定期的にアルコール綿で拭いたりしながら、それをひとり暮らしの「コツ」だと共有しなくていい、国家という屋根の下、同等な市民として保護されていると感じられる、安全で当たり前の社会であってほしい。
 そんな未来を目指しながら、私はできるだけ自分の場所で、長く、持ちこたえるつもりだ。
--- p.250


▼一部試し読み―「私は私のオタクになる」より

 私とエスは、YouTubeにオタ活をやめようという内容の映像を、長々と3編にわたって公開した。二人とも芸能人を対象にしたとてつもないオタ活の経験者として、どんなことまでやってみたか、どう有害なのか、なぜやめなければならないのかについて語り合いたく、恥ずかしい経験までをつぶさに語り尽くした。無駄にしてしまった自分の資源をリアルに計算しつつも、面白い内容に仕上げて、私のような失敗をする女性がこれ以上生まれないことを願った。オタ活について改めて考えてみるきっかけにしてほしいと。
 実は、当時のことは「そうそう、私ってオタ活にかなり熱心だったよね」と笑い飛ばせるちょっとしたエピソード、くらいに考えていた。しかし、撮影のためにオタ活に使ったお金をしっかり計算してみた結果、一年間に費やした金額は、ほとんど当時のチョンセの金額に匹敵した。はしゃぎながら楽しく撮影したが、その日の夜は少し胸が痛かった。もちろん、そのお金をオタ活で使っていなかったとしても、他のところに使い果たしていただろうし、もしすべて貯金していたとしてもチョンセで部屋を借りることはできなかっただろう。ただ確かなのは、意味もなく宙にばらまいてしまった私のお金と時間、気持ちは、取り返すことができないという事実だ。
 とある対象、とくに男性芸能人に対する女性の盲目的な愛は、遠い昔の「オッパ部」時代から見くびられ、呼び名が「パスニ」に変わっても、軽んじられる風潮が続いた。今は誰かのことが好きな人を、パスニではなくオタクと呼び、かれらの行動は、オタ活という言葉で定義される。ある特定の対象が情熱的なまでに好きである、という本質は変わらないが、オタ活という言葉は単純に一つの対象やテーマに没頭するという意味で広く使われ、より軽く受け取られている印象がある。そのようにしてオタクにまつわるエピソードは、今や会社でも部長が会話のネタとして持ち出すほど日常に深く浸透しており、本や広告などいろいろなところで登場する。 
 初めて芸能人が好きになったのは、ファンがパスニと呼ばれていた時代だった。その頃、パスニは学校も、家族も後回し。世間知らずで、むやみにオッパを追いかけまわす女子を意味した。そしてその群れの中に、私がいた。私が生まれて初めてファンになった、つまり誰かにすっかりハマった瞬間が、数日前のことのように思い出される。
 あの頃、私は毎日同じように学校に通い、ケーブルテレビで海外映画やドラマを見て、布団に入るだけの一日を繰り返す、平凡で穏やかな日常を過ごしていた。いつもと何一つ変わらぬ退屈だったある日、同じクラスの子からいきなり誘われて人生初のコンサートに行くことになった。うろ覚えだが、コンサートの日がかなり迫っていた気がする。どうやらその子は、何度かコンサートに行ったことがあるらしく、少しでも前の席を死守したいという理由で、夕方からのコンサートに始発で行って並ぶべきだと言った。
 私は家と学校のある町から離れたことがなく、生まれて初めてその子と地下鉄に乗ってを渡った。一度も出歩いたことのない時間に、公共交通機関に乗って通り過ぎる街の姿は新しかったし、誰もいない夜明けの静けさを破って通りを歩き回るのも、なんとなくわくわくした。女の子二人が朝から道をうろついているのをけなげに思ったのだろうか。それとも一緒に行った子の親しみやすいサバサバした性格のおかげだろうか。たまたまコンサートの撮影監督と親しくなり、与えられた番号より早く会場に入ることができた。 
 コンサートと言ったが、今思うとこぢんまりとしたところだった。江南のとある場所にある会場で、収容人数は100人くらいだった。座席はなく、スタンディングのみだったが、場内が狭くてステージに高さがあったので、一番後ろからでも十分見えたと思う。インターネットも携帯電話もあまり普及しておらず、最新MP3の容量が256MBだった時代だ。大衆文化にまったく興味がなかった中学3年生には、生まれて初めて訪れたコンサート会場がすごく立派に見えた。ドキドキする気持ちでコンサートの開始を待ち、いざ始まると、私はすっかり舞い上がってしまった。テレビでしか見られなかった有名人、舞台から伝わるエネルギー、楽しそうに熱狂している人々から噴き出される熱気……。開始を待つ間は慣れないムードに圧倒されて、周りをきょろきょろ見ながらもじもじしていたのに、始まるやいなや友達とはぐれてしまったことにも気づかずに、初めて見る人と肩を組み、楽しみ倒した。楽しみすぎて失神し、コンサートの途中に救急車で運ばれることになったが、今でも舞台演出のために噴射されるスモークの匂いを嗅ぐと、当時の心地よい震えが思い出される。
 突然出くわした新しい状況に、なかなか興奮が収まらなかった。学校と家だけを行き来していた日常から抜け出し、特別な経験をした自分がとても素敵な人になったようで、また同じような強烈な感情を経験したくなった。そのようにしてアルバムを買い集め、ファンコミュニティとファンクラブに入会し、公開収録、大学の学園祭、ファンミーティング、サイン会、単独コンサート、好きなオッパたちがゲスト出演するという他の歌手のコンサートに通い、自分にできるすべてのことをやり尽くした。地下鉄で2駅離れている高校まで、毎日往復2時間歩いて移動し、浮いた交通費でプレゼントを買うほどだった。
 自分が好きな対象について、なぜ好きなのか、どんなところが好きなのか、とものすごく些細なところまで共有し、共感し得る相手がいる。そのことがとても心強かった。新しく知り合った同じファンたちと好きなアイドルについて語り合っていると、すっかり夜が明けていることもあった。そのような幸せに毒されていた私は、自分がおかしくなりつつあることにも気がつかなかった。群れを成してソウルのあちこちを歩き回り、家族よりもよく顔を合わせていた友達につられて、これといった理由もなく家出までした。オッパたちに少しでも近づくためには、前日の夜から列に並ばなければならなかった。友達は徹夜しているのに、自分だけ家に帰らなければならないのが嫌だった。
 同じ芸能人が好きだという理由だけで親しくなった間柄だ。その子たちは、スケジュールを追うことができた頻度、またつぎ込んだお金の額で、誰々の「愛」が一番大きいと判断し、うらやましがった。コンサートのチケットを買うために真冬でも路上で徹夜したし、3分間だけの公演を見にいくために、整理券を手にしようと始発に乗って放送局に立ち寄った。そのせいで学校に遅刻していながらも、私たちは、オタ活に熱心なだけで、おかしいことではないという安堵感を確認し合いながら、奈落へ落ちていった。
 
