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朱位昌併エッセイ連載「霜柱を踏みしめて アイスランド、土地と言葉と物語」#1

アイスランド在住の詩人・翻訳家・研究者の朱位昌併さんが、言葉や文化の切り口からアイスランドを紹介する新連載がスタートします。第1回は、朱位さんが渡氷することになった経緯について。おたのしみください!

#1. アイスランドとの出会い


 逃げ場所を探していた。約10年前のことだ。学生御用達のイタリアン・レストランで窓際の席に座っていたからか、賑やかに話す人々の声が壁で跳ね返り、宙でぶつかり合うのがよくわかる。自分たちの話は周りには聞こえていないだろうと安心できるくらいには喧しいものの、実際には断片的に耳に飛び込んでくる言葉から、たとえば隣のテーブルでは漠然とした不安を吐き出し合っていることは推し量れた。先行きを見通せないと嘆くのではなく、どうせお先真っ暗だけど仕方ない、と冷たく笑って口角を上げているのだろう。上擦った声音が何度も頭の上を通り過ぎては散り散りになっていた。

 周囲の空気に同調して浮足立つ私は、ミラノ風ドリアにタバスコをかけて辛味と酸味を足しながら、「とりあえず偏西風の影響を受けないところに逃げたいです」と冗談半分で口にした。ぷつぷつと音を立てるドリアをスプーンですくって、一口食べる。ホワイトソースで口内を火傷しそうになって、慌てて氷水を飲み干した。希釈されたジュース片手に料理を待つ先輩諸氏は、まぶたを2ミリ上げてから「じゃあ、どこがいいかな」とスマホやガラケーを取り出し、候補地を探し始める。そのテーブルの全員がおもしろがって、思いつくままに地名を出すか、条件を端末に打ち込んで検索し、その結果みつかったのが、アイスランドだった。私は、今、そこに住んでいる。

 それまでに聞いた覚えがまったくなく、アイルランドの言い間違いでもないその国は、どうやら北極圏直下に本島があり、公用語は、北ゲルマン語群のアイスランド語であるらしい。西ゲルマン語群の英語やドイツ語とはそれほど遠くない親戚だが、ケルト語派のアイルランド語との繋がりは、インド・ヨーロッパ語族という大きな括りでようやく見いだせる。アイスランドとアイルランドは、日本語でも英語でもアイスランド語でも一文字違いでしかないわりには、深い関係にない。いや、たとえば中世アイスランド文学を語るときにアイルランドを無視するわけにはいかないから、多大な影響を受けたことは確かなのだが、もし、よい関係を築いていたのかと問われたら、アイスランド側に立つ人は目を伏せるのが賢明かもしれない。中世の出来事を恨みに思う人に会ったことはないものの、奪い奪われた間柄ではあったのだから。

 一回生のときに第二外国語として履修したのはフランス語で、在籍していた文化構想学部では、文学という大枠のほかには言語やジャンルの制限も専門もなく気ままに本を読んでいたけれど、好きな作家や詩人の多くはドイツ語で書いていたので、同じゲルマン語圏のアイスランドにもおもしろそうな文学作品があるだろうか、と期待して調べたところ、北欧神話を伝えるエッダと呼ばれる詩群や、サガという中世の散文群が有名らしく、1995年にはノーベル文学賞を受賞した作家がいたこともわかった。また、人口が32万人弱(2011年当時。2020年には36万強)でしかない国にもかかわらず、ビョークやシガーロスとった世界的に有名な音楽家もアイスランド出身とのことである。しかし、どちらについても個人名なのかグループ名なのかさえ知らなかったので、さっさと文学にかかわる情報に目を走らせた。

 アイスランド国民の識字率は99パーセントで、小学校で英語とデンマーク語を習う。そのため、国民の大半はトライリンガルであるらしい。今でも読書が盛んで、冬には家にこもって本を読む人が多く、大人同士で贈り合うクリスマス・プレゼントで最も人気なのは本なのだとか。レポート作成に使うな、と学生ならば一度は釘を刺されたことがあるだろうインターネット上のフリー百科事典や、出典不明のウェブサイトを見て回ったかぎりでは、アイスランドは活字好きにはなんとも魅力的な国だった。さらに調べると、治安がとてもよく、アイスランド語とアイスランド文学および歴史を学ぶための政府奨学金の募集が毎年あり、学部生でも申請できるようだ。

