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埼玉から瀬戸内へ・豊島でみつけた理想の仕事と暮らし

コロナ禍以降、地方移住に注目が集まる中、移住の手掛かりのひとつとして認知度が拡大した総務省の施策、「地域おこし協力隊」。地方移住を考える方は、一度はこの制度を耳にしたり検討したことがあるかもしれない。

この記事を書いている私自身も、1年半ほど前に地域おこし協力隊として香川県土庄町とのしょうちょうへ移住。町の漁業を知っていただくための情報発信を中心に活動をしている。

土庄町がこの制度を導入して最初の隊員である稲子恵いなこめぐみさん。彼女も協力隊への応募をきっかけに、瀬戸内海の離島の中でも島移住希望者に絶大な人気を誇る豊島てしまへの移住を叶えたひとりだ。

◆プロフィール

稲子 恵(いなこ めぐみ)
出身地: 埼玉県所沢市
現職: Teshima Eco House & Organic Cafe Tonowa ~とのわ~ 店主

前職: 土庄町地域おこし協力隊
任期: 2015年8月~2018年7月
所属課: 商工観光課
ミッション: 豊島の観光振興活動
勤務地: 香川県土庄町豊島てしま

土庄町地域おこし協力隊のパイオニア

現役隊員の私たちがスムーズに活動できている現在があるのは、地域おこし協力隊として実績を作ってくださった先輩方の努力と実績が大きい。

2009年より開始された総務省の施策、地域おこし協力隊制度は今年で14年目を迎えるが、私が在籍する土庄町では2015年よりこの制度を導入。2022年12月現在、これまで14名の隊員を任用してきた。

うち、任期を終えた6名は、全員が土庄町内に定住している。

▼土庄町地域おこし協力隊卒業生インタビュー

香川県内のみならず全国向けの地域おこし協力隊セミナーなどに参加し、各地で頑張る隊員らの生の声を聞いてきた着任から1年半の私が個人的に感じるのは、隊員としての職を離れても任用地域での隊員定住率100%という事例をもつ土庄町のような自治体は全国的にも極めて稀であり、土庄町の隊員定住率は中国・四国エリアの中でもトップクラスだということ。

「地域おこし協力隊」の存在などほとんどの町民が知らなかったこの町で、現在の私たちへと繋がる歩みを最初に切り拓いてくださった記念すべき1期生が稲子さんなのだ。

▼土庄町地域おこし協力隊 紹介ページ

現役隊員と卒業生の紹介ページ。不定期で隊員募集も掲載。

豊島で叶った理想の仕事とライフスタイル

土庄町地域おこし協力隊の1期生、稲子恵さん
ご自身が運営される宿&カフェの前で
(2022年11月撮影)

土庄町地域おこし協力隊の任期を終えて4年。
稲子さんは現在も豊島で、任期後に開業された古民家民宿&カフェ「Teshima Eco House & Organic Cafe Tonowa(とのわ)」を営んでいる。

庭に広がる小さなハーブガーデン。
そこで採れたフレッシュなレモングラスを使った自家製ハーブティーを淹れてくださった稲子さん。

豊島の海の玄関、唐櫃からと港からすぐそばの古民家。
地域おこし協力隊の卒業を控えた任期3年目から、稲子さんは起業に向け本格的に準備に着手し、古民家を一部を改修。「エコハウス」をテーマに掲げ、2018年にこの民宿兼カフェを開業した。

取材当日、軒先には干し柿がズラリ。
島の”干し柿名人”からいただいたという干し柿の隣に並ぶ瑞々しさが残る渋柿は、稲子さんが取材数日前に干したもの。干し柿作りは今年が2回目。

その脇のザルで干されていた渋柿の皮は、たくわんを漬けるために干しているそう。柿の皮と大根を一緒に漬けるとたくわんの色がキレイに漬かるとのことで、埼玉のご実家からリクエストされて干しているのだとか。お茶に入れると甘味が出ておいしいとの情報もあり、近々試してみようと思っているそう。

