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小説「ドルチェ・ヴィータ」第10話(全11話)


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第10話


「そんなことがあったんですね」
「やせ我慢して、いい女ぶって帰ってきちゃった」

 私は缶ビールを片手にからからと笑う。平泉さんは久しぶりにテーブルの上に乗っている。私が無理を言って乗ってもらったのだ。平泉さんの前には煮干し、私の前にはいか燻製とビーフカルパスが並んでいる。平泉さんは煮干しをひとつ口にくわえる。

「魂が動いちゃうぐらい、好きだったのにね、あっけないもんだよね」
「まあ、そういうもんですよ。恋って意外とあっけなく終わるもんなんです」
「そういうもんかしら」
「大丈夫、季節が変わる頃にはまた、きっと新しいときめきが訪れますよ」
「まじでー、もうときめきとかいらないから、早く結婚したいんだけど」
「祥穂さん、結婚したいんですか」
「……気付かなかったけど、どうやらしたいみたい」

 口に出してみて、初めて気がついた。そうか、私はやっぱり結婚したかったのか。暖かい、自分だけの『うち』が欲しかったのか。

「したいならすればいいんですよ」
「だーかーらー、平泉さん、相手がいないの」
「相手なんてその気になればどこででも出会えますよ」
「まったくもう……お見合いでもしよっかなあ」
「案外、悪くないかもしれませんよ」
「そう?」
「だって、人間の皆さんって、いろんな付属物を気にするじゃないですか。条件とか。でもお互いが納得した上で出会えれば、合理的に家庭生活を運営していけそうです」
「なんか……そう言われるとなあ……」
「まあ、ひとつの選択肢としては、ありじゃないですか? 大事なのは、出会った相手をどうやって愛していくか、ですから」

 平泉さんの言葉が妙にひっかかった。出会った相手をどうやって愛していくか。

「ちょっと待って、平泉さん、大事なのって誰を愛するかじゃないの」
「違いますよ。大事なのは、自分がどのように愛していくか、ってことです」
「どういうこと?」
「好き合うってのは、熱病みたいなもんです。タイミングと気持ちさえ合えば盛り上がるし、盛り上がってる時は大概、相手のいいところしか目に入らないもんです。でも大事なのは、その相手をどうやって大事にしていくか、どうやってふたりの関係を育てていくか、ってことなんです」
「ふうむ」
「例えば、恋ではないけど、祥穂さんと私がそうですよ」
「どういうこと?」
「祥穂さんと私の出会いも偶然でした。でも、今はこうして一緒に暮らしている。お互いに、お互いのことを大事に思っている。祥穂さんが仕事で出掛けていく時に、私のごはんと水をきちんと準備してくれるのも、トイレを綺麗にしてくれるのも、たまにお風呂に入れてくれるのも、私のことを大事に思ってくれているからです。それを日々続けていくのは、どうやって大事にするか、っていう部分の方が大きいんですよ」
「……なるほど」

 平泉さんの言葉に納得しながら私はカルパスの包み紙をむいて、口に入れる。平泉さんが、器用に煮干しとカルパスを跨いで、私の近くに来た。丸くなって、私を山吹色の瞳で見上げる。

「どうしたの?」
「祥穂さんには、本当に感謝しているんですよ。祥穂さんに出会えて、本当によかった」

 平泉さんが改めてそんなことを言うので、私は胸がつまってしまった。手を伸ばして、頭を撫でる。平泉さんが、ぐるぐると喉を鳴らす。しばらくそうしていると、テレビが急に灯った。私達は驚いて、テレビに視線をやる。

「そうだ、昨日予約してたんだった」
「何の番組ですか?」
「東京タワーの特集だって」
「東京タワーですか!?」

 平泉さんの耳がぴんと立った。テーブルの上に立ち上がってそわそわし始める。私は思わず吹き出した。

「平泉さん、いいよ、ソファーで見よう」
「はい!」

 平泉さんは弾んだ声で返事をする。身も軽く、テーブルからソファーに飛び移り、丸くなって視聴態勢に入る。私はテーブルの上を軽く片付け、ビールを持って移動する。テレビでは、青空を背景に東京タワーが大写しになっている。平泉さんは、山吹色の瞳をきらきらと輝かせながら、テレビに見入っている。

 平泉さんが東京タワーをこんなに好きなのは、前に一緒に暮らしていたトクさんが、よく東京タワーの話をしていたかららしい。なんでも、トクさんの亡くなったご主人が東京タワーの建設に携わっていたらしい。

──「東京タワーのどこかにご主人のお名前が刻んであるって、嬉しそうによくお話されてました」
「そうなんだ」
「だからね、私の夢なんですよ……いつか、東京タワーに登ってみたいっていうのが」──

 平泉さんはそう言って、目を閉じた。それから私は、スマホで東京タワーのデータを集めるようになった。一日の終わりに、平泉さんに見せてあげると、とても喜んでくれるのだ。平泉さんは今では、東京タワーのキャラクターであるノッポン兄弟のファンにもなっている。

 画面に映る東京タワーに見入る平泉さんの横顔を見ているうちに、私はあることを思いついた。なんで私は今まで思いつかなかったんだろう。自分の間抜けさに呆れつつ、私は声を掛ける。

「平泉さん、次の休みは東京タワーに登ろう!」

 山吹色の瞳が丸くなった。耳がぴんと立った。平泉さんが慌てて立ち上がる。

「でも……私でも登れるものなのでしょうか?」
「明日、電話で確認してみるから。大丈夫だったら、一緒に登ろう」
「うわあああ……」

 平泉さんはあくびをするように、大きな口を開けて、声を上げた。私を見上げて、ソファーの上をぐるぐる歩き回った。私は微笑んで、平泉さんの背中を撫でる。テレビには、展望台を案内するノッポン兄弟が映っていた。





(つづく)


つづきのお話


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