──来年にはこの国に行きます。

 追加注文したアルコールで火照った頬を上げながら、逃避先を見つけたとはしゃぐ私は、このときはもちろん、義務教育中に英語とデンマーク語を習っていようがデンマーク語を話せない国民の方がずっと多く――アイスランド人をトライリンガルと言ってよいなら、日本人は英語を話せるバイリンガルだ――、冬に家でこもって眺めるのは今やSNSや動画配信サイトの方が人気で、クリスマスや誕生日に贈る物には本に限らずプレゼント用のシールが貼ってあるかレシートが同封されていることが多く、店頭で別の品やその店で使える商品価格分のポイントにしばしば交換されることは、まったく知らなかった。もらった物が趣味でないという理由でそうする友人を今までに何度か見ているし、自分でそうしたこともある。

 よく知らないけれどアイスランドという素敵そうな国に行く、という考えは、就職活動にも大学院入試の勉強にも前向きでなかった学生の逃げ口には丁度よく、そういう選択肢もあると思うだけで満たされた私は、しばらくのあいだ具体的に留学を検討することなく、それまでどおり授業やアルバイトに勤しむ日々を送ることになる。

 程なくして、同級生が就職活動を始めた。糊が効いて硬そうなスーツで授業に出て、アルファベット三文字の適性検査のための本を開き、熱心に業界や自分自身を分析している。一方、それぞれの業種の字面だけを愛でて、非金属は否定形であるからポイントが高い、などとふざけていた私は、先輩や教員から進路を問われる度、「アイスランドに行こうと思っています」と答えていた。もし「お金はどうするのか」と続けて問われれば、「奨学金に申し込みますが、それに落ちても半年くらいは貯金でなんとか暮らしてみるつもりです」とその場で考えながら口を動かす。すると不思議なことに、相手も自分も「それならなんとかなりそうだし、よい経験になるだろう」と妙に納得してしまうのであった。

 実は大して検討していない進路についての陳述が定型文になった頃、指導教員との面談があった。約束の時間の直前に着いた研究室の扉は薄そうで、向かっている最中に階段や廊下で反響した靴音が聞こえていたかもしれない。靴底が擦すれるたびに海獣の鳴き声のような音がしたのは、プレハブ工法で仮設された床の摩擦が大きかったからだが、小走りに向かっていたことも原因だっただろうか。

 壁全面と床の何割かが本で埋めつくされた部屋で、早口で卒論の構想を話し、その倍の時間をかけて意見をもらい、さらにその倍の時間をかけて胃を縮めながら指導教官を説得しようと試みたあと、やはり進路を問われた。咄嗟に「アイスランドに……」と言ってしまった。そのときまでは、やっぱりフランス文学を研究したいのでみっちり勉強して院試に備えます、とも言えたはずだし、口からこぼれたものを戻して訂正することもできたはずだけれど、言ったと同時に、ああ、アイスランドに行くのだな、と実感して、一切言い直さなかった。指導教官が無言のまま胸郭を開くように居ずまいをただし、静寂に耐えかねた私の鼻がビニル系の床材と古紙の混ざった匂いをせっせと集めだしたとき、「そうなんですか」と相槌が打たれた。すぐさま数週間前のイタリアン・レストランでの記憶を引っ張り出し、「それで、奨学金を申請するので、推薦状を頼むと思います。たぶん、英文で必要です」と打診する。了承の返事をもらってから退室した私は、上っ面は前向きな自分に動揺していて、とりあえず足に任せて街をふらつくことにした。具体的なことを考えるよりも、ただただ歩くことが、まずは必要だったのだ。

 そぞろ心の逃げ道を探した先で逃げ場を失った――と当時は思っていた――私は、こういう成り行きで、北欧の島国に行くことにし、実現させるために、まずは奨学金の募集要項を読み、次いで志望理由書を作文するために邦訳されているアイスランド文学を読んで、そして、アイスランド語を勉強しようと決心した。