 自己破壊的で激しすぎた初めてのオタ活。それは好きだった歌手の人気がなくなるとともに終わりを迎えた。私が好きになったときからすでにそれなりの年齢で、物議をかもしたメンバーもいた。自然と活動が先送りされ、ついには二度と戻ってこなくなった。いつまでも待つと言っていた友達が、一人、二人と去り、「Out of sight, out of mind」 という言葉のように、結局私も忘れていった。それ以来、いろいろな歌手へのオタ活をしながら年齢を重ね、以前のように熱狂的な追っかけはしなくなった。制服を着て放送局の前で徹夜していた頃、私は通りがかりの大人たちから「年をとればこれも意味がなくなるよ」「大きくなったら芸能人なんか好きじゃなくなるよ」とからかうように言われていた。今では、その言葉通りの大人になっている気がする。 
 オタ活をやめれば、成熟した大人の世界が繰り広げられると思った。しかし、自分の気持ちを一方的に吐き出すだけの関係に慣れていた私は、相互にコミュニケーションを取る関係を難しく感じた。適切な関係の結び方がわからず、オタ活をするときのように一方的に気持ちを表現した。それは執着に近かった。執着する対象がない時期に耐えられず、恋人であれ、友人であれ、つねに相手の愛を求めた。友達が私だけを仲間はずれにして会ってはいないかと不安だったし、私が知らない話をされると死ぬほど嫌だった。自分の問題点について認識できないまま、対象を変えながらオタ活するように人間関係を結んだ。 
 対象を決めて没頭しすぎる習慣は、いつの間にか自分を少しずつ蝕んでいった。しかし、今思えば、オタ活から得た良い面もあった。私の場合、オタ活の一環としていろいろな画像や動画などを作っていたが、そのときに習得したPhotoshopとHTMLのスキルが、あとからかなり役に立った。オタ活で出会った友達の中には、これからも長く付き合っていきたいほど親しい子もいる。しかし、このような良い面があったにもかかわらず、私とエスは自分たちの黒歴史まで公開し、視聴者のオタ活を引き止めた。私たちがそうだったように、軽い気持ちで始めたオタ活が、うっかり自分より推しを優先してしまう自己破壊的なものへと進化しかねないからだ。推しなしで生きることが想像できなくなるほど、その対象が大切になり、自分の生きる理由だとまで言う人もいる。人生で自分より大切な存在がいる。果たしてそれは、正しい人生なのだろうか。
 