「とのわ」で稲子さんがこだわったのは「エコな暮らし」
下の写真は玄関を入ってすぐの部屋だが、ここには「エコハウス」を謳うとのわを代表するいくつかのシンボルがある。

まず、この部屋の床。薄手のカーペットが敷かれている下には、稲子さんこだわりの手作り韓国式床暖房「オンドル」がある。豊島の冬の冷え込みは厳しい。エコな暮らしをしたいと願う稲子さんが叶えたかったひとつが、床下にレンガを敷き詰めた暖炉を作り、薪を焚べてレンガを熱して床をあたたかくする仕組みのオンドルを取り入れることだった。

上記と同じ部屋の写真
土と藁で塗り固めた施工直後のオンドル
土&藁の下には溶岩石
石の間の隙間は漆喰しっくいで塗り固められている
さらにその下の土台がこちら
赤レンガとブロックが積まれている
部屋の外には焚き口を設置
焚いた火の熱を使った床暖房がオンドルだ

韓国式床暖房オンドルの作り手は日本に非常に少ない上に、豊島ではその資材自体も十分揃わない。稲子さんは友人に紹介してもらったオンドル職人さんの講習会に自ら参加したり、数日間、オンドル職人さんたちに住み込みで制作いただき、夢のオンドルを完成させた。このオンドル完成には多くの人の協力と様々なドラマがあったと、稲子さんは振り返る。

2018年1月、オンドル職人さんたちと

取材前日の夕方に薪の火を消したというが、翌午前中の取材時も、オンドルの床はまだほんのりと温かかった。火を消した後の保温時間が非常に長いこともオンドルの魅力だと稲子さんは教えてくれた。

また、上記の写真右手前の茶色い箱のようなものは、ソーラーバッテリー。日中の太陽光で充電された電力がここに蓄積されており、電気を頼らなくともこのバッテリーさえあれば、普段はもちろん、災害時にもスマホ充電などに使うことができるという。

東日本大震災をきっかけに稲子さんが叶えたいと強く思った「エコな暮らし」。ご紹介したのはそのほんの一部であるが、稲子さんの描いた暮らしは豊島でこんな風に叶っている。

初代協力隊ならではの経験と想い

香川県が初めて大量に協力隊採用に動いた2015年は、全国的にも「地域おこし協力隊」のことが少しずつメディアで取り上げられ始めた時期。

ちなみにこの頃は、先日の記事でご紹介した豊島の塩守しおもり、門脇ひろしさんがラジオディレクターとして全国の地域おこし協力隊を取材されていたのと同時期である。

▼稲子さんと同じく豊島へ移住された門脇湖さんの記事

土庄町初の地域おこし協力隊として着任した稲子さんに課せられたミッションは、豊島の観光振興。

自身のこれまでの経歴から稲子さんが応募したのは観光振興の募集枠だったが、同時に移住定住促進の募集もあった。どんな同期と会えるのだろうと期待に胸を膨らませながら迎えた初登庁日、着任式には稲子さんひとり。聞けば、応募は何件かあったものの第1期生としてマッチするようなご縁がなく、残念ながら採用を見送ったそうだ。

知り合いもほぼいない離島、豊島。一緒にスタートできると信じていた同期隊員もいない。さらに、土庄町の役場は海を越えた隣の島、小豆島にあるという心細いスタート。

2015年当時、香川県内の協力隊同期は20名ほど。その頃、月イチで開催されていた県内隊員の交流や学びの場である、香川県地域おこし協力隊主催「さぬきの輪の集い」で他地域の隊員と会えることが心の支えだったという。

香川県内の協力隊との交流の場
「さぬきの輪の集い」が当時の支えだった
引用: さぬきの輪Web

県内各地で活動する同期も、稲子さんと同じく各地域で初めて任用された協力隊ばかりで、隊員本人はもちろん、行政も地域住民もみな手探り。協力隊のことすら今ほど地域に浸透していなかった時期ゆえに仕方なかったことではあるが、隊員が行政や地域住民と対立してしまったり、折り合いが合わずに途中退任した隊員も多く、当時の同期のうち任期満了まで勤めた隊員はほんの数名だった。

