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小説「ドルチェ・ヴィータ」第11話(最終話)



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第11話(最終話)


 東京タワーに電話してみると、他のお客様にご迷惑をかけなければ……ということだったので、私はAmazonでケージを購入した。平泉さんと相談して、なるべく外が見えやすいものを選んだ。カレンダーに丸印をつけて、ふたりで指折り楽しみにした。

「平泉さん、どうしよう、ちょうど東京タワーで魚祭りとかやってるみたいだよ」
「さかな! いったいどんなお祭りなんですか」
「なんか日本各地のいろんな魚料理が食べられるみたい」

 賑やかに話しながら、東京タワーに向けて計画を練る時間はすぐに過ぎていった。

 東京タワーの日は、朝からよく晴れていた。前の夜、仕事の付き合いで遅くまで飲んでいた私を、アラーム前に平泉さんは起こした。首筋を舐める、熱くざらざらした舌に瞼を開けると、わくわくした顔の平泉さんが目に飛び込んできた。

「祥穂さん、朝ですよ! いいお天気になりましたよ!」

 時計を確認すると、まだ早い。六時台だ。アラームは八時だ。私は布団をかぶった。

「あとちょっとだけ」
「いけません、祥穂さん! 早起きは三文の徳ですよ!」
「徳はいいから、あとちょっとだけ寝かせて」
「だめですよ! 起きましょう、祥穂さん!!」

 そんなやり取りを繰り返して、私は根負けした。せっかく早く起きたもんだから、ひさしぶりに朝ご飯を作る。パンを焼いて、ベーコンを焼いて、スクランブルエッグを焼く。きゅうりとミニトマトを切ってサラダにする。最近なかなか時間がなくて、ほっぽらかしにしていたコーヒーも淹れる。平泉さんも、朝の光の中で自分の食事をとっている。

「平泉さんと出掛けるのって、お花見行って以来だよね」
「そうですね、あの時も楽しかったですね」
「簡単なお弁当つくってね、近所の川べり行って」
「私にもお弁当を準備してくださいましたね」
「いつもの通り、猫缶と鰹節だけだったけど」
「いえ、とても嬉しかったですよ」
「今日は魚祭りで、なにか食べられるかな」
「食べられるといいですねえ……」

 平泉さんは喜んで、喉をぐるぐると鳴らす。私は笑顔で眺め、パンにスクランブルエッグをのせてかじる。

 東京タワーに平泉さんを連れて行くのは目立つだろうと思ったので、朝一番で登ることにした。そして前々から決めていた通り、エレベーターには乗らずに外階段で登ることにした。平泉さんに、タワーを吹き抜ける風を感じてもらいたかったのだ。

「てっきり、エレベーターでしか登れないもんだと思っていました」
「私も。いい運動に……なるね」

 もっとたくさん、外階段を登る人がいるかと思っていた。しかし、冬の平日の午前中ということもあって、タワーに来る人数自体がもともと少なかった。ましてや、階段を登って展望台に行こうなんていう物好きは、私達ばかりだった。

「トクさんのご主人のお名前は、どこにあるのでしょうね」
「鉄塔の最上部に、建設に携わった方々のお名前が刻まれたプレートが据えられてるみたい。ちょっと見られそうにないね」
「残念ですね。でも……ああ、なんていい風でしょう」

 ケージの中を眺めると、平泉さんは目を細めていた。オレンジに近い赤に塗られた鉄の階段を登りきり、踊り場で少し立ち止まる。

「ちょっと休憩しよっか」
「祥穂さん、重たいから疲れたでしょう」
「だいじょうぶよ、力持ちだから」
「いえ、こんなに高いところまで、一段一段、本当にありがとうございます」
「いいの、一緒に登りたかったのは私なんだから」

 私も金網の外の東京の街並を眺める。こんなにダイレクトに住み慣れた東京を体感するというのは、初めてのことだった。まだ半分も行ってない位だと思うが、視線がどんどん変わっていく度に、知らない世界が浮かび上がってきて、その度にわくわくした。寒いけれど、風は凛としていた。私は思い切って、ずっと気になっていたことを口にした。

「平泉さん、トクさんとは何年くらい一緒にいたの?」
「今年の年明けすぐまでだったので……八年くらいでしょうか」
「そっか」

 猫の八歳と言えば、初老の入り口だ。あとどれだけ、平林さんと一緒にいられるのだろうか。私はケージをぎゅっと抱き締めた。気がつけば、こんなに大事な家族になっている。

「祥穂さん、祥穂さん」
「ん?」
「こうして、祥穂さんと東京タワーに登れて、とても幸せです」
「……うん。私も」

 私は胸がいっぱいになって、ケージを抱き締める手に力を込めた。今の顔は見られたくなかった。きっと目を合わせたら泣いてしまう。

「平泉さん?」
「なんでしょう?」
「今日だけでなく、何度も何度も、東京タワー登ろう。東京タワーだけでなく、いろんなとこ、一緒に行こう。春になったら、またお花見にも行こう」
「祥穂さん、どうしたんですか?」
「だって、平泉さんは、私の大事な家族だから。きちんと孝行してあげたくて」

 平泉さんが静かになった。ケージの中から、平泉さんが喉をぐるぐる鳴らす音が、その響きが伝わってくる。

「祥穂さん、ありがとうございます」

 長い沈黙の後に、平泉さんの細くて甘い声が聞こえた。

「でもね、私は祥穂さんのうちが、いちばん好きなんですよ。あの家で、ラジオを聴いたり、昼寝をしたりしながら、祥穂さんの帰りを待っているのが楽しいんです。そして、夜になってうちに帰ってきた祥穂さんと、いろんな話をしてるだけで、私は毎日幸せなんですよ」
「『うち』に……」
「そう。あのうちが、私の幸せの場所なんですよ。私を……祥穂さんの家族にしてくれて、ありがとうございます」

 見えないけれど、平泉さんが深々と頭を下げる気配が、ケージの中から伝わってきた。

 ……ああ。気がつかないうちに、ただの住処だと思っていた私のマンションは、大事な『うち』になっていたんだ。

 私も、ケージに向かって深々と頭を下げた。

 続く階段を見つめる。展望台についたら、平泉さんと一緒に東京の街を思う存分眺めよう。展望台にあるというカフェで、温かいコーヒーを飲もう。そして、地上に戻ったら、魚祭りの美味しい魚を平泉さんと分け合って、ビールを飲もう。そう、いろいろあるけれど、人生は幸せな瞬間に満ちている。幸せな瞬間は、自分の意志で造り出していくことが出来るということを、今の私はもう知っている。

「さあ、もう半分! がんばって登ろう!」

 平泉さんが、細くて甘い声でなーんと鳴いた。私はケージをもう一度抱き締め、そうして新たな一歩を踏み出した。





(完)




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