朱位昌併エッセイ連載「霜柱を踏みしめて アイスランド、土地と言葉と物語」#3
アイスランド在住の詩人・翻訳家・研究者の朱位昌併さんが、言葉や文化の切り口からアイスランドを紹介する連載、「霜柱を踏みしめて アイスランド、土地と言葉と物語」。第3回のテーマは「オーロラ」。アイスランドに住む人々にとっては当たり前の光景になっているオーロラが、中世以降の文学ではどのように扱われてきたかをひもときます。
#3 . オーロラの灯を前に
手袋を外して、指を組んだ両手の平を空高く突き上げる。肋骨を存分に軋ませ、胸の真ん中で息が詰まるまで身体を伸ばしたら、指をほどく。喉を開き、手で円を描くように、冷えた空気をゆっくり切り下ろしていく。肩甲骨が音を立てて緩んだ。吐ききった息は慌てて白くまとまって、すぐ宵闇に溶けていった。夜空を見上げ、どこまでも伸びていこうとする首を引き戻すように深呼吸を繰りかえし、透明に近い味の空気で肺を冷やしながら、内側から自分の輪郭を意識する。
野外でオーロラを見つけると、どうしてか決まって身体がこわばった。淡く緑色に染まった薄雲のようなものであれ、風そのものかのように揺らめくものであれ、見れば見るほど空っぽになっていく頭の分だけ視線が上へ上へと伸びていくので、行きすぎるな、と身体が抵抗しているのかもしれない。季節によっては昼夜で凍結と融解を繰り返して氷になった雪が道を覆っているから、不用意に空を見上げたまま歩こうとすれば、足を滑らせて転倒するだろう。しかし、身体が緊張するのは、怪我の心配のためでなく、今なにか不気味なものを目の前にしているのではないか、と怖気が走るからだ。夜空いっぱいに広がって激しく踊る赤色混じりのオーロラを見ようものなら、たしかに美しいとは感じつつも、その気まぐれな挙動に腹のあたりが泡立って痒くなる。畏怖の念をもって崇高さを感じるのでもなければ、刻々と変わる形状や濃淡に吉凶を占いたくなることもないが、「きっと鬼火とはこういうものなのだろう」とか「世界を取り巻く中つ国の蛇は、これのことじゃないか」と、実際に目にしたことのないものをオーロラに当て嵌めてみたことはある。
オーロラを求めて海を渡り、実際に見て心を奪われ、その姿を写真や動画に収めたいと願ってやまない人がいるのは見知っているし、発生の仕組みなどの科学的説明も知っている。だが、実のところ別段興味がないので、友人が窓から夜空を見上げて「オーロラが出てる!」と駆け出しても、「いってらっしゃい」と見送ってばかりである。オーロラのために外出することはほとんどない。「信じられない!」と旅行者から驚愕されることは珍しくないが、地元民には理解されることが多い。首都レイキャヴィークでもそれなりに見られるので、あまり有難味がないからだろうか。今ではオーロラと観光業があまりに強く結びついてしまっているため、その字面を見るだけで、町中で文字通り幅を利かせる大型バスを想起して疎ましく思う人もいるかもしれない。ただ、とある感染症が世界的に流行して旅行者が国中から消え失せたあと、氷河には今がチャンスとばかりに行く人はいても、オーロラを見に行く人がことさら増えたとは聞かない。ひょっとすると、少なくないアイスランド人が、たとえば日本に住まう人が月や星々に抱くような気持ちでいるのではないか。毎日とはいかずとも見ようと思えばそれなりに綺麗な姿を見ることはできるから、わざわざ出掛けて寒空の下にじっとする気にはならない、とでも思っているのかもしれない。
では、オーロラが観光資源になる前はどうだったのか。中世アイスランド文学の専門家に意見を求めたところ、「まあオーロラは綺麗だけれど」という前置きのあと、いくつかの書物の名前を挙げられ、「とりあえず読んでみたら?」と微笑まれた。読んだことがあるものもあれば、書名しか知らなかったものもあったので、礼を言って自宅の書棚や図書館から集めて目を通すことにした。
アイスランド語におけるオーロラらしきものの最古の記述は、13世紀後半に書かれたと推定される「アースラークルの息子ヘルミングルの話」(Hemings þáttr Áslákssonar)にある。残存する写本に欠落はあるが、だいたい以下のようなことが書かれている。
