改めて聞かれるとリフレッシュ方法って
ご縁があって育児系の雑誌さんから取材頂くことになり、前日の夜中娘を寝かしつけてから準備をしていたときのこと。趣味やリフレッシュの方法を教えてください、と言う項目に筆が止まった。
私、何でリフレッシュしているっけ。
これは、と言うものが特にない。娘が生まれてからは尚更だ。
元々絵を描くのが好きで、デザインの道を目指して美大に行ったくらいだったが、今は娘にお絵描きの相手として何か簡単なものを描いてあげる程度で満足してしまう。仕事で絵を描くこともほとんどない。
歌も好きで、高校の頃はカラオケに通い詰め、社会人になってからは教室に通い、何度か発表ライブにも出た。それも今では、家で少し大声で歌えばすっきりし、娘を誰かに預けてまでカラオケに行きたいとは思わない。
月1、2回ほどは、親子で参加できるゴスペル教室に通っているが、ここまで頻度少ないとなかなか趣味とも言えなさそうだ。
あと、大学の頃は好きな歌手のライブを何度も見に行き、ライブ友達も出来て、部活のように楽しんでいた。
今でも年1回くらいは行きたくなるし、ファンクラブも中学3年からずっと入り続けている。長いといえば、このファン歴だろうか。
とはいえ昔のように毎日イヤホンをして曲を聴いたり、新曲の度に発売日当日CDを買いに行くこともなくなった。(ネット購入もない)
けれど私は、趣味は子どもです、のような人にはなりたくないと思う。子どもは間違いなく1番大切だけど、それは精神的に、子どもに頼った生活になりそうで、怖いと思う。
子どもは自分ではない。娘にはいつか自立して自己実現してほしい。そしてきっと自分の元から巣立つ。その時に、何も残らない親にはなりたくない。
色々と考えて、ひとつ思い出した。
最近はこうしてnoteを書いているのが、割とリフレッシュになっているということだ。
話は少し飛ぶが、絵をめっきり描かなくなった新卒の頃、私は毎月決まった取材をし、ライティングし、入稿する仕事を始めた。
そこで感じたのは、使うスキルや手順は違いこそすれ、カタルシスという観点では、絵を描くそれと全く同じ感情を覚えたことだった。
自分なりの表現方法で発信をすること。これがこう感じられたので、これは素敵なものだと思うのです。いかがですか。と、受取手にプレゼンするようでもある。
仕事柄、文章を書いたり校正することはとても多いが、純粋な自分の意見を表現することはしばらく忘れていた。
そんななか最近noteを始めたことで、形の無かった感情や考えに、形を作ってあげられる作業の楽しみを思い出してきたのである。
ということで、最近はnoteを書くことがリフレッシュ法で、趣味だと言ってみようかと思う。
ある育児雑誌の1ページにこんな記事を見かけたら、あ、これかなと思い出してほしい。