稲子さん: 土庄町の職員さんのいいところは、ちゃんと話を聞いて、協力隊がやりたいことをどう実現できるようにしていくかを、一緒に寄り添って考えてくれるところ。初めてのことだらけだし、行政で物事を進める時には時間がかかってしまうのは理解していたし。思うようなスピードで進まないこともあったけれど。でも、土庄町はいい意味で一般的にイメージされる行政っぽくはないというか。(笑) 「こうしたらええんちゃう?」って進んで提案してくれる職員さんや熱い職員さんもいてくれる。いろんな行政によって体制は様々だと聞くけれど、そういうサポートがあるのは土庄町のいいところだなって思う。

現在では協力隊の存在が地域に浸透し、後輩が続々と活躍できるフィールドが広がっていることについて、稲子さんの思いを聞いた。

稲子さん: 初めての大変さもあるけれど、その後に入って来た人の大変さもあると思う。後から入って来た仲間たちの話を聞くと「稲子さんはこうだったからこうして!」って言われることもあったみたいで。(笑) 私は初代ならではの生みの苦しみを経験したけれど、それぞれに苦労があるんだなって。でも、こうして協力隊が続いてくれて、あの時頑張って本当に良かった!

なぜ、地域おこし協力隊に?

豊島から望むオリーブ畑と瀬戸内海
(2022年10月撮影)

なぜ、彼女は地域おこし協力隊になったのか。
なぜ、豊島だったのか。

彼女のこれまでを紐解いていくと、様々な「点」が豊島で一本の線になり、今が在ることがわかる。

未来を創るきっかけとなった多彩な経歴

教育の世界から海外へ

短大を卒業後、稲子さんは地元の埼玉県所沢市の小学校で、障害をもった小学1年生〜6年生の生徒が学ぶ特別支援学級の先生のサポートをする介助員の職に就いた。

介助員として働きながら、毎年、教員採用試験にチャレンジしていたが、今よりも採用試験の倍率が高かった当時は残念ながら採用には至らなかった。「私、教師に向いてないのかな。」
合否結果の度にそんな思いを巡らせながらも、介助員の仕事を4年間勤めた。

稲子さん: すごくやり甲斐のある仕事だったけど、もっと外の世界も見たいなと思って。ワーキングホリデービザ(以下、ワーホリ )で24歳で初めて海外、オーストラリアのパースへ行ったんだけど、海外生活の楽しさに目覚めてしまって。私の旅人生はそこで始まったんですね。(笑)

3カ国を巡った海外生活

稲子さんの海外生活始まりの地、オーストラリアのパース
市民の憩いの場所、Kings Parkから街の中心部の眺め
奇遇なことに私も以前、この街に1年ほど住んでいた
(2014年10月撮影)

「また海外に戻りたい」
「30歳までに回れるだけ回って、世界を見たい」


オーストラリアからの帰国後はそんな思いから、派遣社員やアルバイトで児童英語の講師をするなどして、2度目のワーホリでニュージーランド、3度目のワーホリではカナダへと渡った。カナダではバックパッカーズホステルのスタッフとして住み込みで働いた経験も。今思えばこれが現在の仕事に繋がる最初のきっかけかもしれないと稲子さん。

その後、日本へ戻り、ここで根を張ろうとしていた矢先、縁あってニュージーランドの温泉旅館での仕事が決まり、再びニュージーランドへ。
宿泊業、飲食業、双方を兼ね備えたこの温泉旅館での勤務経験が、カナダのホステルでの経験に加え、今の仕事に活きているという。

第二の転機、ベジタリアンカフェ

ニュージーランド移住から数年後。35歳で日本へ帰国した稲子さん。地元埼玉へ戻り、近所のベジタリアンカフェで働くことに。次の仕事が決まるまでの繋ぎのつもりで始めたアルバイトだったが、これが彼女にとって第二の転機となる。