あるとき、1046年から1066年までノルウェー王であった苛烈王ハラルドゥル(Haraldr harðráði)が、ノルウェー西部の列島ソールンディル(Sólundir)に逗留していたときのことだ。グリーンランドから、遺体のロジン(Líka-Loðinn)とあだ名される男が船でやってきた。7夜におよぶ航海をしたロジン一行に、王は「なにか目新しいことはなかったか」と訊ねた。はじめは、そのようなことは何もなかった、と答えたロジンだが、他の船員が動揺するのを認めた王が再び訊ねたところ、青い火を見た、と言う。
航海中、一行はほかにも、血の雨に降られたり、青空を覆いつくすほどの鳥の大群が船上を飛びまわって啼きわめいたりと、奇妙な出来事に遭遇する。しかし、どれも控えておられる遠征先で王が亡くなる予兆だと思えば、何も驚くようなことではありません、だから話さなかったのです、とロジンは王に答える。
片端さえ見えないほど大きく、場所によって高さが違う火。テクストからは火が水面にあるのか空中にあるのか判然としないが、これをオーロラと見做すのは、それほど無理なことではないだろう。海上に青い炎の壁が現れ、その熱で帆が燃えたとなれば鼻白む読者もいるかもしれないが、青信号を「緑」と言う日本語話者なら、オーロラの緑色を「青い」と形容することに親近感を抱くのではないか。それに、怪火と凶兆の組み合せは中世アイスランド文学では珍しくない。
9世紀後半の西アイスランドが舞台の『金のソーリルのサガ』(Gull-Þóris saga)は、登場人物がドラゴンになって黄金を守るようになるなど、古代のサガ(fornaldarsaga)のような愉快な出来事を伝える話だが、ここにもオーロラらしき光についての記述がある。どうやらその光は、近づくべきでない不吉なものと思われていたようだ。
ソーリルが見たのは、緑色の上に赤色が躍る二段のオーロラだったのかもしれない。不可思議な火を見た彼は、周囲の制止を振り切って墓を暴かんと山に向かうものの、山中で嵐に遭って吹き飛ばされる。命を落とすことこそなかったが、目当ての宝を手に入れる前に疲れ果てて寝てしまい、そして夢を見る。その夢でソーリルは、怒った様子のアグナルに会い、なんとふたりは血縁であると告げられる。アグナルにたしなめられたソーリルは、墓を暴かない代わりに、嵌めたまま繃帯すればたちどころに痛みが消える手袋をはじめとする宝をもらい、さらにそのうえで別の宝の在処まで教えてもらう。目が覚めると、すべては夢のとおりだった。目の前には手袋や剣、兜にくわえ、金や銀といった高価な品々がある。こうしてソーリルは、夢で話したアグナルの助言に従うことにするのであった。
「塚の火」ことhaugaeldurという怪火についての記述は、『グレティルのサガ』(Grettis saga Ásmundarsonar)や『エギルのサガ』(Egils saga Skallagrímssonar)といった有名なサガにも見受けられる。そこでは、宝が眠る場所を知らせる火と伝えられているが、むしろ人魂のようであり、オーロラのことではないだろう。どうやら13世紀中頃になるまでは、オーロラを言い表す特定の言葉があったことを示す資料はないようだ。
現在アイスランド語ではオーロラのことをnorðurljós(北光)と呼ぶが、この語の最古の例は、先に述べたサガの舞台から200年から300年が経った頃、13世紀中頃に編まれたとされる『王の鏡』(Speculum regale。別名:Konungs skuggsjá)で見つけられる。