 翌日、作文の材料をみつけるべく、大学の中央図書館に向かった。最寄り駅を出て、専門学校の宣伝で配られるポケットティッシュを集めながら、人込みを縫って10分ほど歩く。目的の建物の外階段をのぼり、正面玄関の自動ドアをくぐって左に折れる。入館ゲートを通過したあと、いつもの癖で絶版になった文庫や専門書を求めて地下に行こうとする足を止め、地上階の毛足の短い絨毯に並ぶ本棚に針路をとる。目当ては、ドイツ文学が陳列する940番の最後にあると思しき小説『極北の秘教』(渡辺洋美訳、工作舎、1979年。原題:Kristnihald undir jökli)だ。1955年にノーベル文学賞を受賞したハルドウル・ラクスネス(Halldór Laxness)の作品で、現代アイスランド文学において最も重要な作家とされる彼の著作のうち、代表作として挙げられることの多い『独立の民』(Sjálfstætt fólk)や『原爆基地』(Atómstöðin)などの別の小説を選ばなかったのは、『極北の秘教』だけが重訳でなく、アイスランド語から日本語に翻訳されたものだったからだ。

 書棚の最上段で見つけたその本を抜き出す寸前、目に入った黄色い背表紙の「そのまま宇宙人である伝承」という惹句が理解できず、一瞬、手に取るのを躊躇った。厳かな裸本とは違い、元々カバーがないその本の表紙は華やかで、麒麟送子図が描かれているだけでなく、四色に分けて、書名、作者と訳者名、章割り、それに次の惹句が書かれている。

大氷河の麓に奇妙な教儀が広められている
錬金術師の策謀か?魂の再生の秘儀か?
天地創造の渦中にある宇宙人たちの奇譚
イタリア未来派とアイスランド・伝紀が合体する
魂のサスペンス・ドラマに「道(タオ)」はめぐる

コンビニエンス・ストアかパチンコ店に近い神秘の気配がしたが、ともかく本を持って近くの6人掛けテーブルに腰かけ、ページをめくった。

 小説そのものよりも前に、薄墨を溶かしたような青色のページに「老子の景観について」というエッセイが載っている。元々は、1977年に刊行されたエッセイ集『おやおやはいはい、なんてこったい』(Seiseijú, mikil ósköp)に収録されている「道徳経、その翻訳上の問題」(“Taoteking sem þýðingarvandamál“)というタイトルで発表されたものだが、邦訳では『老子道徳経』の翻訳数篇を比較して論じる箇所が省かれている。

 これまで西洋では道(タオ)という語について、一神教なら唯一神を見出し、ストア派はロゴスを、スピノザ派は自然を当て嵌め、そして「マルクス主義者にとっては“弁証法的唯物”の別名であることを付け加えても罪にはなるまい」 と語るこのエッセイが、どうして導入のように配置されているのか、もちろんはじめは分からなかった。よく憶えているのは、作品を読み終えたあと、頭のなかの疑問符を減らす手掛かりにならないかと読み直し、ラクスネスが老子の書について述べたことを、そのまま『極北の秘教』の感想として言い換えたくなったことだ。

道(タオ)は、教義でもなければ、脅して世界救済を迫る教条などではないにせよ、その不可思議な言葉――書そのもの――のなかには個性的な存在が潜んでおり、今なおそこに棲み続けている。あの“老人”の出入りする足音がどこからともなく聞こえ、老子について、いや老子の名のもとに述べられてきた、こういったわかりの悪いお喋りの間から、彼の微笑が覗いているのだ。

 作家・批評家のスーザン・ソンタグによれば、20世紀の不朽の文学作品の多くは、19世紀に制定された小説という命題の外側に位置を占めており、慣習を守るならば、サイエンス・フィクション、寓話、哲学小説、夢小説、幻想小説、滑稽小説、いんちき、といった分類のどれかに入れなければならないなかで、「破天荒なまでに独創的で、難解で、大笑いできる」『極北の秘教』は、これらすべての分類にあてはまる唯一の作品であるらしい。 およそ10年前に読んだとき、私は難解であるのかさえわからず、ただひたすら訳がわからないことを、皮肉でなく大いに楽しんだ。