稲子さん: ワーホリの時は、最初は英語があまり話せないから、現地の日本食レストラン(ワーホリ渡航者からジャパレスと呼ばれる)のウェイトレスしか仕事がなく、その後もワーホリに行った各国のジャパレスで働いていて。そうしているうちに食べ物に興味が出てきたんです。そもそも食べることも好きだったし、海外にはベジタリアンとかビーガンの人がたくさんいて、これには何が入っているのかとか聞かれるんですよね。「ベジタリアンって、ビーガンって何なの?」って興味を持ってたから、この時のベジタリアンカフェや「とのわ」に結びつくきっかけになったかな。

それまでは料理をサーブする側として携わってきた飲食業。ベジタリアンカフェでは初めて調理に挑戦した。この仕事が楽しくなり、2軒のカフェを掛け持ちで働いたり、自身で食の勉強をするように。実務経験2年以上で受験資格があることも手伝って、この間に調理師免許も取得した。

理想の「暮らす場所」を求めて

ちょうどその頃、2011年の東日本大震災を受けた日本では、西日本側への移住者が急増。埼玉に住んでいた稲子さんもこの頃から、環境問題やエコな暮らしについて考えるようになり、移住を考え始めた。

稲子さん: カナダに住んでいた時、冬が寒くて寒くて・・・。だから暖かいところがいいなと思って、最初は候補地として沖縄を考えていたのだけれど、沖縄は既に移住者もたくさんいて、カフェや宿もたくさんある。「暮らす」というより「遊ぶ」ところなのかな、と思って。あちこちを旅しながら移住地探しをしている時に、小豆島へ移住した友達を訪ねて遊びに来たのをきっかけに「瀬戸内もいいな。」って。小豆島を訪れた時は、土庄とか池田とかお店がたくさんあるようなところだけを回っていたから「もっと田舎なところないかなぁ。」って言ったら「それならお隣に豊島っていう素敵な島があるよ。」って友達が教えてくれて。2015年3月に初めて豊島に来たのもそれがきっかけ。

その旅で初めて訪れた豊島。
唐櫃からとの棚田の絶景に、こんないいところで暮らせたらすごく素敵だな、と強く心惹かれた。

稲子さん: 「"日々どんなものを見て暮らすか、どういう景色を見て生きたいか"って大事だよね。」って友達の言葉が耳に残っていて。豊島にはコンビニやスーパーみたいな商業的なものも信号もない。あるのは家と自然、点在しているアート、おじちゃんおばちゃん達が畑をしている姿。豊島という島の規模感もちょうどいい。また、移住者や女性がひとりで経営している素敵なお店もいくつかあって、それが私の中のモデルケースになったり。この島が自分の描いていた田舎暮らしの像にピタリとはまって、「この景色を毎日見て暮らせたらすごく幸せだろうな。」って思った。

地域おこし協力隊に応募

稲子さんが描いた暮らしのイメージにピタリとはまった豊島。初めての豊島旅行から間もなく、島をより知るために再び豊島へ。

今度は移住に必要な「住む場所と仕事」の目星をつけることが目標だったが、この時に島の人が、役場で求人がでていることを教えてくれた。

「島の人は応募できんらしいけど、役場で募集しとる仕事があるらしいよ。ようわからんけど、役場に聞いたら?」

この求人こそが土庄町地域おこし協力隊の募集、豊島の観光振興担当だった。任期は最長3年、任期後の起業支援もあるという。

自身で小さな店か何かをしてみたいと思っていた彼女にとっては絶好のチャンス。迷わず応募したが、1名の採用枠にまさか自分を選んでもらえるとは思っていなかったので、採用の電話を受けた時には驚きを隠せなかった。