この書物は、はじめは商人に、そしてゆくゆくは立派な王臣となることを夢見る息子が父に助言をあおぐ形式で書かれている。立派な商人になるならば海や航海について、また、誉れ高き王臣となるなら、あるべき臣従関係はもちろん、王の務めについても知っておかなければならない。そう考える父は、好奇心旺盛な息子に応えるべく、多くのことに言葉を費やす。『王の鏡』では、「序」、「商人について」、「王臣について」、「王について」の全編を通して、当時の人々の暮らしや考えの一端をうかがい知ることができる。オーロラのことが語られるのは、自然現象や地理についても説く「商人について」の章だ。そこでのオーロラの描写は、おそらく誇張があり、少々長くもあるが、人工の光がまったくないところでオーロラに遭遇したときのことを想像する手助けになるかもしれない。以下のとおり訳出しよう。
平面ではなくおそらく球状だが公転していなさそうな地球についてなど、この書物で説かれる世界像は興味深いが、今回は取り上げない。父が「もっともらしい」と述べる仮説を珍妙に思う現代人もいるだろうが、プラズマや励起という用語を使い、ネオンランプや蛍光灯を例に引いてオーロラを説明されるのと大差ないようにも感じる。現代の説明に科学的根拠があるのは承知しているが、教育で得た知識を取り除いたとき、私が前時代の叙述に軍配を上げないとは断言できない。
たとえば、17世紀にギスリ・オッドソン(Gísli Oddsson)が『アイスランドの驚異』(De mirabilibus Islandiæ)で提示した仮説では、身近な現象を引き合いに出してオーロラが説明されているが、私が同時代人であれば、簡単に納得するのではないか。
ギスリは、オーロラの挙動を炎(flammarum)に喩えてはいるが、それ自体を「天の光」(lumen cœleste)と呼んでいる。それまでの時代で火と名指されていたオーロラは、この頃から光と形容することが一般的になっていく。彼の父オッドゥル・エイナルソン(Oddur Einarsson)が、16世紀末頃にアイスランドに関する迷信や誤解を正すために外国人向けに物した『アイスランド総記』(Qualiscunque descriptio Islandiae)の中で、オーロラを「北光」(Nordurljos)と呼ぶのがアイスランドでは既に一般的だったと書いていることを踏まえれば、そこまで驚くようなことではないかもしれない。しかし、光――とくに天の光――と言われだしたオーロラは、キリスト教文化の影響もあってか徐々に聖化され、やがて凶兆や火との繋がりはほとんど失われてしまう。
私が読んだかぎりでは、オーロラと風を結びつける記述はなかった。人の手が届かない遥か空高くでは、地上とは異なる風が吹いていて、その風は緑色や赤色、ときには紫色に色づくのだ、と考えた人はいたかもしれない。だが、残念ながらそれを示す資料は――すくなくともざっと見た17世紀までの文献では――見つけられなかった。大気や風を視覚化するウェブサイトの見過ぎかもしれないが、ひとつくらいはあるのではないか、と期待していたので、すこし寂しい。
薦められた本を読み終えて、A氏に助言の礼を言いにいくと、「本当に読んだのか」と目を丸くされた。「訊かれた内容については、数年前に論文でまとめて出したから、概要ならそこに載っていたのに」とのことである。
後日、A氏の論文を読んだところ、今ではもっともらしく語られるオーロラと中世北欧人の俗説についても書かれていた。たとえばヴァルキリア(valkyrja)――北欧神話において主神オージン(Óðinn)に仕え、戦死者を彼の宮殿に連れていく、日本語では「戦乙女」と呼ばれることもある女性――の鎧か盾かの輝きが反射したものがオーロラだと考えられていた、と典拠不明の書物で述べられることがあるのだが、これは残存する中世の資料に拠るのではなさそうだ。どうやら1819年にドイツのマインツで出版されたゲオルグ・クリスチャン・ブラウン(Georg Christian Braun)著『古きドイツ人の信仰』(Die Religion der alten Deutschen)において、ノルウェー人がオーロラの輝きのなかにヴァルキリアを見ていた、と書き、それに影響を受けたであろうアイスランド人のフィンヌル・マグヌソン(Finnur Magnússon)が、キリスト教が布教される前はヴァルキリアの盾の反射光によってオーロラが生じると考えられていた、と述べたことから端を発したものらしい。
