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小説「ドルチェ・ヴィータ」第4話(全11話)



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第4話



「祥穂さん、今年花見行きましたか」
「ううん、暇がなくって。尚司くんは?」
「俺も全然。でも仕事で桜だけはたくさん見ました」
「それを人は花見と呼ぶんじゃないの?」
「いやー、違いますよ。花見って言ったらこう、お弁当持って、ビール持って……じゃないですか」
「確かにね」

 駅前のラーメン屋、いつもの天馬家で、髭の青年……渋沢さんから、いつの間にか尚司くんと名前で呼ぶようになった彼と、ラーメンを食べながら他愛のない話をする。彼もいつの間にか、私のことを祥穂さんと名前で呼ぶようになっていた。店長は淡々と麺を茹でている。私達も色気なく、ただただ麺をすすっている。

「お弁当持って、ビール持って……なんて本格的な花見、ずいぶんしてないなあ」
「祥穂さん、お弁当はデパ地下とかで調達派ですか」
「失敬な、きちんと作る派ですよ」
「へええ!」

 尚司くんの目が丸くなる。なんだ、人を何だと思っていたのか、見くびっていたのか。

「料理なんてしない派かと思ってた?」
「や、だっていつもラーメン派じゃないですか」

 それは君といつも会えるのがここだからだよ……、そんなこっぱずかしい台詞を言えない小心者の私は、代わりにビールをぐびりと飲んだ。

「けっこう作ってますよ。毎日、猫のごはんも準備してるし」
「猫、飼ってるんですね」
「なんだかね、ご縁でね」

 私は平泉さんのことを思い浮かべた。毎日、私の帰りをじっと待ち続けてくれている平泉さん。たまにラジオを聴いたりしながら、ひとりぼっちで待ち続けてくれている平泉さん。外に出掛けることもなく、外の空気を吸うこともなく、ただ時間の過ぎるのを待ち続ける平泉さん。私はやるせない気持ちになった。

「もとはね、外にも出掛ける子だったんだけど、私が飼うようになってから座敷猫になっちゃったから、なんだか申し訳なくて」
「どなたかから譲り受けたんですか」
「うん、まあご縁でね」

 譲り受けたというべきなのか、どうなのかはわからなかったが、私は前の飼い主のご婦人から、大事な平泉さんを預かったという意識がとても強かった。前の飼い主については、平泉さんはぽつぽつと語ってくれるようになってきたが、その言葉が少なければ少ない分だけ、彼女への想いがあふれてくるようだった。

「そっか、もとは外猫だったんですね」
「うん、だからたまには外に連れ出してあげたくて」

 何の気なしに口にした言葉は、心にゆっくりと染み込んだ。そうだ、私は平泉さんになにか恩返しをしてあげたい。いつも私の心を優しく暖めてくれる平泉さんに。

「決めた。次の休み、連れ出してあげよう」

 尚司くんはにっこり笑った。その笑顔につられて、私の口からするっと、思いもよらない言葉が飛び出した。

「尚司くんも来る?」
「え……いいんですか?」
「そこの堤防でピクニックがてら、葉桜見ようよ」
「それって、祥穂さんのお弁当が食べられるってこと?」
「えっと……簡単なのでいいなら」
「まじすか……やばい、うれしい」

 尚司くんは口を手で覆ってうつむいた。私はどぎまぎした。ええと、そんなに嬉しがってくれると、こっちの方が嬉しいんだけど。私は胸の動悸をごまかそうと、残り少ないビールを飲み干した。

「じゃあさ、おべんとは私が準備するから、尚司くん、ビールとか飲み物買っといて」
「はい!」

 中学生のように慌てふためきながら次の休みの調整をする私達を、店長は火の調整をしつつ、横目で微笑みながら眺めていた。


 ……という夢を見て、目が覚めた。久々に何の仕事も入っていない日曜日の朝、ゆっくり休もうと思っていたのに、やたらリアルな夢を見てしまった。しかも始末の悪いことに、夢から覚めた私は、無意識のうちに泣いていた。夢の光景は明るすぎて、眩しすぎて、幸せすぎた。

 私がそのまま泣いていると、目が覚めた平泉さんが心配そうに寄ってきた。

「祥穂さん、どうしましたか……?」
「ううん、なんでもない、ちょっと夢を見ただけなの」
「悲しい夢でしたか」
「そういうわけでもないのだけど」

 平泉さんが薄桃色の鼻先を寄せてきたので、私は抱き上げる。手の中のぬくもりを感じていると、心が現実に戻ってくる。平泉さんは私の濡れたこめかみを、ざらざらした舌で舐めてくれた。

 そうだ。私はひとつ思いついて、平泉さんと目を合わせる。

「平泉さん、今日、ピクニックしよう」
「ピクニック……ですか?」
「うん、おべんと持って、そこの堤防行こう。桜は盛りを過ぎたけど、いっしょに葉桜を見ようよ」

 平泉さんの山吹色の目が大きく、丸くなる。

「それは……なんだかとても楽しそうですね」
「よし、それじゃあ決まり!」

 私は平泉さんと鼻先をくっつけて、布団を勢いよく飛び出した。そうだ、人生の楽しみは待ってるんじゃなくて、自分で造り出していかなくちゃ。





(つづく)


つづきのお話


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