協力隊としての活動

2015年8月、土庄町地域おこし協力隊としての活動が始まった。
「豊島の観光振興」という大枠のミッションは知っていたし、応募時に「こんなことをやってみたい」という企画はいくつか書いていたものの、着任した稲子さん自身は、何からすればいいのかわからなかった。

着任式を終えた稲子さんは、担当職員さんにこう尋ねたという。

「明日から私は何をしたらいいですか。」

「自由にやってみてください。稲子さんが豊島を活性化するためにやってみたいこと、稲子さんがしたいと思っているエコな暮らし、産廃問題の歴史から環境問題に取り組んでいる豊島を"環境にやさしい島"と観光PRでも打ち出していくために具体的に何が出来そうか、プランを書いてみてください。まずは地域と関係性をつくったほうがいいから、地域行事への参加やお手伝いをしてください。」

まずは担当職員さんの返答に沿って動いてみることにした。

地域行事への参加や手伝い

最初の仕事は夏祭りのお手伝い。
会場でのテント設営という慣れない作業に、軍手をせず素手で挑んだところ中指を複雑骨折。着任早々、労災申請をお願いすることに・・・。

ちなみに、協力隊任用後の労災申請最短記録は未だ破られていない。
※安全第一!ケガに気をつけよう٩( ᐛ )و

豊島の観光PR企画のプランニング

着任当初は、豊島の観光PRとしてどんなことが出来るのか企画書作り。

企画作りにはまず島のことを知らなければならない。
島の人たちとのピクニックや意見交換会など、小さなイベントを重ねて関係性を作りながら、この島で具体的にどんなことができるかを模索した。

豊島観光協会での仕事

2016年の瀬戸内国際芸術祭春会期の始まりから1年半ほど、観光協会の仕事を週3でこなした。

観光で豊島を訪れたゲストへの案内、レンタサイクルの貸出業務、おみやげ屋さんのレジ打ちや品出しなど、多岐に渡る業務に携わる経験ができた。

「瀬戸内『食』のフラム塾」への参加

翌年開催の瀬戸内国際芸術祭2016では、来場者に瀬戸内の食を楽しんでもらい芸術祭を盛り上げるためのスタッフ育成講座のプロジェクト、「瀬戸内『食』のフラム塾」。元々は興味を惹かれて個人で応募していたプロジェクトであったが、豊島の観光や協力隊の仕事にも繋がることから業務として参加することに。

瀬戸芸開催中は、毎週末、アート作品の中で郷土料理を提供するというプロジェクトに参加し、地域の食の知識と理解を深めた。

小豆島一周自転車イベント「豆イチ」での地元食材提供

任期2年目には、協力隊の後輩である移住定住促進担当の須藤渚さんが企画された観光庁「スポーツ文化ツーリズムアワード2017」チャレンジ部門を受賞した小豆島島内を一周する自転車イベント「まめイチ」で、フードのリーダーを担当。

島内に点在する休憩所で、小豆島と豊島の食文化を合わた地元ならではの食を提供したり、無人島で地元食材を楽しめるBBQにおいては食材調達やセッティングなど、食の側面から島を知っていただけるよう注力した。

島の南側のエイド、オリーブ公園では、島野菜や新漬けオリーブを使ったパスタや天然酵母パンで作るブルスケッタ、フルーツとしていちごや金柑など、洋食をテーマに。北側のエイド、道の駅・大坂城残石記念公園では、小豆島名物のそうめんやサワラの手まり寿司、豊島のおばあちゃんから教わった黒豆を使った桜寿司という郷土料理、しょうゆ豆などの香川の特産品も交え、和食をテーマに。

地元にあるいいものと、移住者が作っているオーガニック野菜・果物や天日塩、ビーガンやベジタリアンなどの要素を掛け合わせ、できるだけ環境にやさしい食を提供できるよう工夫しながら、食の分野で地元の魅力をPRした。

てしま Earthday Market の企画・運営

産廃問題後、地元の実行委員や瀬戸内オリーブ基金らにより20年ほど豊島で毎年開催されてきた「アースデイかがわin豊島」。稲子さんの任期1〜2年目の頃、産廃処理の目処がついたことや実行委員メンバーの高齢化により、存続が危ぶまれていた。