19世紀に主にコペンハーゲンで活躍した考古学者のフィンヌルは、1821年から1823年にかけて出版した全4巻の『古エッダ』(Den ældre Edda)において、ヴァルキリアの起源をオーロラに見て解説や注を附している。おそらくブラウン以来のヴァルキリアとオーロラの関連付けは、ブラウンからフィンヌルへ、そして1855年に刊行されたアメリカ人作家トマス・ブルフィンチ(Thomas Bulfinch)『伝説の時代』(The Age of Fable)の記述に結実する。ヴァルキリアが馬で駆けるとき、その鎧から放たれる光は北の空を照らし、これを世人はオーロラ・ボレアルと呼んでいた、とブルフィンチが書いたことで、実際にそうだったかは別にして、オーロラとヴァルキリアのエピソードがロマン迸る「伝説」として定着し、現在でも語られているのだろう。
ちなみに、ブルフィンチの『伝説の時代』は、1902年に出版された赤司嚼花と石田春風による『霹靂 - 北欧神話』の種本のひとつだ。「天馳使」の項目に、おそらく日本語で初めてオーロラとヴァルキリアを関連づける記述がある。
ブルフィンチの言葉をほぼそのまま引き写しているわけだが、先述のとおり、残存する中世の文献を逍遥するかぎりでは、北欧人がヴァルキリアとオーロラを関連付けていたことを明確に示すものはない。北欧の神や英雄を題材にしたエッダと呼ばれる詩群を見通しても、フィンヌル・マグヌソンが行ったとおり、古詩「スキルニルの言葉」(Skírnismál)で言及される「彷徨う炎」(vafrlogi)――巨人族の住まいに辿りつくのに越えねばならない炎で、「漂う炎」とも訳せる――をオーロラと見做して詩を解釈することはできるとしても、エッダにおいて明らかにオーロラを指し示す描写や言葉は見つけられない。散文群のサガにおいては、ほとんど既に見たとおりだ。
オーロラを火ではなく光と言い表すことが定着し、やがてアイスランドにも近代化の機運が高まってきた19世紀には、オーロラは北欧神話と関連付けるのでなければ、アイスランドの自然美を謳うのに担ぎ出されるようになっていく。それ以外では、この頃に収集されはじめた民話や迷信で、オーロラの動きに合わせて天気を占っていた、と語られるか、妊婦への助言についての迷信として残っているくらいである。
たとえば、アザラシの頭と手をした子どもを産みたくなければ、身重の女性はアザラシの頭と前脚を食べてはならない、などの助言と同様の括りで、1864年に刊行された『アイスランドの民話とお伽話』(Íslenzkar þjóðsögur og æfintýri)の下巻では、もし身重の女性がオーロラをみると、産まれる子どもの目は絶えず揺れることになる、と書かれている。おそらく現代で言うところの先天性の眼球振盪を指しているのだろうが、その原因のひとつとしてオーロラをじっと見つめることが挙げられているのだ。増補版では、オーロラにくわえて、瞬く星や流れる水を見つめていても産まれる子の目が揺れる、と書かれているので、オーロラそのものの魔性が原因ではなく、絶えず揺れ動く、という隣接性が原因とされていたのだろう。
時代がくだると、オーロラが恐ろしいものと見做されたり、凶兆と結び付けられることは、ほとんどなくなってしまった。神秘的、美しい、と簡潔にまとめられるほどではまだないにせよ――美しいとは何か、という議論は脇に置いておいて――、オーロラは偉大な自然か神の御業か母国アイスランドの象徴として詩人たちに用いられるようになり、やがて氷河や滝などと同様に、人が享受する資源へと変わっていく。