 主人公ウンビ(作中、名無しの主人公には「監督――邦訳では「主教」――の代理人」を意味する umboðsmaður biskups を縮めたUmbi が名前代わりに宛てがわれる)が命じられるのは、「ジュール・ヴェルヌの時代以来、行われたことのないような目覚ましい調査」であり、その内容は、アイスランド西部にあるスナイフェルスヨークトル氷河の麓におけるキリスト教信仰の実態調査だ。ウンビは、事実のみを述べた「報告書」を作成するにあたり、わずかな積極性がある録音機としての役割を求められる。

 主教――[……]我々のほしいものはほかでもない、報告書だ。どのような信条や作り話を聞かされようとも、それを勝手に変えたりしてはならん。だれがどんなことを言おうが、君が改作するでないぞ。彼らに喋らせるのだ。議論に加わってはならん。それから、もし彼らが黙ったら、何について黙ったかを報告すること。適切と思われる点には注釈をつけたまえ。[……]ちっとは真実を述べるというものはそうそうおらんし、真実に近いことを言う者はひとりだっておらんわ。正真正銘の真実となれば、こりゃ聞かれたためしなどありゃせん。喋り散らす言葉というものは、嘘だろうが誠だろうが事実にはちがいない。話をしてみれば、嘘をついていようが、本当のことを言っていようが、その人となりを白状するものだよ。[……]だから訂正してはならない、翻訳しようとしてはならない。

天気の話のような当たり障りのないことを訊ねるよう命じられたウンビは、しかし大いに議論に加わって自分自身の「その人となり」を読者に曝していく。また、カメラの役割も果たす彼は、調査先で目にしたことを書き洩らさないよう、懸命に筆を走らせる。今読み返せば、「ひとつの家屋が別の家屋から生えているといった」建築方法で建てられた「内牧場の緑の丘と渾然一体」となっている住居を、ときおりアイスランドの田舎で出くわすターフハウスと呼ばれる建築物がつくる光景と同様のものとして、頭のなかで映像に直すこともできるが、はじめて読んだときは、実際からは大きく異なる奇天烈な家屋を想像し、馴染みない言葉の並びをおもしろがるだけだった。読み進めるにつれ言葉そのものを追うことの方が楽しくなっていったのは、アイスランドについて何も知らなかっただけでなく、物語が奇譚にふさわしい展開をみせるからでもある。

 なかなか思うように調査を進められないウンビは、やがて氷河の麓で奇跡に立ち会う。「決定子の法則は作動し、宇宙生物学(コスモ・ビオロギア)と誘導性(エパゴギーク)は証明され、アメリカ人が言うところの『生命誘導(ビオインダクション)』」が起こった結果、魂を魚に変えられ肉体を氷河の上で保存されていたウーアと呼ばれる女性が蘇るのだ。そして、この南国の香りただようウーアと会話を重ねたウンビは、自分の役目を捨てて彼女とともに「世界の果て」に行くことを決心するが、最後は笑い声の中に独りで取り残され、再び街道に出られることを念じながら、もと来た道を突っ走って逃げ出すことになる。

 ジュール・ヴェルヌ『地底旅行』やアイスランドの古典や伝承が下敷きにされているこの作品を読んだことで、ヴィクトル・ユゴー『アイスランドのハン』やピエール・ロティ『氷島の漁夫』など、多少馴染みのあった作家がアイスランドに関係する作品を残していたことを知ったのは収穫だったが、奨学金の志望理由書で、訳がわからなかったけれど面白かった、と書くわけにはいかない。それに、なにを書いても的外れな気がする。こちらを見つめてこみ上げる笑いを堪えているように見えなくもない巻末の著者近影に苛立ちながら、どうしたものかと悩んだ結果、小説に織り込まれた戯曲のような形式に言及することにした。ソンタグが指摘するように冒頭で示唆されるのは、主人公が作成する「報告書」だけでなく、読者に提出された作品についての論理でもあるが、その通りに書かれてはおらず云々で、感銘を受けた等々と。ほかには、ヴォルテールの『カンディード』をラクスネスが翻訳したことに触れ、アイスランド文学を紹介する際には既に日本で知られている海外文学作品との関係も伝えるべきだ、とも書き連ねた。