「ここで辞めてしまうのはもったいないから」とカタチを変えて稲子さん自身がアースデイを企画し、続けていくことを提案。前任の実行委員より引き継ぎ、協力隊任期中の2017年、2018年に「てしまアースデイ」を開催した。

地域の思いと課せられたミッションのズレ

地域おこし協力隊として採用された稲子さんだったが、着任後、課せられたミッションと地域の思いにズレがあるという事実に徐々に気付き始める。当時の豊島は長らく観光スタッフが不足しており、観光協会のサポートを含め活動できる人材を熱望されていた背景があった。着任してしばらくした後、稲子さんはその背景を知ることとなる。

豊島の人たちは「豊島の観光協会で働いてくれる人を採用してほしいと、地域の人たちが町にお願いして雇ってもらった人」と認識。稲子さんが取り掛かり始めた仕事は、島の人たちの思いとズレていたのだという。

実は、全国各地の地域おこし協力隊の多くが、こうした経験をしている。結果は人や環境によりけりで、決裂してしまうこともあれば、そこで話し合い解決できるケースもあり、本当に様々。「地域おこし協力隊」でググった時に辿り着くネガティブな検索結果は、折り合いがつかずに分裂してしまったケースから派生したものが多いように見受けられる。

では、稲子さんの場合はどうだったのか。

稲子さん: 最初の半年ぐらいは公民館で地域の人と移住者の交流会や、当時全く知られていなかった空き家バンクの制度について地域のみなさんにお話したり、郷土料理を学ぶイベントとかテーマを変えて月1で毎回やってたんですね。

稲子さん: でも翌年の2016年からいよいよ瀬戸芸が始まるにあたって「何で観光の方に入って来ないんだ?」っていう話が浮上して。島の人たちの要望と町から課せられているミッションとのズレに、私はどうしたらいいのかわからなくて。結果、役場の職員さんと相談して、週3日、観光協会へ行くことになりました。

協力隊としての役場職員的な立ち位置、観光協会のスタッフとしての役割。この頃は自分の立ち位置に戸惑いもあったが、観光協会の仕事に携われて結果的に良かったことも多かった、と振り返る稲子さん。

稲子さん: 観光協会では観光や宿泊案内だけでなくおみやげも販売していたので、ここを拠点に、豊島の特産品をおろしに来てくださる方とか民泊の方とか、さらに人の繋がりが増えたんですよね。瀬戸芸が終わってからもしばらく観光協会にいてほしいって言っていただいて、結果、1年ちょっとの間、お仕事させていただきました。

任期2年目後半に定住を決意

残すところ任期あと1年!というタイミングが迫ってくる中、この島に残るのか、今後は何をしていくのか、の選択をしなければならなくなった稲子さん。2年目後半くらいで定住を決意した後は、その先の自身の道がとてもクリアに見えてきたという。最後の1年は、自身の起業準備に集中できるよう、その他の活動をセーブさせてもらう方向で関係各所へお願いした。

稲子さん:協力隊の任期を満了すれば起業支援があるから、物件が見つかれば、できれば宿かカフェか自分でやりたいって思ったんだけど。私が在籍していたのは商工観光課だったけど、企画財政課の協力隊である渚さん(須藤渚さん)とも移住フェアや豆イチで一緒に仕事させてもらっていたから交流はあって。空き家物件の改装とかは空き家バンクを管理されている企画財政課の方が得意じゃないですか。だから、課は違うんだけど、ここを改装するときは企画財政課の職員さんもサポートとしてついてくださって。苦手な手続き関係も手伝ってくださったり相談に乗ってもらったり・・・。結果、すごく力になっていただんですよね。