 何かにどっぷりつかった私を言い表せるオタクという言葉ができたのはいいが(どこがどう好きだといちいち説明するより、「私ってこれのオタクです」と言うほうがはるかに簡単だから)、自分の身を削るような方法でオタ活をするファンは、依然としている。技術が発展し、より多くのコンテンツとグッズが作り出されている。ファンの通帳は、あまりにも効果的に、空っぽになっていく。これくらいなら大丈夫だろう、という軽い心で始めたオタ活が、自己破壊という大きな罠の前に吊るされたおとりではないかとよく見極め、自らをちゃんと世話しなければならない。
 私はオタ活によって覚えた、ハマっては冷めるという生き方を続けるうちに自分自身を見失ってしまった。自分の関心事や好みではないものに関心を持ち続けた。推しの長所をたくさん覚え、友達の意見がそのまんま自分の意見になり、彼氏の好みに私を合わせた。そうするうちに、現在を生きている自分の好みは、次第にぼんやりとしていった。不健康な時間が過ぎ去り、自分は一体何が好きなのか、どんなことが得意なのか、自分好みのコーディネートをするためにはどんなファッションアイテムが必要なのか、といったことさえ考えられなくなっていた。そんな簡単なことすら思い浮かべることができず、自分を取り戻すためには変わらなければならなかった。 

 私は得意なやり方で、「関係中毒」から抜け出した。あまりにも陳腐な方法だが、まずは自分自身を愛することから始めた。自分へのオタ活をするのは、思ったより難しくなかった。すべてを自分中心に考え、行動した。コンビニに行って推しが好きな飲み物を選んで、同じものを飲むことに意味を見出し、幸せを感じていたが、今はちょっとした飲み物を買うときさえも、自分の好みで選んでいる。推しについて知りつくすべく血眼になっていた頃のように、私にどんな長所があってどんな短所があるか、またどんな天気が好きで、一番好きな音楽は何かに関心を持てばいい
 他人に気を遣い、心配するのではなく、自分自身に気持ちがどうかを尋ね、関心のベクトルを自分に変えれば、たとえ他の人を好きになっても、人生の中心にいる自分を守ることができる。私の場合、脳の中で他人が占めていた部分を自分に変えることが最も効果的だった。このような変化を経て、好きなものにエネルギーを使う方法を、依存しては冷めることを繰り返すのではなく、責任を持って関係を持続していく方向にだんだんと変えていった。 
 ふだん使っているSNSのアカウントのパスワードには、好きだったメンバーのニックネームが含まれている。口座の暗証番号は好きだったメンバーの誕生日だ。しかし、もはやそれには特別な意味はない。好きだった気持ちは消え、使い慣れた暗証番号が残っているだけ。なんとなく使っていて、ふと「あ、そうだ、これってあのメンバーの誕生日だったよね?」と思い出し、すぐにまた気を引き締める。
 今は昔のように他人の一日を知りたがったり、好きな人の嫌な面を見てがっかりしたらどうしようとびくびくしたりしない。他人の幸せより、自分の幸せを優先する私に満足しながら生きている。そうするうちに、自分をより深く知ることができたと思っていたが、依然として新しい姿を発見し続けられて退屈する暇がない。このようにして、今日を生きている。私は私のオタクになる。


……続きは本書で!

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