 定型さえ調べずに作文した志望理由書について、これ以上記憶を掘り返すことはしたくなく、英語で書いたそれを読み返すなどもってのほかだが、推薦状を頼んだ教員のうちのひとりが「よくも、まあ、これで……」と呆れていたことは憶えている。後々、「あれは褒めてもいたんだ」と言われたが、作成者のふてぶてしさが、文章そのものでなければ行間からあふれ出ていたのだろう。ウンビの言うとおりである――「私の生ま身の人生が、この報告書といっしょに一本の糸に撚り合わされているのだ。」

 さて、志望理由書には「留学前にもアイスランド語を勉強している」と書いたが、真っ赤な嘘だった。でも、これから本当にすれば問題ない。そう思って、都内の本屋を何件か見て回ったものの、アイスランド語の初級教材はどこにも売っていなかった。幸いなことに、通っていた大学にはアイスランド語の授業があり、地元の図書館には『CDエクスプレス アイスランド語』という絶版の教本があったので、未来の私は嘘つきにならずに済みそうだ。

 来学期になるまでアイスランド語の授業は受けられないので、それまでは図書館から借りた本で自習することにした。たっぷり1ヶ月ほどかけて取り組んだが、理解できない部分は少なくない。アイスランド語教材を謳うほかの教材に手を伸ばしてみたが、最初の一冊で生じた疑問が解消されることはなく、むしろ理解できないことが増えるばかりだった。大学で第二外国語として学べる言語の教材は、研究の積み重ねもあってか独学でも使えるものが豊富で、とても羨ましい。英語教材については、言わずもがなだ。

 日本の教材では限界があると判断し、英語で書かれたCD付きの本を取り寄せることにしたが、そうして入手した教本を3周し、かつ、大学の授業を受けても疑問が解消されることはなく、結局はじめに湧いた疑問のほとんどを「そういうものだから」と諦めて呑み込むしかなかった。これはアイスランドに行っても変わらない。アイスランド大学で文法や語法の疑問点を教師に訊ねても"Af því bara"(「ただそういうものだから」)と一言で済まされることが多く、アイスランド語辞典を引いてもわからないので、自分で様々な文章を比較検討してから、おそらくこういうことなのだろう、とあやふやな理解で満足しなければならないことが未だに少なくないのだ。

 アイスランドに留学して、初めてできた友人との会話で
――Hvað borðaðir þú í morgun? (「今朝、なに食べた?」)
――Ég borðaði brauð. (「パンを食べた」)
と答えようとして、
――Ég borðaði blóð.(「血を食べた」)
と言って怪訝な顔をされていた頃は知らないことを学ぶだけでよかったが、最近は、専門とするアイスランド文学だけでなく、アイスランド語についても、訊ねるより訊ねられることの方が多くなってきてしまった。質問によっては「むしろ私が知りたい!」と叫びたいものもあって、実は結構頭が痛い。辞書の記述や教師の断言を正解だと思って思考停止すべきではないが、解消されない疑問を持ちつづけることに草臥れることもなくはないのだ。

 これからアイスランド語にまつわることを書くとはいっても、学習者の疑問を解消することはおそらくなく、むしろ煙に巻くことになるだろう。先の会話を例にするなら、話者があえて「食べる」と言いたいのでなれば、血については drekka という語を使って「飲む」と言う方が一般的だと説明することはせず、たとえば、字義通りには「血吸い」と訳せるblóðsugaという語が、1)吸血こうもり、2)ヒル、3)吸血鬼、4)社会の寄生虫や寄食者、を意味するから、話者がその類であれば、sjúga を用いて「吸う」と言う方が不自然ではなく、また、食事マナーを気にして直接血を吸うよりも器具を使って採取していることを強調したいなら、まずtakaを使って「採る」と言ってからborðaかdrekaと言うのも悪くないだろうし、拡張高く古式に「食べる」と表現したいならsnæðaを使うのも味がある、と書くだろう。これは冗談だとしても、ようするに、これから私がするアイスランド語にまつわる話は、雑多なお喋りのようなものである。


朱位昌併(あかくら・しょうへい)
1991年生まれ。詩人、アイスランド語翻訳者、アイスランド文学研究者。アイスランド在住のアイスランド公認ツアーガイド。単訳書にラニ・ヤマモト『さむがりやのスティーナ』がある。
Twitter:@korigashi
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