「よそ者」から「豊島の人」へ

任期満了を半月後に控えた2018年7月中旬に豊島の唐櫃公民館で行われた、3年間の活動を町のみなさんへお伝えする報告会。

「豊島に残ってくれてありがとう。」
「地域の声を聞いて、すごくがんばってくれた。」
「稲子さんの後輩ができたら、応援してあげたい。」

会場で地域の方々からこんな言葉が聞こえたのは、協力隊の活動の枠に捉われることなく、豊島のみなさんと過ごす時間を重ねて関係性を築き上げたこに加え、移住者である稲子さんを受け入れてくれた町や地域のみなさんの温かさがあったから。

報告会では、稲子さんもみなさんへの感謝の想いを伝えた。

「協力隊で大切なのは、よそ者(=隊員)を受け入れる地域と町の連携です。豊島の皆さんは、何も知らない私を温かく受け入れてくれて、町も他の自治体の事例を参考にしながら一緒に考えてくれる体制があり、3年間がんばることができました。これからも、豊島の住民としてよろしくお願いします。」

こうして、土庄町地域おこし協力隊第1期生としての活動を経て定住。稲子さんは「豊島の人」となった。

地元のおいしい食材を使ったエコな料理

取材を終えるとお昼間近。
この日は事前にお願いしていた、とのわさん特製ランチをいただくことに。

写真右上の天ぷらには、豊島の棚田のお米を使った米粉が使われていて、カリッとした食感が楽しめる。天ぷらにまぶされた塩は、以前取材させていただいた豊島の門脇さんの元で生まれた天日塩。豊島のおいしさがたっぷり詰まっていた。

土鍋で炊いたツヤツヤのごはんに、豊島で採れたお野菜を贅沢に使った和のおかずたち。お味噌汁に使われた自家製味噌、和物あえものに使われた塩麹、その他、しょうゆ麹、豆板醤、ラー油、柿酢など、お料理に使われる調味料はほぼ全て稲子さんの手作り。

豊富な手作り調味料たち
稲子さん手書きのラベリングにほっこり☺︎

おいしすぎて箸が止まらなかった理由は、食材そのもののおいしさはもちろんだが、稲子さんの手作り調味料が食材を一段と引き立てていることも大きいと私は思っている。

お味噌、塩麹、豆板醤など、豊富なお手製調味料は
中身を見ただけでもおいしさが伝わるはず!
やみつきのおいしさ、ぜひ「とのわ」で確かめてもらいたい
(写真提供: 稲子恵)

「とのわ」に込めた3つの思い

Teshima Eco House & Organic Cafe Tonowa ~とのわ~。
「とのわ」という名前には、稲子さんの3つの思いが詰まっている。

2018年1月、オンドル施工日の稲子さん

「紙に想いを書いて」と職人さんに言われて、最近ずっと頭にあった「和」という文字を書きました。
1) みんなが和む安らぎの場所になりますように。
2) 和風の和、日本の美を残していけますように。

 (築110年のこの家には梁や襖など日本建築の美しさがいっぱい!)
3) 豊島から平和な暮らしを発信できますように。

香川県土庄町地域おこし協力隊 ~Beautiful Island Teshima and Shodoshima~

冬から春まではしばらくお休みに入ってしまうそうだが、暖かくなって豊島を訪れた際にはぜひ、とのわのほっこりとしたやさしい空間と稲子さんのお料理をゆっくりと味わいながら、豊島滞在を楽しんでもらいたい。

▼メディア取材記事

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■ Special Thanks(敬称略)
稲子いなこ めぐみ
(Teshima Eco House & Organic Cafe Tonowa)
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● 写真提供
香川県土庄町地域おこし協力隊 ~Beautiful Island Teshima and Shodoshima~

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・YouTubeではお話できなかったことや、企画、撮影の裏側
・これまで住んでいた台湾、オーストラリア、トルコなど海外で気づいたこと
・東京出身の私が移住した小豆島しょうどしまのこと
・個人の活動と並行して携わらせていただいている地域おこし協力隊のこと
・30代の私が直面している親の老後や介護のこと

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Posted by SAYULOG on Sunday, July 24, 2022

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