自然の偉大さを讃えることと享受することは矛盾しない。母国の自然を謳いながらも、近代国家たらんとするアイスランドのために自然を産業の中に組み込もうと熱心だった人物に、エイナル・ベネディクトソン(Einar Benediktsson)という詩人がいる。法律家でもあり、実業家でもあった彼は、デッティフォス(Dettifoss)というアイスランド北部にある滝を自身の詩で讃えつつ、その滝に水力発電を建設することを推進した。彼の他の試みと同様に――たとえば、10世紀に赤毛のエイリクル(Eiríkur rauði Þorvaldsson)が植民したと伝えられるグリーンランドの土地の領有権を国際司法裁判所で訴えるための運動をした――その建設計画は頓挫した。今では自然保護団体や自然愛好家から二枚舌と批判されることがある人物だが、アイスランド社会全体でみれば、彼の精神は今なお息づいているだろう。
エイナルが書き残したものには、その後のアイスランドの行く末を示唆していると読めるものもあれば、詩「北極光」(Norðurljós)のように、中世から現代に至るまでのアイスランド(語)の総括を試みていると見做すことができるテクストもある。「北極光」は、もちろんオーロラについての一篇だ。
13世紀には既にアイスランドもキリスト教国だったが、外なる世界の端では「北極光の火」があまねく広がり揺れていた。しかしやがて、光となったその火は、神の手によるものとされ、さらに存在自体が偉大なものとなっていく。誰もが目を奪われ、ときには海を越えてやって来て、その恩寵を求めて待ち続けるが、辿り着いた虚ろな舞台には沈黙しかない。
観測可能な場所にやって来たところで必ず見られるわけでなく、見えたとしても、倍速再生される映像のようには動かず、また色合いや形も写真で見るほどではないかもしれない。しかし、映像や写真にあるようなオーロラを肉眼で見られることも稀ではあるが、確かにある。オーロラは、今では魅惑的ではあってもあまり危険なものとは考えられていないが、非常に優秀な欲望の器として機能しているのかもしれない。それにオーロラは、誰が何度見に訪れても、足元の苔や氷河とは違って擦り減っているようには見えない。
急増した旅行者が整えられた道から外れて苔の上を歩き回ることで、もしくは、海外産業を誘致するための土地や電力の確保のために、自然が破壊されていく。こういったことがアイスランド国内の議論を呼び、自然の保護を訴える人が増えている。地球温暖化を話題にするときにアイスランドの融けゆく氷河が引き合いに出されることも多い。しかし、今のところ氷河と同じく大切な観光資源であるオーロラの保護が叫ばれることはない。いくらでも観光客を集めることができ、しかも消尽することのない、美しくて有用な自然であると見做されているのだろうか。オーロラは、すべてを呑み込みそうな暗い空に出現した煌めく扉でもあれば、それ自体が底なしの穴でもあるようなのだが。
冬の寒空に出てきて、2時間が経った。いくら夜空を見上げても、せっかくの新月なのに、流れ星が通り過ぎるばかりである。日本の空よりも北斗七星が近く、オリオン座が大きく見えるが、それも厚い雲が覆いはじめてしまった。これでは観測は無理だろう、と観光ガイドとして伝えて回ろうとしたとき、「あっ、オーロラだ!」と叫ぶ人がいた。雲が広がる方向を指す声の主のところに他の人が集まっていく。まさかとは思いつつ駆けていくと、町がある方向の夜空が、たしかに淡く橙色に色づいていた。いや、あれは雲に町の明かりが反射しているのだ、と訂正しようと口を開きかけたら、「なるほどオーロラに違いない」「あれはまさしくオーロラだ!」と歓喜の声があがった。添乗員まで「オレンジ色のオーロラはとても珍しいです! みなさん、本当にラッキーですよ!!」と言って、せっせと人を呼び集めて集合写真を撮りはじめている。見事に訂正の機会を失った私は、野暮なことはすまい、と沈黙を貫いて、満足そうに破顔した人たちを運転手とともに迎えることに決めた。彼らを宿泊施設まで送り届け、歩いて家路に着く。ふと空を見上げると、雲の切れ間で緑色の炎がとぐろを巻くのが見えた。すぐに雲で隠れてしまったが、その場で立ち止まり、腕を伸ばして体操をはじめることにした。車通りのない深夜、自分の呼吸音に交じって、砂をじりじり噛むような音が聞こえた。
(外国語文献からの引用は、すべて拙訳による)